夢が叶わないことを知って、それでも無理に前を向こうとするシーン、良いよね

それから、クレイズ一行が帰途に就くまでは雰囲気は通夜のようであった。

アダンは船室に閉じこもり、通常の食事以外の一切を口にせず、アダンには顔を合わせようとしなかった。

アダンはツマリを時々気にかけて向かうこともあったが、それ以外の時間は何かにとりつかれたかのように魔法と兵法の勉強に明け暮れていた。

クレイズ自身も元気が出ておらず、部屋でアダンの勉強に付き合うか、或いは外で身が入らない素振りを行っていた。


「さあ、皆さん、つきやした! ひっさしぶりの故郷っす! 今夜はゆっくり楽しみやしょう?」


セドナはそんな面々を必死になだめたり慰めたりしながら、船内で数日を過ごしていた。





「ただいま、戻りました」

「ただいま」


アダンとツマリはお互いに距離を開けて城内に入る。だが、その雰囲気は以前とは違っていた。


「あ、おかえりなさい、ツマリさん! ご無事でしたか!」

「怪我はなかったですか、クレイズ隊長?」

「セドナさん! お会いできなくてさみしかったです~!」

「ちっ……。アダンさん。さっさと部屋に戻ったらどうっすか?」


明らかに周囲の態度が、アダンにだけとげとげしかった。

アダンは気にしないそぶりを見せながらも周囲に声をかけるが、まともに取り合ってもくれていない。


「けっ! 何がホース・オブ・ムーンの代表だよ!」

「全くだよな、ただの乱暴もんじゃねーか……」


特に夢魔の種族たちはあからさまに侮蔑の目でアダンを睨みつけていた。

その様子を見たツマリは怒りを含んだ様子で兵士の一人に尋ねてみた。


「ちょっと、なんでそんな態度を取るの?」

「さあ。そりゃアダンさんに訊いたらいいじゃないっすか」


だが、兵士はそう言うとアダンに唾を吐きかけるようなそぶりを見せ、去っていった。


「なんなのよ、いったい!」


幸い、船内で何日もセドナやアダンが声をかけていたこともあり、ようやく少し気持ちが落ち着いていたツマリだったが、その態度にあからさまに機嫌を悪くしていた。


「確かに、少しおかしいな……よし、私の部下に訊いてみよう」


そう言うとクレイズは、信頼のおける元帝国兵の兵士たちを呼び、話を聴いてみた。






それから30分ほど経過し、クレイズが顔色を変えて戻ってきた。


「で、どうしてか分かったの?」

「いや、分からなかった。何が原因なのか……」

「嘘つかないで! どうせ、また私のせいなんでしょ!」


バン、と机をたたくツマリの様子に、クレイズは仕方ない、と言った具合に口を開く。


「ならいうが……。ツマリ、声を荒げるのはやめてくれ」

「……うん、わかった……」


その雰囲気に不穏なものを感じたツマリは、ごくり、と唾をのむ。

そしてクレイズは口を開いた。


「……先日サキュバスの少女に暴行を加えたことが、この城にも伝わっている」

「え?」


その発言に、ツマリは少し意外そうな表情を見せる。


「ま、まあ確かに、それは不思議じゃないわね。私たちは船で行ったから、行商人の人たちが先にこの城に到着していたら、珍しくないもの……」


その船便も数日間の凪によって到着予定がやや遅れていた。陸路の方が早いのは寧ろ当然のことでもあった。


「確かにそうっすね。けど、それだったらツマリさんの方が嫌われることになるんじゃないっすか?」


セドナはそう答えるが、


「まさか……!」

「ひょっとして……」


アダンとツマリは感づいたのか、ピクリと体を震わせた。

そしてクレイズは重々しい様子で口を開いた。


「……噂が曲がって伝わっている。……少女に暴行を加えたのがアダンになっている。付け加えると、少女の治療をしたことも伝わっていない」

「え……?」


ツマリは絶句した。


「『アダンの財布を盗んだ』と言う話から、暴行を加えたのもアダンと言うことになったのだろう。さらに、少女に怪我を負わせたうえで少女の財布まで奪い取り、去っていったことになっている……。それが、アダン達への態度が悪かった理由だ」

「そうだったのか……」


それを聞いて、アダンは納得したようにうなづいた。


「そんな! それじゃあ、すぐに誤解を解かないと!」

「ああ、当然だ。……と言いたいが……」

「やめて、ツマリ!」


やはり、と言った様子でクレイズは頭に手を当てた。


「そんなことしたら、ツマリが嫌われ者になっちゃうじゃない! 僕はそんなの嫌だよ!」

「けど、悪いのは私でしょ? 私があんなことしなきゃよかったのに、アダンは悪くないのに!」

「悪かったのは、すられた僕の方だよ! ツマリは僕の代わりに捕まえただけだから! 僕はどんなに嫌われても良いけど、ツマリは……!」

「…………」


ここ最近、受難が続いたことで心が折れかけているのだろう、アダンは気丈に振舞いながらもぽろぽろと涙をこぼしていた。


「……私……」


だが、その様子にいたたまれなくなったのか、クレイズは割って入るように提案する。


「……では、こうしよう。暴行を加えたことがツマリであることは、私の部下以外には伝えない。私の部下の口は堅いから、信用していいな?」

「……うん……」


元帝国兵の面々とはすでに旧知の間柄と言ってもいいほど親しくなっている。

実際に、先ほどの城内でも彼らだけはいつもと変わらない態度で接してくれていた。そのため、アダンは素直に頷いた。


「だが、少女の治療をした後の顛末については私の方で説明して回る。だから……君たちは、少し休んでいると良い」

「……うん……」

「…………」


アダンとツマリは、幽霊のように精気のない顔で立ち上がると、自身の部屋に歩いて行った。


「……アダンさん、大丈夫っすかね……」

「彼も気になるが、問題はツマリだ。彼女は自身の意図に反する形で、アダンの心身を傷つけすぎた。罪悪感は大きいことだろう」


そう言うと、クレイズは立ち上がり、元帝国兵と共に噂の火消しを始めるべく話し合いの場を開いた。





そして、その夜。


「何とか、終わったが……」


そうつぶやきながら、城内の中庭にある大きな樹に飛び乗った。

普段はあまり樹上で思索にふけるようなことはしないクレイズだが、この日は別だった。


「……月が、美しいな……」


そう思いながら、そっと空を見上げた。

クレイズは、アダン達と初めて出会った時のことを思い出していた。


「あの頃は……あの双子は憎しみの目が灯っていたが、仲が良い双子だったな……」


二人と出会ったのはそこまで昔と言うわけでもないが、急激なまでの兄妹の精神の変化を目の当たりにすると、クレイズも思わずため息を隠せなかった。

手をつないでともに森を歩いていたあの二人が、今は妹が兄を傷つけたことに責任を感じ、そして兄もそんな妹を見て自己嫌悪に陥っている。


「今はエルフへの憎しみも、理想の実現も忘れ、互いのことで頭がいっぱい、か……」


最近、アダンとツマリはエルフへの恨み言も言わなくなり、更にはすべての種族が平等に暮らせる社会の理想について語る機会も減ってきたことをクレイズは気にかけていた。


「まあ、元々仲間と言っても親しくはなかったのだろうな。そして、高邁な理想も周りに乗せられる形で語っていただけなのかもしれんな」


そう言いながら、昔自身が仕えていた陛下も口先だけで理想を語っていたことを思い出し、軽くため息をつく。


「ま、それは私も変わらないか……。結局、私も好敵手を探すために戦っているのだからな……」


そうつぶやいていると、下から声が聞こえてきた。


「どうしたんすか、隊長」


セドナだ。

慣れた様子で樹に上り、クレイズの座っていた枝の隣に座りこんできた。


「ああ、セドナか」

「当てやすよ。……あの兄妹のことでしょ?」

「そうだ……。なあ、覚えているか、セドナ? 初めて二人に会った時の夜のことを」


いくつかの会話の断片から、クレイズはアダンとツマリが実の兄妹ではないと疑いを持っている。

その為、クレイズは無意識に『兄妹』という言葉を使わなくなっている。


「ええ。隊長あの時は必死でしたね。ダリアークの姐御から逃げるために必死で走って……あ……」

「どうした、セドナ」

「そういや、皆さんの雰囲気があまりに重かったんで言い忘れていやしたが……。ダリアークの姐御も、あっしらと同じタイミングでディアンの町に居たそうっすよ」


それを聞き、クレイズは驚いたような表情を見せた。


「なに、それはどこで聞いたんだ?」

「ああ、それは先輩……じゃなかった、街の人から聞いたんすよ」

「そうか……」


その話を聴いて、クレイズは少し不安げな表情を見せた。


「あの女が居たのか……。まさか、また何か企んでいたのか……?」

「さあ。ただいずれにせよ、あっしらが遭遇しなかったのは幸いだったかもしれやせんね」

「そうだな……」


そう言うと、しばらく沈黙が流れた。


セドナが思い出したように答える。


「あ、そう言えば、あの二人に会った時も、こんな月明かりの下でしたね?」

「ああ。セドナにはあの時にも世話をかけたな」


セドナが兵士たちの治療に奔走していたことを思い出し、クレイズは労いの言葉をかける。


「へへへ、別にあっしは好きでやってることなんで……。ところで、あの時の話でしたが……今もまだ、あのお二人と決着をつけたいっすか?」


その発言に、クレイズはゆっくりと首を振った。


「いや……。もう、アダンは今までのようには戦えないだろう。それに……もしアダンが万全だったとしても、あの時のような戦いは出来ないだろうからな……」


そう寂しそうに答える。


「え、どうしてっすか?」

「お前たちが戦っているときの様子を兵士たちに聴いた。……あの二人は息があっておらず、ただ傑出した膂力と魔力に頼る戦いだった、とな……それであれば、私が戦って負けることはない」

「そんなもんっすか? けど、二対一なら勝てるんじゃないっすか?」

「私が本当に恐れていたのは……。あの二人の、寸分の狂いもない連携技だ。個々の力で戦われても、私の納得いく結果にはならないさ」

「けど、また訓練したら前みたいに戦えるってことはないんすか?


そのセドナの質問にも、クレイズは首を振った。


「いや、もう以前のように戻ることは無いだろう。……あの兄妹はもはや『二人で一人』ではない。心身の成長と共に、互いに別の道を歩み始めているからな」


そう言うと、クレイズはそっと月明かりを見つめた。


「結局、あの時の兄妹の強さは……互いを意識せず一つの人格のように接しあえていた時期であり、さらに体格が大人になりつつある、あの時期にだけ発揮できた、一瞬のものだったのだろうな……」


そうつぶやくと、腕を首の後ろに回し、空を仰いだ。


「じゃあクレイズ隊長? これからどうすんすか? まさか、また別の死に場所を探すなんてことは言いやせんよね?」


少し恐る恐ると言った様子でセドナが尋ねるが、アダンはハハハ、と軽く笑って答える。


「安心してくれ。さすがに私もそこまで愚かじゃないさ。それに、あの双子兄妹のこれからを見届けるのも……これからの生きがいにする、と言う意味では良いのかもしれんな……」


本心からの発言だろうがどこか諦観の念がこもった口調で、クレイズはそう答える。

セドナはその様子に苦笑して答える。


「アハハ。まるでクレイズ隊長、お二人の父親見たいっすね」

「父親、か。そこまで年は離れていないのだがな」


クレイズも『父親』と言う表現に少し複雑になりながらも嬉しそうに笑った。


「まあ、あっしとしては、もう死に急いでくれないだけで嬉しいんすけど……ん?」

「どうした、セドナ」

「何やってんすか、ツマリさんは……!」


遠くに見える窓に見えた景色に、セドナは驚いたような声を上げた。


「なんだ、いったい何が見えているんだ?」


この時代の夜は現代社会とは比べ物にならないほど暗い。

その上、距離にして100mほど離れているアダンとツマリの部屋の中など、常人の目には到底見える訳がない。

だが、セドナにはその二人の光景が見えるのだろう、驚いた様子で、その場面を目撃していた。

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