第4話−帝国の歴史−

(ああ、懐かしいな)


ステラは、熱心に本にかじりついている友の顔をまじまじ見ながら思い出に浸っていた。


(あれからティアナはほとんど毎日遊びに来てくれたし、二人きりのときは敬語もやめてくれた。

ティアナが言った通り、なるべく色んな人にステラって呼んでほしいってお願いして…様付けではあるけどステラって呼んでくれる人も増えたのよね)


良い皇帝になるため勉強は惜しみなくしているつもりだが、来月控えているようなパーティーなどの式典は、準備も含めいまだに苦手なままだ。


(でも…そろそろ行かないとなぁ)


そう思いながらも、まだ重い腰はあがらず、じっと親友の読む本の表紙を見つめていた。


「……ティアナ、それ何読んでるの?」


ティアナが本を読むのが好きな人だと知ってはいたが、ここまで集中しているのも珍しい。

ステラは何気なく聞いてみた。


「これ?帝国の歴史書。精霊族編」


「え、そんなのがあるの?」


ざっくりとした歴史なら歴史学を研究している学者から授業として習ったが、主に帝国や諸侯国のことばかりで、そういえば精霊族について詳しく教えてもらったことはなかった。


「ほら、来月のステラの誕生式典パーティーで、いよいよ花婿殿とご対面するでしょう?精霊族について知っておかないと、と思って」


うあーと呻きながらステラは顔をしかめた。


「そうだった…」


そうか、朝から呼ばれ続けていたのは誕生式典だけじゃなく結婚式の話もあったからか。

どおりで侍女がいつにも増してうるさいわけだ。

いや、16歳の誕生式典で結婚式も行う、と前々から聞いていたので知っているはずだったが、結婚が嫌で考えない様にしすぎて素で忘れていた。


だがそんなステラに構わず、ティアナは本のページをめくりながら話を続けた。


「精霊族って、絵画や劇の中でしか見たことないでしょ?」


「うん」


「あの劇の演出が本当に精霊族のできることだっていうなら、歴史書に書いてあるんじゃないかと思って」


帝都に建造された帝国劇場。

それは三百年前、皇帝ウージオの時代に建てられた。


精霊族から后を迎えたウージオは、あまりの美しさに后、フェイフを溺愛した。

彼女の口から伝えられる精霊族の暮らしを数多くの絵画や彫刻で残した。

フェイフはそれを大いに喜んだ。

地上にやってきた精霊族は天空の島には帰れないからだ。

精霊族は虹の滝を渡ってやってくるが、滝を下ることはできても、昇ることはできない。

だからウージオは、故郷を懐かしむ愛する妻のため、芸術を通して地上に天空の島を再現しようとしたのだ。

宮殿に数多くの花が植えられるようになったのもこの時代からだった。

敷地内には庭園がいくつも造られ、それらを繋ぐ遊歩道も整えられた。

宮殿内の回廊にも、常に絶やさず花が飾られるようになり、冬でも飾ることができるよう花を育てる専用の温室も造られた。


彫刻や絵画として人々の関心を集めたのは精霊族の暮らしだけではない。

オシランの時代、エイウィンを妻として迎えるために神たちから条件として出されたのは、『神々の存在を地上の人間に伝え続けること』だった。

地上の人間として、先祖が神の存在を忘れたことをオシランが詫びたからだ。

もう忘れないでほしいという神々の願いから出た条件だった。

オシランはそれを承諾し、神々と人間との歴史を神話として創り、そしてそれを帝国全土に広く伝え残した。


そして二百年の間、書物や寝物語として語り継がれてきた神話の世界は、フェイフから語られるものによって、より色鮮やかに、より立体的になった。

人々は、想像するしかなかった神々の世界を、絵画や彫刻を通して初めて「見る」ことができたのである。


ウージオとフェイフの出会いはその後、劇場の設立に伴い「黄金の花嫁」という劇として演じられるようになった。

今でも、当時と変わらずフェイフ役は女優達の憧れだ。

抜擢される女優は社交界にも出席できるほど、演劇界の華とされた。

このウージオの時代が黄金時代と呼ばれる理由のひとつに、フェイフの美しさを形容するため、ウージオが金を好んだことが挙げられる。

宮殿の改築もこの頃にされ、絵画が広間に飾られたり、柱や壁の装飾には金が使われたりした。

貴族社会が華美になっていったのもこの頃からだ。


ステラとティアナも、まだ小さいころだったが劇場へ足を運んだことがあった。

フェイフ役の女優が、劇の仕掛けとはいえ水や風を自在に操る姿に心躍らせたものだ。

だが、そういった神々の話や精霊族の話は娯楽的な側面が強く、帝国民の間ではそれこそおとぎ話のように、非現実的な存在として印象付けられてしまっているのも事実だった。


だからこそ、ステラの誕生は帝国中を驚かせた。


デイガーズ王国も例外ではない。

むしろ当事国である。


「桃水晶の瞳の伝承は本当であった!」

「では精霊族も実在するのか?」

「どうやって伴侶を決める?選べるのか?いつ来る!?」


大臣たちは未知との遭遇にどう備えたらいいかもわからないまま、ひとまず王女誕生のお祝いに身を忙しくした。


だが答えは思っていたより早く、そして向こうからやってきた。


ステラの生まれた翌日のことだ。

デイガーズ王国の庭園にある噴水が突如水柱を噴き上げ、人の形をとり喋り始めたのだ。


辺り一帯に響くような、低く透き通った声で、まるで頭の中に直接語り掛けられているような不思議な感覚をそこにいた国王はじめ、城の者たちに与えた。


『桃水晶の乙女の誕生、心より祝い申し上げる。

尊き先祖の交わした約束に倣い、その乙女に、我が一族より伴侶を贈ろう。

太陽神ソヴォロムの加護を受けた御子、翡翠のジェラルジズである。

その乙女が16歳になる年の、最も花盛りの日の朝、ジェラルジズは虹の滝を渡りそちらへ向かう。

約束の証として、これをそちらに』


ヒト型の水の塊が差し出す、水でできた手の中には何かが握りこまれていた。

噴水の一番近くにいた臣下の一人が、恐る恐る手を伸ばすと、豪華な金細工で周りを縁取られた翡翠のブローチが手のひらに落とされた。


『再びオシランの一族と絆を結べること、一同嬉しく思う』


そう言って水柱は溶け、元の噴水の形に戻っていった。


“神秘の使者”の報せはシーマス皇帝の耳にも伝えられ、皇帝陛下勅命の下、帝国中の学者たちが集められる。

「最も花盛りの日」という言葉がいつを指すのか研究が進められた。


だが―――。



「そういえば結局花盛りの日って、わからなかったんだっけ」


ティアナは本から顔を上げ、ステラに訊ねる。


「そう。「黄金の花嫁」にも出てこないし、調べようがなくて。

だから陛下が痺れをきらして

「来るのは自由にさせればいい。だが結婚式はステルカーナの誕生日に行う。それまで待機させることになろうとも仕方ないであろう」

って」


「その日までに来なかったらどうするんだろう」


「まぁ…私の誕生日には夏至も過ぎてるし…大丈夫じゃないかな、きっと」


うーん!とティアナは眉間にしわを寄せた。


「ステラが結婚しちゃうのも寂しいから嫌だけど、ステラが花婿不在でひとりぼっちで結婚式にいるのも嫌!!」


「それは私も嫌!」


二人は顔を見合わせて笑った。


「そもそも本当に来るのかなぁ」


「ステラ、来てほしくないと思ってる?」


「だって会ったこともない人といきなり結婚するんだよ?」


「多分、王族や皇族だったらよくあることだと思うけど…。相手が精霊族じゃなくっても、隣国の王子とか。政略結婚として」


「せめて式の前に顔は見たい…」


「皇族の方々のご結婚は本人の気持ちとかいらないからなぁ…」


「ウージオ様もこんな気持ちだったのかしら…」


「じゃあステラも、精霊族の花婿殿を見たら一瞬で恋に落ちたりして」


それを聞いてステラはあはは、と笑った。

ティアナは穏やかに目を細めながら、


「それならいいな…。自分の意思がない結婚だもん。せめてステラがその人のこと気に入ったらいいなって思うよ」


と言った。

4つ年上の友人は、甘えることも多いが時々こうやって姉のような愛情をくれるのだ。

ステラは小さく、ありがとう、と照れた。

微笑みを返して、ティアナは本題だと言わんばかりに本をステラに渡す。


「それでね、歴史書に精霊族のことがどんな風に書かれてるのかなって思って読んでたんだけど、あ、その前にステラ…帝国の建国についてはもう習ったよね?どこまで知ってる?」


「えっと。長く続いてた国々の戦争を、オシラン様が無血終戦させたことで皇帝になって、彼の名を取ってオシラン帝国が始まった、でしょ?」


「合ってる、合ってる」


「その頃はまだ国は国じゃなくて、ただの領地で、それをオシラン様が国と定めた…」


「そう、今ある法律の基礎を作られたのが初代皇帝陛下のオシラン様」


教えられた歴史をひとつひとつ思い出しながら、ステラはゆっくり確かめるように話す。


「戦争への貢献度で位を決めて、貴族制度もオシラン様が作った」


「そう、ステラいいよ。ここまで完璧」


「精霊族のエイウィン様を、后として迎えられた」


「それからそれから?」


「帝国を、お二人で繁栄させた」


「そう!私もそう習った。

でもさ、エイウィン様との出会い、知らなくない?」


「確かに、教わってないかも」


「エイウィン様がどんなお力を使って民のために役立ててくださったとかさ」


「知らない。フェイフ様のは知ってる」


「でしょ?じゃあ、建国とは別に精霊族について教わったことってなに?」


ステラは、えっと、と空を仰ぎ記憶の引き出しを探し開けていく。


「人間には扱えない力を扱うことができる種族で…天空の島にいる。

天空の島は普段隠されていて、彼らでさえも地上との行き来はできない。

えっとそれから…」


「神と対話ができる者。自然との調和を望み、同じく自然を愛する者にのみ心を開く、まるで精霊のような種族である。

桃水晶の瞳を持つ者の伴侶のみが姿を現し、他の精霊族の姿を見たことがあるのは天空の島に立ち入ったことのある初代皇帝陛下だけである」


習った教科書通りにティアナはステラに続いて言った。


「うん、それぐらい。

確かに精霊族に関しては劇の方が情報が多いね」


「でしょ?だってこの五百年の間に二人しかいないんだよ。たった二人!

しかも次にいつ来るかわからない。滅多に会わない。会ったことない人からしたら本当にいるのかもわからない。

学者たちも研究しようがなかったんだと思う」


「学問を通して知るより、劇を通して知ることの方が多いのも仕方ないか…」


「それにその劇だって神話だって、おとぎ話だと思ってたもの。

ステラの花婿だし、水の使者は有名な話だから、存在はしてるんだと思う。

でもあんな、昔劇場で観たあの通りのこと、本当には起こせないでしょ?って思ってた。でも…」


これ、ここ見て、と言って、ティアナはページをばらばらっと前に戻した。


「ここ、

『始めに、太陽が生まれた。

その光は宙のあらゆる場所を照らし、万物を詳にした。』

って」


「…あれ?これ、神話だ。

歴史書なのに神話が書いてある」


「でしょ?で、

『次に、大気が生まれた。

大気は広い宙の中、一つの場所に留まった。

やがて大気は神となり、この神は光さえ届かぬ場所へも入り込む。』って、ここも神話と一緒。

それで神様たちの話があるけどこれも神話と一緒で…」


ぺらぺらとページをめくり、ここ、と言って手を止めた。


「『かつて大陸はひとつであった。

人間が生まれ、神々は人間を愛した。

人間も神々を愛し、多くのことを神たちから学んだ。


神の声を聞く方法は、人から人へと口伝えに伝承されていくものだった。

神の言葉を聞く術を学びきる前に、別の土地、別の土地へと移り住む者が増えていくと、やがてそれが広がり、ついには大陸の端まで住み渡るようになると、もうそこには神の声が届かぬようになってしまった。

神の声が遠のいた者には代わりに己の脆い心の声が聞こえ始め、不安に駆られるようになった。

そして自分の持つものでは安心できなくなり、不安な心を満たすため他人のものを欲しがるようになった。


最初は小さな諍いからだった。


だがその諍いは、周りを巻き込み燃え広がる炎のように、集落ごとの戦へと発展していった。

もうその者たちには神の姿すら見えなくなっていた。


神々は嘆き悲しみ、そして人間から離れることを決めた。

大地の神が、せめて争いにくくなるようにと大陸を割った。

割れた際のヒビには川ができた。

地面も盛り上げ、国境となるような山や谷を作った。

そしてある小さな島に、神々と、神についていくことを決めた一部の人間のみを乗せ、島ごと姿を隠された。


その島はどこを探しても見つからないため、天空にあるのだろうと言われるようになった。


その天空の島にいる、神と共に暮らす人間こそ、精霊族の血族なのである』」


「………つまり、歴史と神話は一緒…?」


「そう。そしてたぶん、ステラの花婿殿はフェイフ様以上のことができる…」


「で、でも神話が本当なら、これにも書いてあるとおり精霊族は元々人間でしょ?

あの演劇が話を盛ってるだけかも…」


「ステラ、ここに書かれてるのは神話と同じ話だけど、ちゃんとした歴史書に書かれてる。つまり年代が載ってる。

これは千年前の話なの」


「千年前!?」


「そう。ほら見て、ここ。

『この大陸分裂より五百年間、人間たちは争いを繰り返した。

そしてついに、争いを終わらせる者が現れた。名をオシラン、自身の名を冠したオシラン帝国の初代皇帝である。』

ってあるでしょ?」


「オシラン様が帝国を建国されてから五百年経ってるから…そっか、千年か…」


「千年間神たちと一緒に暮らしてきた人間が、私たちの考える『人間』のままでいるかは、正直わからないと思うの。

しかもフェイフ様のころから三百年経ってるから、さらに進化してる可能性がある」


フー、と息をついてステラは背もたれに背中を預けた。


受け入れるしかなかった。


今までおとぎ話の中で見聞きしていた精霊族が、見ていた通り、聞いていた通りのまま存在しているという事実を。

かつての皇后を精霊として崇めることで、皇族を他の民とは違う存在なのだと知らしめるために作られたお話などではなく、精霊族は歴史上確かに存在していたのだ。


ステラはぽつりと呟いた。


「……耳とがってるのかな」


「まったく顔が見えないくらい眩しく全身発光してたらどうする?」


「動物と話し始めたりして」


「空飛んだりして」


ふふふふ、とお互いの顔を見て笑い合う。

ステラは手足を投げ出し大きな声で言った。


「あー!会ってみないとわかんないよね!」


「あれこれ言ってて実は聞かれてたりするのが一番怖いし」


「よし、マリーを探しに行こう!」


もうとっくに聞こえなくなっていた声の主である侍女を探しに、ティアナを連れ立って書物庫を出た。


図書室の中に射し込む光はもう夕方が近いことを知らせる。


(来月、花婿に会うのかぁ。

本物の精霊族ってどんなだろう。

…怖くないといいな)


(まぁ、どんな人でもいいや。

私のやることに口を出さないでいて、大人しく私が皇帝になることに協力してくれる人ならなんでもいい!)


図書室を出ようと、廊下に続く扉を勢いよく開け放った。


バンッ!と扉が何かにぶつかる音と一緒に、


「うっ!」


と呻き声が聞こえた。

図書室の前の廊下に誰かいたらしく、扉で思い切り叩いてしまったらしい。


見たことのない男の人が、肩をさすりながら痛そうに俯いていた。

誰だろう、陛下への来客だろうか。

皇女である自分より身分が高いということはよっぽどないだろうが、それは扉で殴っていい理由にはならない。


「ご、ごめんなさい!大丈夫ですか!?」


「だいじょうぶ、大丈夫…」


振り返り、ステラをまっすぐ見たその人の瞳は翡翠だった。

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