<37> 第一の瑕疵・“祭来領域”クリスマス
ヒミカが王都へ辿り着く頃には、すでに城下町は大混乱の様相だった。
開け放たれた街門からは、街の外の平野に向かって、着の身着のまま、人々が流れ出していく。
当たり前だが門番など既に存在していない。居たら踏み潰されたか跳ね飛ばされているだろう。
ヒミカたちは仕方なく、壁をよじ登って街に入った。
そして、壁の上から街の中心の城を見て、唖然とした。
「何よ、あれ」
巨大な肉の人形、としか言えない何かが、居た。
獅子のたてがみの如き、赤く長い体毛が、頭部や身体の所々に生えている。それは目を細めてぼかしてみれば、赤い帽子を被ってマントを羽織っているようにも見えた。
それは今、城から街へ出ようとでもしているのか、長い腕をデタラメに振り回して城壁を内側から壊していた。
弓や魔法、大砲までもが次々撃ち込まれているが、全く堪えた様子が無い。
『オオオオオオオ!!』
肉の人形が咆えた。
ヒミカは背筋が凍り付いたかと思った。
良くない。あれは、ただただ、良くない。
人が生きる営み全てを冒涜する、人とは異質な何かだと、ヒミカは本能で感じ取った。
「急ぎますよ!」
「合点!」
フワレは玩具のような、自分サイズの箒を取り出し、それに跨がって飛んだ。
残り三名は、城下町の建物の屋根を飛び渡って王城へ真っ直ぐ走った。
すぐ下では、大路に路地に、押し合いへし合い逃げ惑う人々が溢れている。
潰されている人が居ないか気になったが、救助や避難誘導をしている場合ではないという予感を、ヒミカはひしひし感じていた。
まず、あれをどうにかしなければ、全員死ぬ。
「皆さん、ご無事ですか!?」
「あっ、え!? 賢者殿!? 殿下!?」
四人が城壁上に飛び乗ると、そこで必死の抗戦を続けていた騎士たちが、驚いた様子で出迎えた。
王城を守る城壁とて、結構な高さ。だがそこから見上げても、おぞましい肉人形は見上げるほどの巨体だ。
動きは鈍い。しかし、どれほど攻撃を叩き込まれても平然と無視して、デタラメに攻撃を繰り返している。
別に、城壁上に居る者を狙っているという様子も無い。ただ目の前の邪魔なものを破壊しているだけだ。
むっと、腐った肉の香りが漂ってきてヒミカは顔をしかめた。
「一体何があったんです!?」
「分かりません!
城が崩れたと思ったら、急にあの化け物が現れ……」
『オオオオオオオ!!』
肉人形が咆吼した。
間近での大咆吼は鼓膜を破らんばかりの圧力。そしてそれ以上に、魂にヤスリを掛けるような怖気を誘った。身体の弱い者ならこれだけで心臓が止まって死ぬだろう。
だがヒミカは辛うじて、肉人形を観察する余裕があった。
……そもそも、肉を捏ねて大雑把に人の形にしたような物体で、頭部に当たる場所には顔も口も無い。では、こいつはどうやって咆えているのか?
いや……何が、咆えているのか?
「ヒミカさん、あれ!」
フワレが肉人形のみぞおち辺りを指差した。
まるで胸像を埋め込んだかのように、人の上半身が突き出していた。そこには服の残骸がへばりつき、乱れた鷲髭の顔にある全ての穴から血が流れている。
「なんか人がくっついて……
いや、あれ、王様じゃないの!」
「陛下……!」
化け物に取り込まれたのだろうか。
いや、あるいは……
この化け物こそが、ミロス王なのか?
「で、殿下、賢者殿……お逃げください……!」
足下から、かすれてすり切れそうな声を張り上げる者があった。
城壁の内側からヒミカたちを見上げ、一人の近衛騎士が声を上げていた。
彼の半身の鎧は恐ろしい力で潰され、ひしゃげていた。右腕ももはや役に立たない様子。彼は自分の剣に縋ってどうにか歩いていた。
「酷い怪我を……! 大丈夫ですか!?」
「わ、私のことは結構……それよりも、早く、お逃げください、遠くへ……
あれはもはや、陛下ではありません!」
近衛騎士は身を震わせ、言葉を絞り出す。
「クリスマスそのものです!」
『HOOOOOOOOOO! HOOOOOOOOOO! HOOOOOOOOOO!』
ミロス王の咆吼が、ただの絶叫ではなくなった。
『メリィィィィィィィイ!! クリスマァァァァァァス!!』
その雄叫びが合図だったかのように。
空が赤く染まり始めた。夕焼けよりも、尚赤く。酸化して黒ずんでいく血のような赤色に。
クリスマスの赤、サンタクロースの赤である。
赤く染まった空から、手が、現れた。
どこから延ばされているかも分からない、王城の尖塔より巨大な赤と白の腕が、ミロス王の肩を掴む。
ただの肉人形だったそれから、赤と白の体毛が爆発的に発生した。その姿はまるでサンタクロース。曖昧だったフォルムも、鋭く研ぎ澄まされた柊の葉のようにスマートに変化していく。
「まさか、魔王誕生の予言とは、このことだったのか……?」
フワレは、それを見上げて呆然と呟く。
「あれこそは第一の瑕疵、祭来領域『クリスマス』。
今は陛下の内側にクリスマスが展開されている状態ですけれど、あれは所詮、卵か蛹のようなもの。
クリスマスが陛下の殻を破って羽化したとき、この世界の全てがクリスマスと化して、血と臓物の海の中で焼け落ちて破滅するんです!」
「この世界のクリスマスって一体何なの!?」
仮にそれが何であったとしても、存在してはいけないものなのだということだけは、ヒミカにも分かった。
「どうすればいいの!?」
「もはや、選定の儀がどうとか言ってられません。この場に居る勇者候補、つまりヒミカさんがあれを蛹のうちに倒すしかないです!」
「分かった。あれの弱点は?」
即答するヒミカに、フワレは目を丸くしていた。
「どしたの?」
「……いえ、やはり頼もしいなと」
「なんか今なら許されそうだからモフモフ3セット予約」
「ひえっ」
フワレは錐揉みに身震いして、それから何か変なものを取り出した。
フワレが丁度持てるくらいの小さな箱だった。謎の突起が付いている。
「今ここで、このまま戦うべきではありません。
勇者の神殿へ向かってください。そこに勇者の装備が保管されています!」
「装備! いつかの鎧の本物か!
それ使えばいいのね!?」
「はい。代々伝わる、
説明しながらフワレは、謎の箱の謎の突起を押した。
ぽちっ、と素敵な音がした。
直後、城壁が揺れる!
「きゃっ!
今度は何よ!?」
新手か、それともクリスマスがまた何かやり始めたのかとヒミカは思ったが、違った。
城壁の一部、不自然に膨らんだ瘤のような部分を内側からブチ割って、鋼の巨人が姿を現したのだ。城壁の内側に隠れていた……いや、格納されていたものか。
外見はまるで、巨大な全身鎧。
現在のクリスマスと比較して、頭一つ小さい程度のサイズだ。
巨人用の鎧ではない。実際、中に歯車や油圧シリンダーが詰まっているのが、装甲板の隙間から見て取れる。だいいち、よく見れば四脚四腕の、蜘蛛の如きフォルムではないか。
ヒミカは、同じような物体と以前戦った。ゴーレムだ。それも、人が乗り込んで動かすための。
「こんなこともあろうかと、建国王陛下が用意していた決戦魔動兵器です!」
「どんなこともあろうかと思ったのよ! 現に役に立ってるけど!」
「ヒミカさんが戻るまで、私が時間を稼ぎます」
「……まあ、たかが犯罪組織が巨大ロボ持ってるんだから、国が持っててもおかしくないか……」
フワレが箒に乗って、巨大ゴーレムの頭の脇に横付けすると、その頭部は炊飯ジャーの蓋みたいにパカッと開いた。
やっぱりここがコクピットらしい。しかも本来の座席の上に、フワレサイズのチャイルドシートみたいな補助座席が括り付けてある。
乗り込んでベルトを締めたり、あちこちに鍵を突き刺したりしながら、フワレはヒミカに声を掛ける。
「選定の儀を前に、既に、鎧を扱う工匠たちが神殿に居ます。
……なるべく、お早く!」
「了解!
それまで死ぬんじゃないわよ、フワレちゃん!」
「もちろん!
妻子を悲しませるわけにはいきませんからね!」
鋼の巨獣が動き出す。
無機質な横一文字のスリットアイに、緑白色の光がともり、全身の歯車がうなりを上げる。脚部にバーニア光にも似た、重力制御魔法の魔方陣を浮かべ、巨大ゴーレムは意外なほど軽い動作で舞い上がる。
そして、城下方面へ向かおうとするクリスマスの対面に、関節部のシリンダーを鳴らして重く着地。
四本の腕に超大型破城ブレード、魔力投射式
『メリィィィィィィィイ!! クリスマァァァァァァス!!』
『陛下……いかなる経緯があろうと、その後何があろうと、私を賢者に任じてくださったのは、あなたです。
そのご恩、あなたの国をお守りすることで、今、お返し致します!』
ヒミカは、もはや振り返らない。
戦いの場をフワレに預け、自らの役目を果たすため、走り出した。
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