第10話 死に戻り令嬢とキャベツ畑

「婚約者との夜会より、牛が大事に決まっているじゃないの! 領民の財産は、領主の収入源よ? 牛の分娩には、ひとの介助が要るのですって。うまくやらないと、母牛も仔牛も助からないそうよ」


 彼は領主教育の一環で数年ぶんの帳簿を見ていて、領内の酪農家の減収に気付き、理由を尋ねにいくつかの農家に実際に足を運んでみた。すると、各地で死産や母子ともに死ぬ事故が続いていた。売れるはずの仔牛や、毎年出産できるはずの母牛を失えば、その農家は収入が激減する。


 では、なぜ、事故が増えたのか。つきつめていくと、獣医師不足と介助技術が未発達であることが見えてきた。


 牛のお産の時期は重なる。獣医師が少ないため、すべてに立ち会うのは不可能だ。そのせいで、手を貸せば助かる多少の難産でも、牛の死に繋がっていた。新たな獣医師の成り手を探し、育成するには時間がかかる。それならば、並行して農家が自分たちで行える技術を教え、洗練させていくべきだと考えた。


「彼は獣医師の育成に奨励金を出すよう進言して、自身も医師に教えを乞い、何年も協力して、安全なお産の手業を編み出したんですって。でも、領民に普及するには実地で教えるしかないでしょう? 夜会の日、獣医師は別のお産についていたから、やむなく彼がみずから向かったと言っていたわ」

「──すごい、かたですね」

「ええ。覚悟があるでしょう」


 裏を返せば、彼の元婚約者には、領民の命をあずかる覚悟が足りなかったのだ。


「きらびやかな夜会も、婚約者の贈ってくれるドレスやアクセサリーも、領民の日々の努力の末に手に入るものなのよ。彼らが挫折しかけたときに、気づいて手を差し伸べなくて、何が貴族かしら」


 叔母は、よほど彼の元婚約者の発言が腹に据えかねたらしい。社交界の重鎮のひとりにこれほど嫌われるとなれば、そのご令嬢の行く末が案じられてならない。ヴィオレータは少々気の毒に思いながら、パウラの手元の手紙に目をやった。


 いまの話は、あの手紙に書かれていたのだろうか?


「ところで、叔母さまは、このお話をどなたから?」

「よその夜会に呼んでもらって、本人から聞き出したのよ。だって、女性側が流したうわさだけでは状況もよくわからないし、第一、不思議じゃない。なんでいきなり牛? って」


 一方の視点から誇張されたうわさばなしに乗っかると、思わぬしっぺ返しを食うものなのだと、パウラは言った。


 ヴィオレータは膝元に目を落とした。まさにいま、自分もそのうわさばなしに乗るところだったのだ。パウラが教えてくれなければ、この話の伯爵子息は、婚約者をおざなりにした男のままだっただろう。


 ──王太子殿下にも、何か、わたくしのエスコートができない理由があったのかしら。


 考えがよぎったが、いまさら考えても詮無いことだ。ヴィオレータはドレスの布地を指で撫で、自分に問いかける。


 ──わたくしには、すべてを背負う覚悟はある?


 あったはずだ。いずれ王妃となる身だったのだから。もし、いま無いとしても、覚悟するしかない。ヴィオレータは腹を決め、面を上げた。


「叔母さま、そのかたをご紹介いただけますか?」


 姪の決意のこもった申し出に、社交界の華は嫣然と笑った。




 パウラは、すぐさま伯爵家に連絡し、子息の予定をおさえてくれた。彼は幸いにも王都におり、王立研究所の分園を訪れていたところだった。


 研究所の分園ならば、ヴィオレータにも場所がわかる。そのまま留め置いてもらい、急いで馬車に飛び乗った。


 伯爵は、うわさと婚約破棄のせいで、息子にはもう縁談がないかもしれないと考えていたようで、パウラからの打診に目を白黒させていたそうだ。


 はやる気持ちをおさえて、揺れる馬車のなかで深呼吸する。けれど、振動は、胸のうちまで弾ませていく。


 パウラの口から、その名を聞いたときの驚きと言ったらない。紹介されたのは、アンヘルだったのだ。あの豊穣祭の日、窓から飛び降りたヴィオレータを介抱してくれたカルティべ伯爵子息である。


 ──こんな巡り合わせ、あるかしら!


 彼とは一度きりしか顔を合わせていないが、話の通じそうな気配があった。こんなに焦ってする結婚になど、特段期待していなかったが、アンヘルとなら、まともな家庭が築けるかもしれない。


 浮ついた気持ちで向かったためだろう。ヴィオレータは忘れていた。目的地である王立研究所の分園に日参していたのは、じゃがいも令嬢と呼ばれていたころの自分だ。そのことがすっぽりと頭から抜け落ちたまま、ヴィオレータは無防備に分園に足を踏み入れた。


「……まぁ、野菜畑だわ?」


 以前来たときには、ヴィオレータ主導の研究のため、燕麦が揺れていたあたりに、見慣れぬ青い葉物の畝が何本かできている。興味を惹かれて、整えられた通路から外れ、近寄ってみる。大きな野菜だ。濃い緑の葉が、まるで牡丹の花のように重なっている。


「キャベツかしら。知らなかったわ、こうやって育つものだったのね」


 腰をかがめ、まじまじと見入っていると、頭上に不意に影がさした。


「気になりますか?」

「ええ。キャベツがなっている状態は初めて見ました。どのように収穫するのか、どのくらいが適正な大きさなのか、存じませんもの」


 返しながら仰ぎ見て、ハッとする。アンヘルだ。しまった、こんな会話をする予定ではなかったのに!


 ヴィオレータの内心の動揺も知らず、記憶より幼い顔立ちのアンヘルは、上着の内ポケットから折りたたみナイフを取り出した。パチン、と刃を起こし、服の汚れも気にせずにひざまずく。開いた外葉を残して、丸い部分を刈り取ると、球体から、また何枚か固い葉をむしった。


「……慣れておいでですのね」

「なんでも、自分でやってみるのが性分なのです」


 さしだされたキャベツには土がついていたが、ヴィオレータは両手で受け取って、そのしっかりとした感触に思わず微笑んだ。


「重いわ! 道理で、キャベツ畑で赤ちゃんが生まれると言われるはずですね」


 はしゃいで口にしたことばに、アンヘルはたちまち首まで真っ赤になった。

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