王の落胤


 船へ戻る歩調を速めたその時だった。

 「ラルフ!」

誰かが名を呼んだ。

「デュドネ!」


 王党派の知人だ。彼はユートパクスの貴族で、処刑寸前でアンゲルへ亡命した。亡命には、ラルフも少しばかり手を貸している。


「久しぶりだな、ラルフ。ザイードから帰国したと聞いて、どこかで会えないものかと探していたんだ」

「連絡しなくて悪かった。今回はちょっと、時間がなくて」

「わかってる」

訳知り顔でデュドネは頷いた。

「だが、お茶を飲む時間くらいはあるだろう?」


 アンゲルに足を踏み入れた途端、ユートパクス人も紅茶党になったらしい。


「もちろんだよ、デュドネ」


 どうせ明日の朝までは身動きができない。古い友人の近況を聞くのは、異国に長くいた者の楽しみだ。

 にっこりと笑って、ラルフは同意した。





 ランデルアンゲルの首都の裏通りの小さなフラットに、デュドネは間借りしていた。小ぢんまりしていて清潔に片付けられてはいるが、これがユートパクス貴族の住居かと思うと、ラルフは複雑な心境になった。慎ましい住居は、祖国では、彼の家のごみ置き場ほどの広さしかなかろう。


 しばらくは、互いの近況や共通の知人についてのよもやま話が続いた。デュドネは、エドガルドと面識がなかった。彼は亡命貴族軍には入らず、絵を描いて暮らしていた。貴族の手すさびとして、芸術の教養が授けられていたのだ。他にも、語学教師や音楽教師、刺繍や裁縫などの手芸で口を糊している元貴族は大勢いる。いずれもかつかつの生活だと聞くが、幸いなことに、デュドネの描く絵は、ちょっとした値段で売れるのだそうだ。


「ところで君は、ブルコンデ15世の愛妾を知っているか?」

 一通りお互いの情報を交換し合った後、不意にパスカルが尋ねた。

「ブルコンデ15世か。処刑された16世の父君だろ? 彼には愛妾がたくさんいたらしいが、どの側室だ?」

 突然出てきた王族の名にきな臭さを感じながらも、ラルフは尋ねた。


「エルザだ。旧姓エルザ・ボワイユ、ナルボンヌ夫人だよ」

「んーと、なんとなく聞いたことがあるような……」

「彼女は、途中で宮殿から出されたんだ。ヴァンセンヌ侯爵夫人に嫌われて」

「それは……宮殿にはいられないだろうな」


 ヴァンセンヌ侯爵夫人は当時の国王ブルコンデ15世が一番寵愛し、信用していた寵姫だ。その彼女から嫌われたのなら、国王の愛妾として宮廷に残ることは難しかろう。


「エルザ・ボワイユについて、アンゲル人である君が知らないのも無理はない。宮廷を追い出された彼女は、ロワネの地方貴族と結婚させられたから」

「その、エルザ? 彼女がどうかしたのか?」


 なんだかややこしいことになりそうだなと思いつつ、ラルフは問いかけた。


「いや、エルザはもう、死んでいる。問題は、彼女の娘だ」

「娘がいたのか」

「コラールと言って、エルザが宮廷から追い出され、結婚させられた後に生まれている。だが……」


デュドネは言葉を切った。ゆっくりと続ける。


「だが、生まれた子は、当時の国王、ブルコンデ15世の娘だと言われている。つまり、処刑された16世陛下の腹違いの姉上に当たられるのだと」

「ふうん。彼女の結婚後も、王とエルザは切れていなかったということか?」

「まあ、そういうことになるかな。たとえ自分の第一の寵妃の不興をかったからと言っても、国王自身が若い愛妾エルザを嫌いになったわけではないからな」


 デュドネの声は歯切れが悪かった。彼は清廉な男だから、愛妾だの、結婚してから生まれた元カレの子どもだのという話はしにくいのだろう。

 今、ユートパクスでは、民衆の名の元に、国内に残った王族はが次々と処刑されている。その凶刃がとうとう、王の落胤、コラールにまで向けられたのだと、デュドネは話した。首都を避け、ひっそりと田舎貴族として暮らしていたにもかかわらず。


「だから俺達は、彼女を亡命させようと計画しているんだ」

デュドネが打ち明ける。ラルフは意外に思った。

「デュドネ、君は、のんびり絵を描いて余生を暮らしているのではなかったか?」

「それは、理想。いいか。いやしくもユートパクス貴族たるものには、聖なる義務があるのだ。俺には剣を握って戦うことは無理だが、そうであるならば別の形で王に忠誠を尽くすのみだ」

「それが、ブルコンデ15世の娘の亡命か」

「協力してくれるよな、ラルフ」


 エドガルドをザイードに残してきた今でなければ、ラルフは二つ返事で承諾しただろう。いくら革命の大義名分があっても、無益な殺戮に正統性はない。そうでなくてもラルフは王党派の味方だ。

 もともと、国から与えられた任務に支障を来すことなど気にしたことはない。ラルフは、自分の思う通りに生きている。計画変更など日常茶飯事だ。

 だが、時期が悪かった。だって今は、一刻も早く、エドガルドに会いたい。


「すまん。今回は……」

「やはり血筋に疑問があるのか?」


ラルフのためらいを、デュドネは彼女の血統を疑っているからだと思ったらしい。


「なら言おう。コラール・は、間違いなく、ブルコンデ15世の娘だ」

「なんだって!?」

「君が疑う気持ちはよくわかる。だが、王の側近や彼女の母親の恋敵ライヴァルであったヴァンセンヌ侯爵夫人周りの人々の証言も得ている。何より、革命政府が彼女の命を狙っているのが、王の娘である証だ」

「そこじゃない。その前だ」

「前?」


デュドネはきょとんとした。


「コラール・と言ったな」

「ああ、言った」

「母親は、ロワネの地方貴族と結婚させられたと?」

「うん」

「ロワネの地方貴族。ユベール」

「アンリ・ユベールがどうかしたか?」


ラルフは飛び上がった。


「シャルワーヌの父親だ!」

「誰?」

「コラール・ユベールは、シャルワーヌの姉だ! ああ、なぜ気がつかなかったんだろう!」


 シャルワーヌの姉が、王の血を引いているらしいことは、ラルフも把握していた。彼が王弟達に従って亡命することを拒否し、革命軍に残ったのは、姉の存在があったからだということも推測していた。(*1)

 しかし姉の名前や具体的に王族とどのような関係にあるのか、ラルフは知らなかった。


「シャルワーヌ? ああ、コラール姫の弟か。革命軍の将校をやってる裏切り者だ。ラルフ、君、よく知ってるな。だが、二人の間に血の繋がりはないぞ。コラール姫は王の娘で、シャルワーヌは、王の愛妾だったエルザの死後、父親が再婚した後にできた子だからな」


 語るも汚らわしいという風に、デュドネは吐き捨てた。王党派の彼にしてみれば、革命軍の将校として国に残るなぞ、王への裏切りもいいところだ、ということだろう。

 同じ責めを、シャルワーヌは常に背に受けている。同時に革命軍の中にあっては、貴族であるがゆえに、派遣議員達の疑惑の眼差しに晒され続けている。だから実力者オーディン・マークスの傘下に下るしかなかったのだ。

 憎い男ではあるが、初めてラルフは、彼を哀れと思った。


「その話、詳しく聞かせてくれないか」

一瞬のためらいの後、ラルフは口にした。

「そう来なくっちゃ」

デュドネはにやりと笑った。







________________】

*1

 Ⅱ章「向けられた剣」参照下さい


※シャルワーヌと姉コラールの人物相関図です

https://kakuyomu.jp/users/serimomo/news/16817330668054251997









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