<21> フワレの事情
その日の潮風は強く、冷たく、灰色をしていた。
「施錠学派の連中はだいたい、世界で自分だけ頭が良いつもりのバカで、出不精です。
街から近くて襲いやすい場所を私らが通れば、利口なやり方だと思ってこれを狙うでしょう」
セラは昨夜の内に、街周辺の地図を調べていた。
ヒミカにはよく分からなかったが、セラは地図を見ただけで、待ち伏せに適する場所は全て見当が付いたようだ。
その上で、怪しまれず自然に通れる経路を選ぶ。
ヒミカたちがカウンター攻撃を考えていると、気取られてはならないのだ。
「私らの次の行き先は、神殿で王宮の使いに伝えました。
これが施錠学派にも伝わっていると仮定して動きますよ」
港町を見下ろす丘を越え、林の端を抜けていく。
ヒミカは歩きながら、腰ベルトのホルスターの中身を確かめていた。
「にしても、フワレちゃんがそんなに邪魔なのかしら。
……施錠学派じゃなく、それに協力してる王宮の人らよ?
そりゃ私はフワレちゃんがいなくなったら困るし、用が済んだ後に私を始末するのも楽になるだろうけどさ」
「どっちかと言えば、ヒミカさんがどうこうって話じゃなく、私そのものを……始末したい人が居るんだろうな、って」
フワレはモフモフの腕(前肢ではない)を組み、眉間とマズルに皺を寄せていた。
「私は『賢者』の位を得て宮廷に居るわけですが、獣人が政治に関わることを良く思わない人間は多いんです。
我々を奴隷にできなくなる。災害が起これば助けなければいけなくなる。税金を人間より高くできなくなる……」
「そ、そんな当たり前の話すらも!?」
「当たり前ではないのですよ。
今は辛うじてそうなっていますが、これを当然のことにしなければなりません」
フワレは決して大げさに言う調子ではなく、今日の天気の話をするように、静かに平坦に、この国で獣人が置かれている立場について話した。
故にこそヒミカには、その問題がどれほど根深くて動かしがたいのか、感じられた。
それを聞いて驚いてしまったヒミカは、少しナイーブで脳天気だったのかも知れない。
地球でも、人間が人間に対して、それをしていた。いや、過去形では語れまい。状況がマシになっただけで、今も続いている。
まして獣人は、肌の色どころではなく姿すら違うのだから。
……思い返せば街の景色を見ても、フワレのような姿の獣人は、少なかった。居ないわけではないが、極めて少ない。人間ばかりだ。
決して獣人は、当たり前に人間と共に暮らしているわけではないのだろう。
「私は功と実力を以て『賢者』として宮廷に迎えられましたが、それは私だけの力ではないでしょう。
かつて死んでいった多くの同胞の上に、獣人を宮廷に迎えられる世界が実現したんです。
だから私は、何があっても地位にしがみつく覚悟をしてます。でなければ獣人は、宮仕えもできない準市民に逆戻りです」
「あのね、フワレちゃん」
「なんです?」
「そーゆー大事な事情は最初に話しなさい!」
「おぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」
ヒミカはフワレを背後から抱き上げて、腹毛を情熱的になで回しながら後頭部を吸引した。石鹸と乾いた犬と焼き魚の香りがした。
「どうせまた、事情を話したところで余計な心配を掛けるだけだとか、私に関わりの無い事情まで背負わせることになるとか、なんかそういうくだんないこと考えてたんでしょバカコーギー!」
「おっしゃるとおりでふぅ」
「そういう気遣いは今更だって言ってるじゃない。私はとっくに、この諍いに肩まで浸かってんだから。
それと、安心して。連中の悪巧みは、私がぜぇんぶメッチャクチャに引っ掻き回してやるんだから。……潰せるかは保証しないけど」
ヒミカはぐっと拳を握って見せた。
要するに、あのクソッタレな王様の企みをぶっ潰す理由が一つ増えただけだ。
青息吐息でようやくヒミカの魔の手を逃れたフワレは、ドリルの如く錐揉みに身体を震わせる。
「……ありがとうございます、ヒミカさん」
そして、胸に染み入る声で礼を述べた。
「私、ファンタジーな世界なら、コーギーちゃんが賢者でもおかしくないと思ってたのに。そんな壮絶で命懸けな話だったのね……」
「はは……私の次の世代のコーギーちゃんは、壮絶でも命懸けでもなくなると良いですね」
実際に命まで狙われているというのに、フワレは気負った様子も無い。
意志の力によるものだろうか。
彼は己の大義のために動いている。目的を達成するには生き延びる必要があるわけだが、その一方で、命懸けの覚悟はとうに固め、腹をくくっているのだろう。
どう足掻いても可愛いフワレの横顔が、ヒミカには凜々しく見えた。
「そしたら私も今は、コーギーちゃんのために命を張りましょう。
……居るぜ、気配の消し方も知らねえボンクラどもが待ち伏せてやがる」
セラが一言、低く、ナイフでも投じるように呟く。
ヒミカははっと息を呑み、足を止めた。
灰色の潮風が吹いていた。
街道は、色づき葉を落とす林を、脇に見ながら続いている。それ以外は、だだっ広い平原地帯だ。
襲う側は林の中に隠れることができる。逃げる側にとって草原地帯は、(どの方向へでも逃げられるが)隠れる場所が無い。
一方的な待ち伏せ攻撃をするなら『使える』場所だろう。
『ようこそ、我らが実験劇場へ!
歓迎しよう。知恵の簒奪者、賢者フワレよ!
ここで会ったが百年目だ!!』
「わ!?」
鼓膜と頭が割れそうな、大音量の声が響き渡った。
テレパシーとかではない。音を操る魔法によって拡声された声だろう。
枝の折れる音が、林の方から聞こえてきた。
そして、何かが盛り上がった。
「うわお」
曇天下でも燻し銀の輝きを放つ、金属製の巨体。
それは、一言で言うなら巨大ロボだった。まあ、動力は魔法なのだろうから、この世界における定義としては『ゴーレム』と呼ぶべきだが。
枯れ葉と枯れ枝の色をした、巨大な迷彩シートを撥ね除け、背中から引っ張られるような態勢で、巨大ゴーレムは身を起こす。
林の木々を遙かに超える、見上げるほどの大きさだ。林の中にじっと伏せて隠れていたらしい。その様子を想像するとちょっと笑える。
「なるほど。街の中にアジトがあるのでしょう。
そして、この距離ならゴーレムを
「あー、こういう奴ら、下水道とかに秘密基地作って喜んでそう」
やがてゴーレムが完全に立ち上がる。
それは鉄とも鋼ともつかない、不思議な輝きの金属でできている。胴体と頭部が一体化したずんぐりフォルムで、まるで卵に手足をはやしたような形だ。見ようによってはユーモラスかも知れないが、その卵に大砲とか、機械仕掛けの大弓が沢山くっついているのだから冗談では済まない。
『ふはははは! 足が竦んで逃げることもできないか!?
だがこの完全搭乗式・超大型戦闘ゴーレム“ボイルドエッグ”の真の恐ろしさは、一目見ただけでは決して分からぬ!
それを、たっぷりその身で味わってもらおうではないか!』
「名前ダセえ!」
ボイルドエッグが、一歩踏み出す。
全身鎧の
大地が揺らいだ。
その歩みによって林の木々は、まるで雑草のように何の抵抗もなく、掻き分けられ、踏み潰されていく。
相手が大きすぎて遠近感が狂うのだが、実際近づいてきてみれば、およそ身長15メートルほどはあるように思われた。
大きさは強さだ。これほどの体重を持つならば、ただのパンチやキックさえ、凄まじい運動エネルギーを備えた驚天動地の一撃となる。一方で、その質量は堅牢さにも転じる。多少の攻撃では小揺るぎもせぬだろう。
灰銀色に輝く卵が、太陽の光を遮って、ヒミカを見下ろし砲口を向けた。
「残念だったわね。今日の私は……チートデイよ」
それでもヒミカは不敵に笑い、腰ベルトのホルスターからフィッシュサンドイッチを抜き放った。
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