第12話 死に戻り令嬢とプロポーズ
アンヘルは、ヴィオレータの手を取って歩きながら、穏やかな声で言った。
「ダルシア侯爵夫人からのご紹介と伺っています。どのようなご用向きでおいでになったのでしょうか」
「このような道すがらではお伝えできませんわ。どこか落ち着いた場所でおはなしできれば、うれしいのですけれども」
「難しい、ですね。ここからは、我が家のタウンハウスが近くはあるのですが、母は領地におりますし、さすがに男ばかりの家にレディをお連れできません。あいにく、私は王都の店には疎いもので、適切な場をご用意できそうにないのです」
腹を割った正直な告白に、ヴィオレータは微笑んだ。パウラ叔母のところに戻るのも手ではあるが、ひとつ、うってつけの場所を知っている。
「神殿の祈祷室はいかがですか? あちらなら、祭壇前に常に修道士がついていますし、人の出入りもありますから、ふたりきりにはなりません。祈りのことばに紛れて、話し声も目立ちませんわ」
「ああ、そちらなら、エストレラ公爵令嬢の名誉も守れますね」
了解を得て、それぞれの馬車で神殿に向かう。王都の大神殿は、貴族には馴染み深いものだ。出生の年、15歳を迎える年、婚儀、葬儀の際にはだれしもが訪れるし、領地を代表した豊作祈願に毎年参詣する者も多い。日々の細々とした悩みごとを抱えて足を運ぶ者もある。年配の紳士淑女の社交場としての機能も果たしていると聞く。
ヴィオレータはあまり信心深いほうではないが、15の成人祝いに神殿を訪れたときは、その荘厳さに足がすくんだのを覚えている。きらびやかな装飾もなく、どちらかといえば無骨。断面のざらついた大石が隙間なく積まれた壁は、そこがだれぞの権威を示すためではなく、ただ単純にひとの信仰が作り上げた神殿であることを肌にじかに伝えてくる。
ヴィオレータとアンヘルは神殿につくと、まっすぐに祈祷室にむかった。祭壇にむかって並べられた素朴な木の長椅子は、どれも磨き抜かれ、艶を帯びている。アンヘルは前から三列目の椅子を選ぶと、先にヴィオレータを座らせ、自分は通路を挟んだ隣の椅子に腰かけた。
祭壇の前にはひざまずくための場として絨毯が敷かれ、いまもだれかが祈りを捧げている。ヴィオレータたちの背後にも、幾人かがひそやかに会話しているのが見えるが、内容は聞こえてこない。やはり、ここならば、安心だ。ヴィオレータは深く息を吐くと、アンヘルのほうへ膝を向けた。
「端的に申し上げます。わたくしを娶っていただけませんか?」
直接に過ぎただろうか。ヴィオレータのことばを聞いたアンヘルは、ぽかんとして、動きを止めている。断られてしまうのかと不安になる。返答を待っていると、アンヘルは、ぼんやりした顔のまま、片腕を上げ、自身の頬を思いっきりつねった。
「ア、アンヘルさま?」
「……痛い。夢じゃ、ないんですね」
「ええ、お気持ちはわかります」
ヴィオレータとて、相手を驚かせている自覚はある。真っ赤になった頬の痛みに涙ぐむアンヘルに、そっとハンカチをさしだす。彼は礼を述べてそれを受け取り、感触を確かめるようにふちのレースを指でたぐってから、目元に押し当てた。
しばらくすると、気持ちも冷静になったか、アンヘルの顔つきがひきしまった。いくらか吟味したようすで、ことばを舌に乗せる。
「さしつかえなければ、私をお選びになった理由を伺っても?」
ヴィオレータは一瞬、口ごもりかけたが、ここで一目惚れなどと嘘をついても不誠実だと思い直した。
「明日には、別の婚約が決まります。そちらから逃れたい一心で叔母を頼りましたら、あなたをご紹介いただきました」
「やはり、ご事情がおありでしたか」
アンヘルは落胆した風もなくうなずいて、ヴィオレータの目をまっすぐに見た。
「あなたにとっては意に染まぬご婚約だとしても、公爵殿下が勧められる縁談に間違いはないと思います。それでも、僕の手を取っていいんですか?」
「はい。できましたら、このまま、神前で婚姻を結びたく存じます」
「──弱ったな」
両手で顔を覆い、アンヘルは小さくつぶやくと、今度こそほんとうに動かなくなった。ヴィオレータは彼の返事を待つあいだ、静かに目を伏せて祈った。
「──エストレラ公爵令嬢」
どのくらいの時間が過ぎたのだろうか。呼びかけられて目を開けると、祭壇前で祈祷していた人影はなくなっていた。まるで寝起きのような心地で隣を見やると、アンヘルが手を差し伸べている。何も考えずにそちらに右手を出して、ヴィオレータは我に返った。
アンヘルはヴィオレータのすぐそばに片膝をついていた。彼に預けた手は額におしいただかれ、そのまま口づけを受ける。素肌に触れた吐息に、痺れるような未知の感覚が背筋まで走る。
「私と、結婚していただけますか?」
真摯なまなざしに一も二もなくうなずく。アンヘルは緊張したようすでヴィオレータの顔を見つめている。安堵のあまり表情が和らいだヴィオレータに、彼は小さくささやいた。
「婚姻期間を決めましょう。二年です。領地にいらしていただく必要はありますが、王都との行き来は自由です。二年経ったら、私が夫の義務を果たさないとでも告発してくだされば、離婚理由に足るでしょう」
「……それでは、あなたに利益がありません」
すかさず言ったヴィオレータに、アンヘルは困ったように笑った。
「私はしがない田舎領主の子です。いっときでも公爵令嬢を妻にできるだけで、過ぎた幸運です」
そういうものかと思っているうちに引き立たされ、祭壇前に連れていかれる。修道士に婚姻の意思を伝えると、あっという間に用意がなされた。
こうして作成された二通の婚姻証明書は、その日のうちに両家に届けられ、上を下への大騒ぎを引き起こした。
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