第50話 姫と騎士

「ねぇ、ちょっと」


 最後の客が帰り、床掃除を始めたところで藍田に声を掛けられた。藍田は先に着替えていたらしく、朝の私服姿に戻っていた。 

 きっと働きすぎないように、営業の途中で汐姉が指示したんだろう。そういうところは意外としっかりしている。


「掃除は後でちゃんとやるからさ。外で話そうよ」




 店の外に出ると、心地いい風が吹いた。梅雨が終わり、暑い日が続くようになってきたけど、夕方の時間はまだ涼しい。

 俺達は壁に沿って並んだ。


「私、あんたのこと認めてないの」

 藍田は目の前の道路を見つめながら言った。


「はいはい、分かってるよ」

「みーちゃんは小さい頃からずっと可愛くて、初めて会った時に本気でお姫様だって思ったことをよく覚えてる。でもあんまり可愛いから、一部の女子から嫉妬されたり、気を引きたい男子にちょっかいだされたりしていたの。そんな奴らから守るのが私の役割だった。私はみーちゃんだけの騎士ナイトになりたかったの」


 そう話す藍田の横顔はどこか凛々しく見えた。


「でも、中学卒業と同時にみーちゃんは引っ越すことになって……まさか離れ離れになるなんて思ってなかった。すごく悲しかったけど、せめて人見知りのみーちゃんに新しい友達が出来るように願いを込めて、リボンをプレゼントしたの。刺繍だけは得意だったから」


 いつも深恋がつけているあの刺繍入りのリボンは藍田がプレゼントしたものだったんだ。深恋が大切にしていた理由も2人の関係性を見ていれば分かる。


「高校に入学して新しい友達ができたって電話で聞いた時は安心したの。2年生になって、あんたの名前が出てくるまではね」


 そう言うと藍田は胸のあたりを押さえた。


「電話であんたとの話を聞くたびに胸がムカムカして、すぐに会えないこの距離がもどかしかった。今日、直接店に来たのだって、みーちゃんの言う『亮太君』を実際に見てみたかったからなの」

「それで、実際に見てどうだったんだ?」


 俺の問いに、藍田はハァっと息を吐いた。


「見た目も能力も普通。それでも、大人の男相手に一歩も引かなかったのは誰にでもできることじゃないって思った。認めたくはないけど、みーちゃんがあんたのことを信頼しているのもよく分かったし」

「そうなのか?」


 藍田がそこまで言うだけのことがあったのか、いまいちピンとこない。


「あんたを店の外に連れ出すように、みーちゃんから頼まれたの。まあ、私も少し言いたいことあったし。大事な親友を信用出来ない男と2人きりにすると思う?」

「まあ、そうか……」


 藍田は俺の方に体を向けた。そして真剣な瞳で俺を見つめる。


「みーちゃんがあなたを信頼しているなら、私もそうする。だからお願い、約束して。私が側にいられない間、あなたがみーちゃんの騎士ナイトになって」


 何年もの間、深恋のことを側で見守ってきたんだろう。簡単に会えなくなった今でもずっと親友のことを想っている。俺に頼むのは本心では不本意なのかもしれないけど、そう言ってくれた以上その気持ちに応えたいと思った。


「分かった、約束する。俺にとっても深恋は大切な存在だから」

「よかった……」


 藍田はほっとしたように優しい顔をした。なんだ、そういう顔もできるのか。


「これでみーちゃんのことを泣かせでもしたらただじゃおかないから、覚悟しておくように」

 優しい表情だったのもつかの間、藍田は悪人面でニヤリと笑った。一度深恋を泣かせたことがあるなんて知られたら、一体どんな目に遭うのか……


「あとはみーちゃんからの合図があるまでここで待機ね。他の人には聞かれたくない、3人だけの秘密の話があるんだってさ」

「へぇ……」


 そこで沈黙が流れた。俺に言いたいことは終わったらしい。


「まあ、深恋のことは安心してくれよ。クラスでは人見知りだなんて誰も気づかないくらい、周りと上手くやってるから。なりたい自分と本当の自分のギャップを埋めるのにはもう少し時間がかかりそうだけど、必ず実現するんだろうなって、近くで見てて思うしさ」

「そっか……あんたがそう言うならそうなんだろうね。ちょっと安心できた」


 藍田はふっと微笑んだ。


「これは私に関係ないから別にどうでもいいんだけどさ」

「なんだよ」

は自分が間違ってるってちゃんと分かってるから、あんまり責めないでおいてよね。不器用みたいだし、あんたの方から歩み寄ってあげなよ」

「彼女って誰のこと?」


 その時、コンコンと入り口のドアがノックされた。


「みーちゃんの話、聞かせてくれたお礼。すぐに分かるよ」

 そう言って、俺にくるりと背を向けると店の中に入っていった。

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