<6> “聖餐契約”
アンジェリカ姫は、最初に日海花が王様に引き合わされた、森の離宮を普段の住まいにしていた。
王宮を離れてきままな一人暮らし……ではなく、もちろん使用人は居たわけだが、本来こなすべき国事も付き合いも全てなげうって勝手をしていたようだ。
ひとまず日海花も、その離宮に滞在することとなった。王様とて、姫が偽物にすり替わっていることは周囲に隠したいだろうし、離宮は隔離場所として好都合なのだろう。
その離宮には図書館のような、ご立派な書庫があった。
これは別に、アンジェリカ姫が本を集めて作ったのではなく、王家が代々受け継いでいるもの。支配階級にとって書庫を作ることは、民草を導く知恵の証明なのだ。
そして、書庫に収められるのは、小説や学術書ばかりではない。
「これが、過去に同じ『
フワレは自分の身長より高いくらいの本の山を持ってきて、机の上に積み上げた。
書庫には、種々の記録の写しや、名鑑も収められていた。
その中には過去の勇者や、勇者ならずとも魔王と戦った勇者候補たちの足跡も含まれていたのだ。
日海花は『勇者名鑑』なる本の、栞が挟まれたページを開いてみた。
人間よりマトリョーシカに近い何かの肖像画があった。
日海花が過去の記録について調べたいと言ったら、フワレはすぐに本を集めてきた。
異様に手際が良い。きっとフワレは自分でも記録を調べていたのだろうと、日海花は見当を付けた。
「おそらく他にも同じ『勇者異能』を発現した方はいらっしゃるのでしょうが、記録に残っていないということは、全く表舞台で異能を使わず生涯を終えたか、記録に残らないほど些細な能力レベルだったか、その両方でしょうね」
「十分よ、ありがとう」
「それと……」
フワレは寸の間躊躇い、それから小さな本を取り出した。
「姫様の遺されたものです。
日記と言いましょうか、雑記と言いましょうか。
何か分からないかと部屋を調べましたところ、埃を被った机の奥から、こんなものが」
「……読んでいいの?」
「読んでみるまでは、なんとも……」
フワレ自身は、どうも踏ん切りが付かない様子だった。日海花に決めてほしいのかも知れない。
日海花はわりと躊躇わずに日記を開いた。
やはりその文字は日本語でも英語でもなく、しかし、何故か日海花は理解できた。
恐ろしく達筆な文字で、日記とは言いがたい無機質な記録が記されている。
食べたものの詳細な記録だった。
ポテト・プディングから
「日付からすると、五年前のものです」
「これは……まさか、食事制限?」
素人の勘違いダイエットにありそうな話だと、日海花はピンと来た。
断続的に過激な食事制限をしているのは、根性が無いからではなく、方針の立て方を知らないからだ。
「ん? この欄は食べ物じゃないですね」
「重量挙げと走り幅跳びを、毎日記録してる。
それでこっちは……」
「『へそに薬草湿布』? 『花のゆで汁を飲む』? 『寝るときは左手薬指に布を巻く』……?」
「もしかしてこの世界の健康法?」
「は、はい。いずれも効果は疑問ですが、有名なものばかり……」
食事制限。自身の身体の状態の把握。そして健康法。
さらには、それを記録して研究する動機とは、何か。
「……さては、姫様は気づいてたのね。
ただ、そのノウハウを持ってなかった」
毎日欠かさず付けられていた、重量挙げと立ち幅跳びの記録は、乱高下を繰り返しつつも徐々に押し下げられていく。
詳細な記録は、半年で終わっていた。
唐突に記録が途絶える、最後のページには殴り書きの一言。
『無意味だった』と。
几帳面に付けられた全ての記録。そして自分一人が読むための文章すら……殴り書きすら美しい文字には、本物の品性を感じた。
堪えて堪えて、堪え続けて、何一つ諦めなかった真面目な優等生が、初めて本気でキレた。怒り嘆き絶望した。そんな心の動きが見えるかのようで。
――違う。あなたはやり方を間違えていただけ。誰も先人が居らず、教えてくれなかっただけ。
日海花はほぞを噛み、己の肉体を見下ろした。
つきたての餅のような肥満体だ。この、ままならぬ肉体を見て、アンジェリカは如何に無念であっただろうか。
「……姫様がこのようなことをなさっていたなんて、存じ上げませんでした」
フワレはアンジェリカの日誌を手に、ただ愕然としていた。
「知らなかったの?」
「これは五年前のものですが、私が『賢者』の位を賜り、次期勇者候補たる姫様のお付きになったのは、三年前でしたから」
フワレが知るアンジェリカからは、想像できない姿だったようだ。
おそらくアンジェリカはどこかで……おそらくは、この記録の最後で……痩せることを諦めたのだろう。そしてその後は放埒三昧になってしまったのだ。
何度もダイエットを失敗した人が、デブに悟りを開く姿を知る日海花だからこそ、聞くまでもなく分かった。
「その……何にお気づきになったか、伺ってもよろしいでしょうか」
「正直ちょっと自信なかったけど、姫様も同じ事考えてたなら大当たりかも。
この異能、本来の力を発揮しようと思ったら、使い捨ての運用じゃダメなんだわ」
日海花は『勇者名鑑』をめくる。
栞が挟まれたページの四人は、いずれ劣らぬ錚々たる贅肉の持ち主だ。名鑑に記されたバストアップの肖像画だけでも凄まじい迫力なのだから、その肉体たるや、いかほどのものか。
「名鑑の説明を見る限り、このチートの持ち主は、太ったせいでただ生きてるだけでもチートの力が必要になってしまって、チートの燃料にするため食べ続け、そのせいでさらに太るという負のスパイラルに陥って……死んでる、のよね」
「……おっしゃる通りです。
殿下の『
やがては己の命を繋ぐためにすら、異能の力が必要になるのです」
昼の訓練で、団長なる者もちらっと言っていたことだ。
おそらく今の日海花もそうなのだが、過剰な肥満による身体の不調を、チート能力で誤魔化して生きている。
だからこそ余計に太って、生き続けるためには更に大量の食べ物を摂取する必要に迫られてしまう。
「でもさ、それなら健康になればまた力を使えるわけじゃない」
「ですが殿下は……」
「失敗した。
もしかしたら過去の四人も、同じように試して失敗した経験があるのかも知れない。もしかしたら痩せることくらいは成功してたかも知れない。絶食するだけでも体重は落ちるんだもの。
失敗の理由は、健康の保ち方を知らなかったから……」
日海花は寸の間沈黙し、苦い唾を飲む。
令和の日本においてすら、迷信的な健康法が多数存在するのだ。
まして、発展途上世界の惨状たるや、いかばかりか。
飽食と絶食の往復ビンタで、額面上の体重を維持したところで、そんな無茶を恒常的にするようでは健康とは言えない。
そんなボロボロの身体で、
だからこそ『使い捨ての異能』だなんて言われたのだ。
だが。
もし、健康的に痩せることができたなら?
そしてそれを保つことができたなら?
「みんな、『食べれば食べるほど強い』っていう目立つ特徴ばかりに目が行って、それ以外まで考えられてないわ。
このチートの本来のスペックをまだ誰も知らない……」
アンジェリカ姫、享年16。
五年前の記録ならば、これを書いた頃の彼女は11歳。
そんな年端もいかぬ子が、誰に相談することもなく……おそらくは相談することもできず、導ける者も居らずに独り、己の命のことを考えていた。
勇者候補は、たとえ勇者になれずとも、勇者の仲間として共に戦うのだという。
それを拒否する選択肢は、アンジェリカには無かったのだろう。
「……姫様は私に対して、辛く当たったり、無茶をおっしゃる事が多い方でした。
ですが最期の夜に一言。
静かに……『もう食べ飽きた』と……そして何も食べず……」
「なるほどね……
本当の本当に限界が来る前に、姫様が諦めちゃったから……
今の私には命の猶予があるんだ」
書庫は魔法の明かりで朧に照らされている。
小さな窓の外は闇夜だ。空には首刈り鎌のような細い月が浮かんでいて、風がガタガタと窓を揺らす。
「……ねえ。どうしてみんな、勇者候補をよってたかっていじめてくるの?
私が偽物だからってわけじゃないわよね、あれ」
「これは完全にこちらの事情になってしまうので、お話しするのも躊躇われるのですが」
「今更でしょ」
「そうですね、すみません」
フワレは申し訳なさそうに、こんがりキツネ色の耳を伏せた。
迷惑が掛からないようにというなら、既に特大の迷惑を掛けているところなのだから、今更だ。
「我が国に、勇者候補として適齢で、かつ勇者たり得る異能を持つ王族は、政争に敗れた側室の娘以外に存在しなかったのです。
つまりアンジェリカ殿下以外、誰も」
「じゃあ、じゃあつまり、仕事はしてほしいけど、そのせいで人気者になったりしないよう恥を掻かせまくってるってこと?」
「簡潔にまとめますとそういうことです。
あなたがもはやアンジェリカ殿下でないとご存じの者たちはもちろん、異分子の影響力を排除しようと考えることでしょうし、仮に殿下ご本人だったとしても同じ話なんです。
殿下のお母様も、魔王との戦いの後のことを考えておられるご様子ですので」
日海花は怒りのあまり血の気も引いた。
それではアンジェリカには味方など居なかったようなものではないか。
フワレは表現をぼかしたが、アンジェリカの母すらも娘の死をダシにして影響力を得ようと画策している。この国はとっくにアンジェリカの死をスケジュールに組み込んで動いているのだ。
「バッカみたい……!
こんな国とっとと魔王に滅ぼされちゃえばいいんだわ!」
むちむちの手を日海花は握りしめた。
「……やるわよ、コーギーちゃん」
「はい?」
「ダイエットをするわ」
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