第32話 素直なことば

 数週間後、仕事の昼休みにスマホを見ると勝平からLINEが入っていた。急ではあるけれど加奈子と会うことになったようで、もしも都合がつくのなら莉帆にも一緒に来てもらいたいらしい。

『今日の夜、空いてる?』

「定時で上がれるように頑張ります」

 特に急ぎの仕事はなかったので、定時ぴったりにタイムカードを切れるように仕事のスピードを上げた。近くの席の先輩たちがどうしたのかと聞いてきたので〝勝平に加奈子の件で呼び出された〟と言うと、笑顔で仕事をいくつか減らしてくれた。

 勝平は休みだったようで待ち合わせ場所に一番に到着していて、仕事だった加奈子と莉帆はほとんど同時だった。平日の午後六時なのでお腹を空かせて帰宅を急ぐ人が多い時間だ。

「とりあえず──何か食べながらやな」

 近くの空いていた飲食店に入り、勝平と莉帆は並んで、加奈子は勝平の前に座った。

「中じ、あ──もう変わったんか?」

「うん、旧姓に戻ってる」

「じゃあ、ウスコで良いな?」

「……うすこ?」

 莉帆が加奈子と勝平を見比べると、加奈子が笑いながら説明してくれた。

「私の旧姓、臼井なんやけど、高梨君が子供のときに勝手に着けたあだ名。適当すぎるやろ?」

「確かに……かわいそう」

「やろー? やっぱり莉帆ちゃんは良い子やわ。ちゃんと分かってる」

「いかにも小学生の男の子がつけそうなあだ名」

 莉帆が笑うと勝平は少しむくれていたけれど、特に反論するつもりはないようで、すぐに本題に入った。

「ウスコ──あのな」

「うん? あ、あれやろ? 私に説教しようと思って呼び出したんやろ?」

「……話が早いな」

「わかってる。別に今さら、二人のこと引き裂こうとか思ってないから」

 あっけらかんと話す加奈子に、勝平も莉帆もペースを崩されてしまった。

「でもウスコ、莉帆に──」

「うん、ごめん。莉帆ちゃん、ごめんな。大人げないことしたな、って反省してた。確かに私は──高梨君のこと好きやったよ。なんなら今も好きやし。それだけは言わせて」

 笑顔で言いながら、加奈子は明るく笑った。

「でも、高梨君は全然気付いてくれんかった。アピールせんかった私も悪いんかもしれんけど。高校とか大学で彼女おったん?」

「──それ、いま言うんか?」

「良いやん、莉帆ちゃんだって、あんたと出会う直前までおったし。はい」

「……いた。けど、ほとんどが中身はあんまり見てくれんかったな。警察になってからは、さっぱり」

「自分から言ったん? 相手から?」

「半々くらいやな」

 勝平は気まずそうにしながら正直に話してくれた。だいたいが外見しか見ていなかったから、すぐに飽きて離れていったらしい。勝平は早くから警察官を目指していたので、遊ぶよりも勉強を優先させていた。

「ほら。高梨君は待ってるだけじゃなかった。莉帆ちゃんのときもそうやったんやろ?」

「──はい」

「でも私には──何も言ってこんかったやん。それって、私は女としては意識されてなかったってことやん?」

「そう、やな」

「つまり──悔しいけど、私は負けたってこと。そんな暗い顔せんといて。私ほんまに、二人のこと応援するから」

 加奈子は本当に勝平のことを吹っ切れているらしい。注文した料理が届き始め、それぞれの前に順に並べられる。

「ウスコ、ほんまやな?」

「うん、ほんま。それに──次もし恋愛とか結婚とかするんやったら、警察じゃない人が良い」

「……全く違う仕事の人ですか?」

「そう。同じ仕事って相談とかしやすいけど、疲れるからね。家でもずっと仕事の話で。莉帆ちゃん、周りに良い人いない?」

「ええと……四十手前のバツイチの人が、あ、でも、……勝平が警察とは知らんから、まず説明からせなあかん……」

 莉帆が思い浮かべているのは、鈴木部長の部下の小野俊介だ。

「あー、その問題もあるんやな。はは、もし言うタイミングあればよろしく」

「悠斗に着いていくとか」

「あ、その手があったか……いや、仕事は続けたいから無理。ははっ」

 それから三人で楽しく食事をして、勝平の子供の頃のエピソードを加奈子にたくさん教えてもらった。勝平は〝そんな話はするな〟と恥ずかしそうにしていたけれど、加奈子が話し出すと渋々補足説明をしてくれた。

 店を出てから加奈子は一番先に帰り、莉帆と勝平が地下街に残された。

「なんか、気にしすぎやったみたいやな」

「うん。でも、良かった。ありがとう、わざわざ呼んでくれて」

「まぁ──単に莉帆に会いたかったのもあるけどな」

「はは!」

 笑った拍子に莉帆は勝平と繋いだ手の力を強め、勢いのまま腕を絡めた。身長差があるので、勝平はほんの少しだけ莉帆のほうにバランスを崩す。

「莉帆、悠斗の送別会……服、決めた?」

「あっ、まだやった……そんな気にしたほうが良いん?」

「ちょっとだけな。仕事のあと来る奴はスーツやし。俺もたぶんそうやわ。佳織ちゃんには連絡ついた?」

「うん。佳織も服に悩んでた。あったかなぁ……何か買おうかな……あっ、その店、テーブル? 座敷?」

「確か、掘炬燵やわ」

 それならスカートでもパンツでもどちらでも良さそうだ。周りがスーツなら黒っぽい服が良いのかとか、それは後で着る機会が来なければ勿体ないとか、色んなことを想定して悩む。

「好きな色で良いで。……何でも似合いそうやし」

「いやいや……好きな色でも似合えへんとかあるから。無難な色でも。特に着物は」

「そうなん?」

 莉帆が成人式の振り袖を選ぶとき、好きな色でもあった水色を試着してみたけれど、顔とのバランスもあってしっくり来なかった。キリッとするかも、と言われて試した黒に至っては、全く似合わなかった。最終的に選んだのは定番の臙脂えんじ色で、好きな水色は帯締めに取り入れた。

「勝平こそ、何でも似合うやん。スーツは似合うし、制服だって似合ってるし、私服もなんでそんなセンス良いん? 去年のクリスマスなんか……ほぼコートしか見てない状態でも格好良かったし……」

「はは、あの日は敢えてそうしたな。したと言うか、何着るか悠斗に決められたわ。モテそうな服にしろ、とか言われて……別にそんなん良いのに」

「……悠斗さん、私が行くって知ってたから、そんなことしたんちがう? 結果──狙いどおりになったみたいやし」

 莉帆は勝平を見上げ、えへへ、と笑った。

「あ──そういうことか。あいつ……」

「今年も出るん?」

「そのつもり。悠斗は最後やし……莉帆、来てくれるよな?」

「うん。今年は、座ってゆっくり聴く!」

 可能なら一番前で、都合が合えば加奈子も誘おうか。

「来年は──どうするん? 今年で最後?」

「どうしようかな。一人で出るのもな……莉帆、一緒に出るか?」

「ええっ? 無理無理!」

「そんなことないやろ? 楽器やってて音痴って聞いたことないし……。そうや、最初の約束……結局、カラオケ行けてなかったな」

「……忘れてた。懐かしい……。もう一年経つんかぁ。早いなぁ」

 勝平が警察官だとわかる前、約束していてドタキャンされたときだ。

「もし、俺が警察って分からんまま何回もドタキャンしてたら、どうしてた?」

「うーん……会うのやめたかなぁ。でも、代わりの日を言ってくれてたらそうでもないか……あの頃には、勝平のこと気になり始めてたから……なんとか良いように考えようとしたかなぁ」

 莉帆はしばらく考えた結果、勝平のことを嫌いにはならなかっただろう、という答えしか出なかった。出会った頃から安心感が大きくて、悪い人には思えなかった。

「やっぱり莉帆は、顔じゃないんやな」

「顔? 勝平の? ……顔より、勝平の素直なとこが好き。あっ、顔も好きやけど」

「俺、素直か?」

「うん。何でも遠回しじゃなくてストレートに言ってくれてた。勝平の気持ちが分かりやすくて……」

 旅行のときは落ち込んでいたので気にする余裕はなかったけれど、佳織に言われて気にするようになって、悠斗にも〝勝平は俺より純粋だ〟と言われて、実際に勝平は莉帆への気持ちを素直に口にしていた。

「そうやったかな……。莉帆──これからも、よろしくな」

「ん? うん。どうしたん、改まって?」

「いや……なんとなく」

 勝平は車で送ってくれると言ったけれど、彼も翌日は仕事なので莉帆は電車で帰った。いつの間にか普段の就寝時間を過ぎてしまっていたけれど、なぜかとても幸せで布団に入ってもなかなか眠れなかった。

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