第9話 儀式の一つや二つくらい
廊下に出ると、俺たちを見てひそひそと話しているのがわかる。ただ、朝のような敵意はかなり少なくなった。さっきの深恋の話を聞いた奴が、もう新しい噂を広めてくれているのかもしれない。
屋上のドアを閉めて、ふっと息をついた。視線を浴びるのは慣れていないから疲れる。
隣に目を向けると、深恋は凛とした佇まいから、まるで風船の空気が抜けたように猫背になっていった。胸の前で両手をゆるく握り、深いため息をつく。
「はぁ……緊張しました」
そうだ。深恋だって注目を浴びるのは緊張するだろうに、みんなの前に立って騒ぎを収めてくれたんだ。
「ほんと助かったよ。ありがとう」
正直俺だけだったら、
でも高岸が動画の深恋を「変だ」と言った時に、体が勝手に動いていた。みんなの前に立って、柄にもなく喧嘩を売るような真似をした。深恋が話に入ってくれなかったら、もっと騒ぎを大きくしてしまっていたんだろう。
「いいえ。たった1人でみんなの前に立った亮太君はすごいです」
そう言って、屋上の手すりに寄りかかった。綺麗な横顔が眩しい。
「私、昨日の夜あの動画をSNSで見たんです。告白だなんて誤解されているのも、演じてない私が映りこんでいるのも苦しくて、どうしたらいいのかわからなくて……恥ずかしい話ですが、授業中以外はずっとイヤホンで耳を塞いでいました」
深恋は俺の方を振り向いて微笑んだ。
「だから私の方こそありがとうございます。すっごくかっこよかったです」
「そんなこと、ないけど……」
真っ直ぐすぎる言葉が照れくさくて、俺は顔を逸した。
「それにしても、あんな動画を撮って拡散した奴は誰だったんだろうな」
人気者でもない俺を貶めて得するような奴がいるとは思えない。ただ単に話のネタとして面白かっただけか?
「ネットでもみんな最初に動画を投稿したのが誰か分からないみたいでした」
「こんな騒ぎにまでなって、そいつのことだけは許せないな。深恋もそう思うだろ?」
「私は騒ぎさえ落ち着けばそれでいいかなと思っています。亮太君とは共通の趣味を持った友達ってことで、クラスでも話しやすくなったことですし」
「そうか……」
犯人を捜そうにも、きっと最初に動画を投稿したのは裏垢とか捨て垢とかそういうのなんだろう。本人が特定できるアカウントなら既にそいつの名前も挙がっているはずだ。ネットの海を漁って犯人を見つけ出すなんて真似は俺には出来ない。
納得はいかないけど、この件はこれで忘れてしまった方がいいのかもしれない。
「ちょっと気持ちを休ませることも出来たので、そろそろ教室に戻りましょうか。これから渚や理穂に説明しないといけませんから。もちろん、お仕事のことは言えませんけど」
そう言うと深恋は髪を結ぶリボンをキュッと締め直した。
「亮太君と二人っきりになると勝手に気持ちが緩んじゃうみたいです。ちょっと気合を入れる儀式をしてから教室に戻るので、亮太君は先に行っていてくれませんか?」
儀式……?
「ああ、分かった」
まあ誰しも他人には見られたくない秘密の一つや二つはあるだろう。
屋上を出て階段を降りたところで俺は足を止めた。今日の放課後、一緒に汐姉の店に行く打ち合わせをまだしていなかった。深恋はああ言っていたけど、ほとぼりが冷めるまではクラスで話したりしないほうがいいだろう。
屋上のドアをガチャっと開ける。
「私は出来る私は出来る私は出来る! 一ノ瀬深恋、ファイ……オー!」
勢いよく拳を天に突き上げた彼女の背中がぷるぷると震え出す。ゆっくりと振り向いた顔は真っ赤に染まっていた。
「りょ、亮太君の……バカァァ!」
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