第6話 じゃがいも令嬢と断罪イベント

 父はヴィオレータが遅刻したことに対して、何も問わなかった。足首を痛めたと白状した娘に腕を貸しながら、前を見据える。


「婚約を解消することもできるのだぞ」


 公務があるならばともかく、理由の説明もなしに夜会のエスコートを拒否する婚約者など、ろくでもない。せめて丁重な詫びがあるべきだ。そう、父は考えているようだった。わずかなりとも王家の血を引く公爵家の現当主としての矜持もあるだろうし、単純に娘を蔑ろにされる不愉快さもありそうだ。


 ヴィオレータは、ドレスの胸元に飾ったバラを見下ろし、薄いピンクの花びらを指で撫でた。父と揃いの花だ。デコルテを覆う黒いレースにも濃緑の身頃にも、ピンクは映える。けれども、自分には少し幼過ぎる。ヴィオレータの大人びた顔立ちには、紅のほうが似合うだろう。花色の淡さに、父が自分を子ども扱いしていることを思い知らされた気がする。


 実際、子どもだ。何も、自分では選んでこなかった。


 会場に足を踏み入れたとたんに、多くの視線が突き刺さる。遅れてきたから当然だと思ったが、さざめくようすに違和感を覚える。


 また、じゃがいも令嬢と、声高にうわさされていたのだろうか。考えつつ、挨拶のために一段高い王族の席へ目を向けて、凍りつく。


 王太子がいる。濃緑に黒の刺繍、金の飾緒しょくしょのついた服は、遠目でも明らかにヴィオレータと色を合わせてある。──もしも、彼の隣に、同じ色味を纏った令嬢の姿が無ければ、の話だ。


 まるで、道化だ。あとから来たヴィオレータは、色合わせをした覚えもないのに、壇上のふたりを真似たようにしか見えないことだろう。


 ──あのご令嬢は、いったいどなた?


 すぐにも近づいて確かめたかったが、父の手がそれを阻んでいる。


「お父さま、」

「帰ろう。豊穣を祝う場を私情でけがしてはならぬ。抗議は日を改めて申し上げる」


 低い声で言った父に感情のまま、力いっぱい引きずられて、ヴィオレータは腕と足首の痛みに少しうめいた。ほんの小さな声のはずだったのに、背後から、それも最も聞きたくない方向から、声がかかった。


「おかわいそうにっ! 怪我をしていらっしゃるのね! いま、治してさしあげますわ!」


 舌ったらずな声には、聞き覚えがあった。あの娘、マロ伯爵の遠縁、ミュリエルだ。ミュリエルは、舞台劇の主役のように芝居がかった調子で高らかに宣言した。


 ヴィオレータがふりかえったとき、壇上の彼女の両手から、きらきらとした光が自分を目掛けて飛んできたのが見えた。避ける間もなく光に包まれたヴィオレータは、いぶかしさに思わずミュリエルの顔を見た。


 ──何、これ?


 得意げなミュリエルの肩を抱き、王太子はもう一方の腕をまっすぐに伸ばして、聴衆に呼びかける。


「皆の者、見ただろう! これが神に与えられし奇跡の力だ! 私はこれまで、何の能力も持たぬあの者を救国の乙女と信じていた。しかし、このミュリエルに出会い、神の御意志に添うのは、彼女だとわかったのだ。ミュリエルは神託どおり、私の誕生より三年の後の聖ラリサの日に生まれ、稀有なる治癒術を与えられた正真正銘の救国の乙女である!」


 何を言っているのか。その条件に該当するのは、貴族の令嬢ではヴィオレータひとりだったはずではないか。だから、覚悟を決めて、重荷を負ったのに。


「今夜をもって、私はヴィオレータ・エストレラとの婚約を破棄し、正当な救国の乙女であるミュリエルと婚約を結ぶことを宣言する」


 別に、王太子となんか、結婚したいとも思わなかったのに。


「あの者は、名声と王太子妃の地位欲しさに出生を偽ったに違いない。家族ぐるみの犯行である。国王陛下を欺き、人心を惑わせた罪は重い!」


 ──豊穣祭を、国の実りを祝う日を汚すあなたの罪は、重くないのでしょうか。


 父は日を改めようとしたのに、仮にも祭祀を司る王族がこんな振る舞いをするだなんて。国王も王妃も椅子にもたれたまま、微動だにしない。ヴィオレータを助けてくれる気配も、王太子をたしなめるようすもない。


 何かが、決定的におかしかった。


 ヴィオレータはその場に跪き、こうべをたれ、王太子に確実に届くことを願って、腹から声を張り上げた。


「恐れながら王太子殿下に諫言申し上げます! 本日は一年の実りを神に感謝し、民の働きをいたわるべき、めでたき豊穣祭の日にございます! 殿下の正しき伴侶が見つかりましたことは誠に喜ばしく存じますが、このような騒ぎを起こされるのは、この場にふさわしきお振る舞いとは思えません。どうか、日を改めていただきますよう、お願い申し上げます」


 なぜだろう。治癒をかけられたはずの足が、痛い。


 頭を下げたまま声がかりを待ったヴィオレータの両脇を、衛士が抱え上げる。父も同様に連れられていく。顔を上げたヴィオレータの目に、可憐さのかけらもない醜悪な表情で嗤うミュリエルが、遠く映った。


 


 牢に込められて、数日が経った。牢とひとくちに言っても、ヴィオレータのいるのは、裁判を待つ貴族のための場所だ。設えは地下牢とは異なり、最低限の家具があるし、清潔に整えられている。食事や入浴の世話をする下女もつくし、質素ながら服も与えられている。


 出歩けない以外の不自由はない。それが逆に不安だった。つけられた下女に話を聞こうと試みたが、下女は文字を知らぬ聾唖者ろうあしゃのようで、身振り手振りでしか話が通じなかった。


 ヴィオレータが外の様子を知りたくて、うずうずしていたところに現れたのは、ミュリエルだった。彼女は扇子で顔を半分覆い、気取った足取りでやってくると、牢のなかのヴィオレータを見て、にんまりと目元を笑ませた。


「あらぁ。臭くて汚い地下牢にでも入れられたんだと思ったのに、案外身綺麗にしてるのね! 残念だなぁ、せっかく落ちぶれたあんたが見られるって、期待してたのに」


 ヴィオレータは面を上げ、鉄格子越しにミュリエルを見つめた。

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