<8> 勇者の決意
嵐のような昼食戦争を終え、部屋に戻った二人は一休み。
フワレがどこからか美しい茶器を出してきて、日海花にお茶を出した。
「あらま、びっくり。グリーンティーだわ」
「お好きなので?」
「私の国を象徴するお茶は、緑茶だったのよ」
美しい磁器のカップに煎れられたのは、意外や意外、緑茶であった。香りも日海花が知るものに近い。
日本で慣れ親しんだ飲食物がこの異世界にもあるなら、辛くなったときに一息つけそうでなんだか嬉しかった。
「すみません、あまり良いお茶ではないんです。
公王国からこちらに向かっていた抹茶タンカーが海上で襲われて、そのためにいつものお茶を切らしておりまして」
「抹茶タンカー」
本当にこのグリーンティーが自分の知っているグリーンティーなのか、不安になるワードが飛び出した。
少々身構えながら飲んでみると、普通の緑茶であった。少なくとも、味は。
「それにしても、鮮やかなお手並みでした。
私までご相伴にあずかってしまいまして……本当によろしかったのでしょうか」
「いいのいいの。
せっかく料理を作るんだから、一緒に食べてくれる人が居るなら、その方がいいじゃーん?」
「ありがとうございます、美味しゅうございました」
「どういたしまして」
フワレは慣れた手つきで自分の分も茶を入れて、とがった
アンジェリカは使用人を余り寄せ付けなかったという。もしかしたら侍女の代わりに、フワレがアンジェリカにお茶の準備などしていたのかもしれないと、日海花はなんとなく思った。
「……私は栄養学の初歩の初歩に基づいてメニュー決めただけなんだけどさ、あのおじさん、仮にもシェフなのに、その程度も知らないの?」
「お恥ずかしながら、私にも何をおっしゃっているか全然分かりませんでした」
茶を飲みながら日海花は、気になっていたことを聞く。
「『健康のために、食べるものを考える』って考え方は一般的じゃないの?」
「食べるものを患者に指導するお医者様はいらっしゃいますよ。
先王陛下は病を得てから亡くなられるまで、ずっと果物を採るよう心がけておりました」
「なるほどね。そういうレベルなのか……」
日海花は苦笑とともに納得する。
ダイエットを始めるに当たって日海花は、まず栄養学の知識を集めることから始めた。
その過程で知ったことだが、現代地球の栄養学の始まりは、窒素の発見による影響が大きい。
もしこの世界が科学的手法を発達させぬまま、魔法の力で発展してきたのなら? 経験則を超えた、科学的な栄養学の端緒に、まだ誰も辿り着いていない可能性すらある。
「……目当ての体重になるまで絶食すれば、少なくとも痩せることはできるでしょ」
「それはそうでしょうね」
「でも、それでは美しくも健康にもなれない。
ならばどうすれば、美しく健康に痩せることができるか。
私たちの世界では、多くの人々の願いと欲望を束ねた、大いなる研究課題になっている。
その実践がダイエットなのよ。私は一応、その専門家ってわけ」
フワレはもともとつぶらな目を更に丸くして、舌と牙の間から感嘆の吐息をついた。
「すごい……
基底世界にはそのような文化があるのですね」
「ま、その実、オカルトと詐欺が蔓延る魔窟でもあるんだけどねー」
肩をすくめて日海花はおどけた。
ダイエットを始めてからというもの、web上のターゲッティング広告が詐欺的なダイエット製品ばかり見せてくるようになって、随分不快な思いをしたものだ。簡単にできるダイエットを謳い、変なブームを起こす怪しい専門家も居る。
自分で考えるのも空腹に堪えるのも嫌だが痩せて美しくなりたいというカモが、いつの時代も山ほど居るから、それが商売になるのだ。
しょうがないなと日海花は呆れつつ、ダイエットという概念にこれだけの人が踊らされているのは、それだけ力があり、惹き付けられるからだとも思う。ダイエットには人を狂わせる、魔性の力がある。
「私は元の世界で、アンジェリカ姫ほどじゃないけれど、結構なおデブだったの。
だけど私はダイエットを完遂して…………」
そこで、終わった。
終わったというのは、事故で死んだという意味でもあるし、人生において次が繋がらなかったという意味でもある。
次の一口を飲めなくて、日海花はティーカップをテーブルに置いた。
「同じ事をするだけ。この世界で、この身体で」
もし運命を司る神とか悪魔とか宇宙的恐怖とか、なんかそういうのが存在するのだとしたら、そいつは残酷で慈悲など持たないが、気まぐれで自分にもう一度チャンスを与えるくらいはするのだろうとヒミカは思った。
痩せて健康になれれば、『アンジェリカ』の未来には光が差す筈。
そんなアンジェリカの器に宿す魂として、ダイエットの経験者である自分が呼び出されたのは、パズルのピースがピタリと嵌まるような符合だった。
「私はあなたの前途に力を尽くします、勇者様」
フワレは胸に手を当てて、力強く頷いた。
「ありがと、フワレちゃん」
今のところ日海花にとって、この世界で味方と呼べそうなのは彼一人だ。だが、なんと頼もしいことか。
「ところで……その『勇者様』っての、なんかしっくりこないから、別の呼び方ってお願いできる?」
「は、はあ。どのようにお呼びすれば?」
「私の名前、日海花、っての。
だからそう呼んで」
「ヒミカ様、ですか。
不思議なお名前ですね」
「私の国の言葉で、太陽に海に花よ。綺麗なもの三種盛り!」
「そうだったんですか、素敵です!
では、ヒミカさん、と」
フワレに名前を呼ばれて、ヒミカは遂に限界を迎えた。
きょとんと首を傾げるフワレを抱き寄せ、抱き込み、後頭部を吸引したのである。
「おぼぼぼぼぼぼぼぼ」
「あー、もふもふ」
* * *
そして、夕刻。
「ったくよ……俺はグラトフス帰りなんだぞ……なんで豚姫様の、それも替え玉なんぞのために……」
昼食の顛末で匙を投げて、何もかもどうでも良くなって酒を飲みに行ったコックに代わり、ヒミカとフワレは厨房に立っていた。
まるで食器棚みたいな外見だったからスルーしてしまい、昼食を準備したときには気づかなかったが、驚いたことに、未知の原理で中身を冷やす魔法の冷蔵庫まで厨房には備えられていた。
夕食のメニューと栄養バランスを考えつつ、ヒミカは冷蔵庫を物色する。
「妙に海産物が豊富じゃない?」
「海産物は今、値上がりしていて贅沢品なんです。
主要漁場の一つが、タンカーから流出した抹茶で高濃度茶漬け汚染状態ですので」
「私の知ってる抹茶じゃないわね。
……ま、いっか。あるものは遠慮無く使いましょ」
ヒミカは食材を物色した結果、トマトのような形と香りをした、紫マーブル模様の野菜を発見。
まあ厨房にあるんだから毒ではないだろうと、未知の野菜を白身魚と共に鍋に入れて、スープにした。スープは良い。食べたいものを全部入れて煮込むだけで完成するし、煮ている間は手が空いて別の作業に当てられる。
ダイエットメニューは簡単に作れる方が良いのだ。食事制限中は料理の気力さえ減退するからだ。
お行儀悪く、厨房に資料を持ち込んで、ヒミカは計算を続けた。
「ヒミカさんは本当に勇者を目指すつもりですか?」
書庫から持ってきた、過去の戦いの資料を読みつつ、フワレが言った。
彼は『
「うん。だってこのままじゃ、勇者選びの儀式とかってのが終わるなり、始末されそうじゃない」
「そ……うですね、楽観しても仕方が無い。
そういうやり方で来る可能性はあると、私も思います」
フワレは、あの王様の家臣だ。主君に対して本来こんなことを言ってはならないのだろうが、それ以上にフワレは論理を重んじる話し方をする。そしてヒミカに対して不誠実な誤魔化しはしなかった。
「もちろんそんなことにならないよう、私は力を尽くしてヒミカさんを守ります」
「ありがとうフワレちゃんモフモフ1セット予約」
「ひえっ」
哀れなコーギーは座った姿勢のまま垂直に飛び上がった。
「私はマジで勇者になったるわ。
そしたら少なくとも始末とかできなくなるでしょ。
後のことは……その時に考える!」
「……勇者選定の現状に関してですが、次期勇者はヴェルダンテ公王国の第二王女殿下に内定しております。
魔王との戦いと申しましても、勇者という位は象徴として形骸化して久しく、七王国の政治的折衝によって導き出されるものとなっているんです。
これを個人の魅力で覆すことは正直なところ、至難でしょう」
「上等じゃん。
だったら強くて美しい完璧な勇者候補になって、それを国中に知らしめるのよ。本物の勇者様より私の方がいいって言って、味方になる人が絶対出てくるから。
そしたら少なくとも、全員敵みたいな現状よりはマシだし」
身を守る力とは、武力のみに非ず。
それが友人であれファンであれ、多くの味方を得ることは、困難を乗り越え遠ざける力になるのだと、ダイエット配信者は知っていた。
どうせこのままでは死ぬか殺される。なら、滅茶苦茶に暴れてやろう。
「でしたら、最初の目標は半年後ですね。
かつて初代勇者が魔王を討伐した日、平和節のお祭りです。
各国で勇者候補が国民にお披露目されて、その後に選定の儀があるんです」
「半年か……」
きついと言えば、もちろんきつい。
太りすぎて死ぬ寸前まで行った肉体を、半年で見られるようにするのは、かなりの無茶だ。健康を保った上で痩せる必要があるわけだが、本当に急激なダイエットというのは、どうしても健康を損なうやり方になる。
だが。
「やるしかない、わね。やってやるわ。
この身体、パーフェクトに仕上げてやるんだから」
土俵入りする横綱のように、ヒミカは己の腹をひっぱたいた。
そして、それから。
煮込みながら放置していた、鍋の方を見る。
「……ところで、あれって何?
鍋の魔神? シチューの恩返し? インチキおじさん?」
紫マーブル模様の汁を被った男が、鍋の中から顔を出していた。
人が入れるようなスペースなど無いはずなのに、まるで鍋の底が抜けてそこから頭を突っ込んでいるかのように、男が一人、シチューの鍋から顔を出してコトコト煮込まれていた。
「逃げましょう」
「うん」
フワレとヒミカが頷き合った直後、厨房は大爆発を起こした。
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