第712話 辺境への来訪者、マルセル村の実態を知る (2)

辺境の冬は寒い。フィヨルド山脈からの吹き下ろしの風は、魔力量が多く深い緑に覆われた大森林の木々からも葉を落とし、強大な力を持つ魔物たちをも長い眠りの時期に就かせる。

大自然の命の営みは、全ての者に等しく訪れる。自然を感じ、自然に寄り添い、自然と共に生きる。

辺境に生きるとは、己の弱さを認め、己を見詰め直す事なのかもしれない。


“コンコンコン”

部屋の扉を叩く音が聞こえる。ラビアナは微睡の世界から静かに意識を覚醒させると、重い瞼をゆっくりと開いていく。


「ラビアナお嬢様、お目覚めになられておられますでしょうか?

コリアンダでございます、お着換えの準備にまいりました」

聞こえるのは常に自身を気遣ってくれるメイドの声、窓の外は未だ薄暗さを残しているものの、早く起こして欲しいと望んだのは自分自身。


「えぇ、今起きたところよ。入ってきてちょうだい」

メイドが起こしに来たというのに、いつまでも主人がベッドに潜り込んでいる訳にはいかない。ラビアナはもう少しこの暖かくも幸せな微睡に包まれていたいと思うも、掛け布団をはぎ身を起こす。


“ブルリッ”

室内に漂う冷たい空気、王都では感じる事の無かった冬の厳しさに、ここが“オーランド王国の最果て”と呼ばれる言葉の意味を噛みしめる。


“カチャリッ”

「お嬢様、おはようございます。今朝は一段と冷え込みがきつくなっておりますが、健康広場脇の食堂のガーネットさんの話によればマルセル村の冬はこれからどんどんと寒さを増し、年明けから一月半ほどが一番の冷え込みを見せるとか。

外部から来た者は防寒着が必須であるとの話でございました。

先ずは温かな服装に着替え、外気の寒さに備えましょう」

そう言い着替えの準備を始めるコリアンダの様子に、ラビアナはふと気になった事を聞いてみる。


「そう言えばコリアンダはいつも同じようなメイド服を着ていますわよね? その服装がバルーセン公爵家のメイドとしての正装であることは分かりますが、熱かったり寒かったりといった事はありませんの?」

ラビアナは改めてコリアンダの服装に目をやり首を捻る。スカートは長いロングスカート、上着の裾も長く手首がすっぽりと包まれている。冬場はいいかもしれないが夏場は暑くないだろうか、夏場が平気であるのならこのように冷え込む土地では身を刺すような寒さを感じるのではないのかと。


「あぁ、その事でございますか。お嬢様には申し上げておりませんでしたが、メイドにとってメイド服とは命を預ける正装、主人の希望を叶え、あらゆる危険から守り抜く言わば戦闘装束なのでございます。

防刃・防弾はもちろん、衝撃吸収、魔法防御、防暑防寒、マジックバッグポケット等、様々な機能が盛り込まれているのでございます。

無論それだけで主人の要望に応えられるほど現実は甘くありませんので、幼少より血の滲むような訓練を経てはじめてバルーセン公爵家のメイドとしてお勤めする事が出来るという事は言うまでもありませんが」

そう言い外の寒さに備えた防寒着を準備していくコリアンダ。

“あなた寒くなかったの? 何その高性能なメイド服、あなた一人だけズルくない!?”

主人を守る盾である護衛が主人より高性能な装備を身に付ける事は当然である。戦う者の装備を疎かにするほどバルーセン公爵家は愚かではない。

理屈は分かる、分かるのだが。高性能なメイド服と装飾品に見せかけた装備によりガチガチに武装し暑さ寒さをものともしない従者に、ラビアナが“あなた一人だけズルい”と思ってしまうのは致し方のない事なのであった。


“カチャッ”

開かれた玄関、昇り始めた日差しの中、吐く息が白い煙となって宙に消える。

ラビアナはブルリと身を震わせるも、“これが辺境マルセル村、ジミーが生まれ育った故郷”と己を鼓舞し、一歩前へと足を踏み出していく。


「ラビアナ様、おはようございます」

宿の前、村の健康広場と呼ばれるそこには、既に多くの村人たちが集まり思い思いに言葉を交わす。


「おはようエミリー、今朝は一段と冷え込みますわね。先程コリアンダに聞いたのですけれど、マルセル村ではこれからどんどん冷え込んでいくとか。でもそれにしてはここに集まっている村人たちは皆薄着ですわね」

マルセル村を訪れて三日目、村の様子を知るには朝の健康体操に参加した方が良いというパトリシア夫人の助言を受け顔を出した早朝の健康広場。昨日は窓からチラリと覗いただけであった為気が付く事の無かった違和感、それは彼ら一人一人の服装があまりに軽装だという事。

王都でもスラム地区の者が貧しさから冬場でも薄着でいるという事は知識としては知っていた。だがここは辺境、オーランド王国の最果て、大気の冷え込みは王都の比ではなく、辺境の寒村では餓死や凍死が当たり前のように起こっているという事も聞いていた。

だが実際の彼らはどうだ、その服装は確かに軽装ではあるもののそれは決して貧しいからなどではないという事は、その新品のような生地の状態の良さからも窺い知ることができる。

であれば何故。マルセル村の建物の状態や村人たちの顔色を見れば住民が重税にあえいでいる訳ではない事は明らか、ならば彼らはこの肌に刺すような冷え込みが寒くないとでも言うのか。


「えっと、ラビアナ様は“魔纏い”が出来ますか? こう身体全体を魔力の膜で覆う感じにですね」

そう言い目の前で“魔纏い”を実践してみせるエミリー、その光景に驚きの表情を見せるラビアナ。


「エミリーはその年で“魔纏い”を身に付けていますの? 素晴らしいですわ。コリアンダから見てエミリーの“魔纏い”はどうかしら」

「はい、大変安定した素晴らしいものかと。これ程の“魔纏い”を使いこなせる者は王都でもそうは多くありません、素直に賞賛に値します」

コリアンダの手放しの絶賛、コリアンダに師事し闇属性魔法の訓練を積んだラビアナはそれがどれ程の評価であるのかを理解し、エミリーの“魔纏い”の練度に瞠目する。


「あっ、どうもありがとうございます。でも、マルセル村の村人は全員“魔纏い”が出来るんです。正確には少し違うんですけど、魔力を纏う事で寒さを防いでいるんです。

ですのでラビアナ様も“魔纏い”をなされれば寒さを防げると思いまして」

エミリーからの言葉にピタリと動きの止まるラビアナ。


「えっと、それはどういった事かしら? エミリーは何故私が“魔纏い”を使えると」

「えっと、ラビアナ様って王都学園の中でよく闇属性魔力を纏って気配と存在を隠しておられるじゃないですか、あれって隠蔽の魔法か何かだとは思うんですけど要は闇属性魔力による“魔纏い”って事ですよね? こんな感じかな?」

そう言い目の前で闇属性魔力を全身に纏ってみせるエミリー、その光景に唯々驚きに固まるラビアナとコリアンダ。

それはバルーセン公爵家に伝わる秘伝であり、バルーセン公爵家の諜報の根幹をなす基礎にして奥義とも呼べる技。


「えっ、エミリー、あなたの魔法適性は確か光でしたわよね? 光属性特化、それが聖女の特徴のはず。それが何故闇属性の魔力を纏っていますの、意味が分からないのですけれど」

混乱するラビアナに、エミリーが追い打ちのように言葉を続ける。


「えっと、これくらいなら私だけじゃなくてジェイク君たちも出来ますよ? と言うか出来ないと大福との訓練にならないし。

そうだ、今日は大福チャレンジを見学しますか? 久し振りなんで肩慣らしって事で四つ首辺りから始めようって事になっているんですよ」

“大福チャレンジ”、その聞きなれない言葉の中の大福と言う単語に、ラビアナはある報告書の内容を思い出す。それは王都諜報組織“影”から入手したホーンラビット伯爵領の実態調査に関する報告書。

その中でマルセル村の若者が巨大なヒドラと実戦訓練を繰り返していると言う荒唐無稽な記述があったと言う事を。


「取り敢えず試してみてください。ケビンお兄ちゃんの許可がもらえたら違った方法も提案できるんですけど、既に闇属性魔力による“魔纏い”の出来るラビアナ様だったらすぐに基礎魔力の“魔力纏い”も身に付ける事が出来ると思いますんで」

その一言を残し<勇者>ジェイクの下に戻っていく<聖女>エミリー。


「・・・コリアンダ、今回のマルセル村の滞在、気を引き締め直さなければいけないようですわ」

「はい、幸いワイルドウッド男爵家の者と知己を得る事が出来ましたので、より詳しく聞いておきたいと思います」

そう言い自身に闇属性魔力を纏う<隠蔽>を掛けるコリアンダ。


「そうですね、確かに寒さが軽減したように思います」

「そう、でも<隠蔽>を掛けてしまうと自身の事を隠してしまいますし、困りましたわね」

コリアンダの報告にラビアナも<隠蔽>を発動する。確かにコリアンダの言う通り、先ほどまで感じていた肌を刺すような寒さがなくなった事に、困ったような表情になるラビアナ。


「ラビアナ、そんなところでなに朝から考え込んでいるんだ?

ラビアナも朝の体操をしに来たんだろう、だったらこっちにこい。身体を動かすのは広い場所で行った方が良いからな」

そんな言葉と共に現れたのは長身のメガネ男子ジミー。

ジミーはラビアナに向かい真っすぐに進んで来るや、その手をガシッと掴み広場の中央に引っ張っていく。

<隠蔽>を掛け周りから気付かれなくなったはずの自分、大勢の人々がいようが自身は決して気付かれる事はない。自分を守るために選んだ道、でも心のどこかで誰かに気が付いて欲しいと言う気持ちがあった事も事実。

“トクンッ”

高鳴る鼓動、握られた大きな手のぬくもりが、ラビアナのどこか空虚な心を優しく包み込む。


“イヤイヤイヤイヤ、何恋する乙女みたいになってしまっていますの!? 私はバルーセン公爵家令嬢ラビアナ・バルーセンでしてよ、公爵家令嬢として、凛としなくてどうしますの!!”


「コホンッ、おはようございます、ジミー。案内、感謝しますわ。それでジミーは今日の予定はどうなっていますの? 先程エミリーから“大福チャレンジ”というものの見学を誘われたのですけれど」

「あぁ、午前中はボビー師匠の訓練場で剣の稽古かな? 昨日はラグラも来ていてな、結構楽しめたんだが。

どうだ、ラビアナも訓練に参加しないか? ラグラはクルーガル先生の指導を受け“魔纏い”の習得を目指しているようだが、ラビアナは既に身に付けているようだし、少し訓練すれば闇属性以外の魔力、基礎魔力による“魔力纏い”も身に付ける事が出来るだろう。

その為の指導は俺が引き受けよう、どうだ?」


掛けられた言葉、それは共に学び訓練を行う事へのいざない。


「そ、そうですわね、ジミーからの折角の誘い、無碍にするほどわたくしは狭量ではありませんことよ」

「よし、決まりだ。動きやすい服装に着替えて宿の食堂で待っていてくれ。朝食が終わったら迎えにこよう」


その言葉と共に離れていく大きな手。

「あっ」

小さく漏れた言葉、そんなラビアナの様子に気が付いたのか心配そうに振り向くジミー。ラビアナはそんなジミーに首を横に振り「何でもない」と言葉を返す。


コリアンダはそんな主人と青年の様子を眺め満足そうに頷くとこの状況を作り出したであろう同志たちに向かいサムズアップを送る。

“ラビアナ様をマルセル村にお誘いして本当に良かった”

繰り広げられる天然ジゴロジミーによる青春群像劇、コリアンダは自身の判断が間違っていなかったと確信し、今宵の健康広場脇食堂での同志たちによる報告会に思いを巡らせるのであった。



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