逆賊令嬢は男装して希望の新王の従者となる ~正体を隠したい令嬢と彼女を大切にしたい青年王の聖杯を巡る旅~

綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売!

1 男装の逆賊令嬢は新王に引き合わされる


 腰まであった長い金髪を首のところでばっさりと切ったせいで、うなじがちくちくとする。


 それがささくれだった心をいっそう苛立たせるような気がして、セレスティアは小さく息をついた。


「緊張しているのか?」


 かすかな吐息が耳に届いてしまったらしい。前を歩く宰相のネベリスがちらりとセレスティアに視線を向ける。


 だが、冷水を連想させる湖水色の瞳には、気遣う光は欠片も見当たらない。


 約二カ月前、三十代半ばの若さで宰相の地位についた彼が、陰で『流血宰相』とも『冷血宰相』とも呼ばれて恐れられているのは、セレスティアも知っている。


 緊張などされていては困る。


 そう言わんばかりのネベリスの態度に、セレスティアは「いいえ」をかぶりを振った。


「慣れぬ髪の短さと服に、少し戸惑いを感じただけです」


 憂う事態は何もないのだと、淡々と答える。


「心配は不要だ。今のきみを見て、マスティロス公爵令嬢だと思う者はまずいまい」


 ネベリスの声が、豪奢だが無人の廊下に冷ややかに響く。


 大陸の中心に位置するオルディアン王国の王城。


 王族の私室へつながる豪奢な廊下を、セレスティアは王太子の婚約者として、何度も通ったことがある。


 だが、いまのセレスティアが纏うのは、公爵令嬢にふさわしい華麗なドレスではない。


 波打つ豊かな金髪は首のところでばっさりと短く切られ、地味な茶色に染められている。さらしで胸元を押さえた身体に纏うのは、白いシャツに藍色の膝下のズボンと同色の上着という王城の侍従の衣装だ。


 いや、セレスティアはすでに王太子の婚約者ではない。


 それどころか、逆賊の娘だ。一歩間違えていれば、王城を歩くどころか捕らえられ、幽閉されていた可能性すらある。


 見覚えのある重厚な扉の前でネベリスが足を止める。オルディアン王国の紋章である二対の翼で護られた聖杯が刻まれた扉の向こうは、王の私室だ。


 ノックし、おとないを告げるネベリスに、部屋の中からかすかな声が返ってくる。


 室内にいた文官が開けた扉をくぐり、セレスティアはネベリスのあとについて入室した。


 扉の向かいに位置するのは、王にふさわしい重厚な執務机だ。


 いくつもの羊皮紙の巻物や書状などが積まれた間に座し、書類にペンを走らせていたのは。


 まばゆいばかりの金の髪と、空の色を映した碧い瞳を持つ、見惚れずにはいられない美貌の青年だった。


 二か月前にオルディアン王国の国王として即位したばかりの十七歳の若き王・アレンディスだ。


 中性的な線の細い顔立ちは、神が手ずから造作したよう。手元の書類に伏せられたまなざしはまるで俗世を憂うかのようで、その憂いを晴らしたいという衝動を見る者の心に湧き上がらせる。


 形よい唇は口を開く前から天上の調べのような美声が紡がれるのだろうと予想できた。


「いと尊き国王陛下にご挨拶申し上げます。このたびの聖杯の旅に同行する侍従を連れてまいりました」


 ネベリスの声に、うっかりアレンディスに見惚れてしまっていたセレスティアは、はっと我に返って片膝をついて深く頭を下げる。


 緊張していたはずなのに見惚れてしまった自分が悔しく、思わず唇を噛みしめる。


 前国王の庶子という身分でありながら、アレンディスがさほど大きな混乱もなく即位できた理由がわかった気がする。


 宰相であるネベリスの辣腕らつわんが最たる理由に違いないが、これほど見目麗しい少年王が旗頭であったなら、さぞかし士気が上がったことだろう。


 アレンディスを見出し、新王として担ぎ上げたネベリスの手腕は感嘆するほかない。


 セレスティアの心のうちをよそに、ネベリスがさっそく本題に入る。


「陛下には、以前よりお伝えしていたとおり、明日から聖杯の旅に出ていただきます。わたくしも、神官長のエルメリス殿も同行いたしますゆえ、どうぞ、ご安心を」


「……わかった」


 異論は認めないと言いたげに決定事項を淡々と告げるネベリスに、書類にペンを走らせるかすかな音を響かせながら、アレンディスが短く応じる。


 セレスティアの予想に違わず耳に心地よい美声だが、澄んだ高い声かと思いきや、声変わりを終えた声は想像していたより低かった。


「この者は、本日は顔合わせのみでございます。明日以降は儀式の際におそばにお仕えさせていただきます」


 ネベリスの説明に、絶え間なく続いていたペンを走らせる音が初めて止む。


「……そうか。面を上げよ」


 アレンディスのまなざしが自分にそそがれているのを感じる。セレスティアは一度さらに深く頭を下げると、ゆっくりと顔を上げた。


 セレスティアの翡翠色のまなざしとアレンディスの碧い瞳が交差する。


 途端、アレンディスの碧い目がわずかに瞠られ、セレスティアの背中にじわりと冷や汗がにじむ。


 もしかして、マスティロス公爵令嬢だと早々にばれてしまったのだろうか。


 いや、ネベリスに見出されるまで平民として暮らしていたアレンディスは、セレスティアと逢ったことはないはずだ。


 それとも、少年ではなく少女だと見破られてしまったのだろうか。鏡を見た限り、自分では十三、四歳くらいの少年にうまく化けられたと思っていたのだが……。


 緊張に喉がひりつく。


 いきなり正体がばれたのだとしたら、いったい自分はどうなってしまうのか。

 何より、ネベリスと交わした約束は……。


 セレスティアには半刻にも思える時間が過ぎた後。


「名は、何と言う?」


 アレンディスの静かな声が問いを紡ぐ。


「セスと申します」


 あらかじめ、ネベリスと打ち合わせておいた偽名を告げ、これ以上、顔をじっくりと見られぬよう、恐縮しているかのように面輪を伏せる。


 ここで正体がばれて、アレンディスに拒否されるわけにはいかないのだ。決して、何があろうとも。


 幼い弟が家督を継いだマスティロス公爵家を守るために――。


 セレスティアは、男装して聖杯の旅に出なくてはならぬのだ。


 ――婚約者である前王太子を殺した、アレンディスの従者として。


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