第32話 勇者? ボッコボコにしてやりますよマジで!①

 その日は、とても穏やかな朝だった。


 雲一つない快晴。風もなく、それこそベランダで日光浴なんかには最適。

 こんな環境で、何か事件が起きそうだな……なんて想像をする人間はいないだろう。


 ――ましてや、なんてことはとても。


 だからこそ、目の前に立つ少女に気付いたときの勇者の動きは鈍かった。


「……え~っと。誰? ファン?」

「ファン? まあ……そうかもね。ずっと意識してたって意味では」

「はぁ?」


 少女――ミーサの言葉に、勇者は「やれやれ」と肩をすくめた。

 これまた厄介なファンが押し掛けてきたな、とでも思ったようだ。


 とはいえ取り乱すことはない。むしろ余裕。

 恐らく人気者だけあってこういったことに慣れっこなのだろう。


「あ~……さすがに困るんだよね~。ここ立ち入り禁止だからさ」

 欠伸交じりに自慢の金髪をかき上げる。

 若干天パ気味の俺からしたら羨ましいほどのサラサラヘアーだ。交換してほしい。


 しかし、空気が和やかだったのはここまでだった。


「そうなんだ? じゃあ、早く出て行かないとね……アンタを殺して」

「!」


 勇者の身体がピクッと反応する。


「……へぇ~」


 しかし、あくまでも余裕は余裕。

 それどころか、ちょっと楽しんでいる空気すらある。


 恐らくは圧倒的自信。

 ここで自分が死ぬなど微塵も思っていないがゆえの反応。


 勇者にとって、この程度の状況はせいぜい余興感覚なのだろう。

 そんな様子にいら立ったミーサが、己の目的をハッキリと告げる。


「アンタに決闘を挑みに来た。ここでアンタを殺して、全部終わらせてやる」

「決闘……フッ。イイじゃん、やろうよ。タイマンとかチョー久々だし」


 ……よし!


 その瞬間、壁際に身を潜めていた俺はひっそりと拳を握った。

 とりあえず第一関門はクリアした。


 本作戦の肝はMRBによる不意打ち。

 その役目を担う俺の存在に気づかれていたら作戦はおじゃんだ。


 が、勇者から出たタイマンという単語でその可能性はなくなった。

 ……ふぅ、わざわざ明け方から隠れていた甲斐があったぜ。


「あ、でもその前に理由わけだけ教えてよ。なんか恨み買うようなことでもしたっけ? あいにく年下に手ぇ出した覚えはねーんだけどなぁ。趣味じゃねーもん」


 勇者の言葉は本気だった。とぼけている様子はない。

 そんなどこまでも舐め腐った態度に、ミーサは怒りを押し殺すように答えた。


「……グラハム=ガルスキンの娘よ」

「ガルスキン……」


 ハッとして天を仰ぐ勇者。

 さすがにそのひと言ですべて理解したのだろう。


 ――なぜ、目の前の少女がこんなにも敵意の眼差しを向けてくるのかを。

 ――なぜ、自分が今魔法の杖を向けられているのかということを。


 理解できないはずはない。

 それだけのことをしたのだから。


「……?」

「ッ!?」


 なんのことかさっぱりわからん。

 そう示すように、勇者は降参とばかりに両手を上げた。


「……わからないの? 前任の騎士団長なのに? 6年前、私のパパはアンタを守って死んだのよ?」

「前任ったってなあ。今のだって知らねーのにわかるわけねーじゃん。いつ変わったのかも覚えてねーし。まあたぶん書類かなんか届いてるんだろうが読まねーしなオレ」

「ッ……!」


 遠目にもミーサの全身が総毛立ったのがわかった。

 俺とてつい飛び出しそうになってしまった。


 だが、勇者はさらに続けた。


「でも、


 …………は?


「だって今平和じゃん? オマエの親父がオレを守ったおかげで、オレは魔王を倒すことができた。そのナントカさんも、きっと今頃あの世で喜んでるだろうぜ」



 その瞬間……ブチッという音が聞こえた気がした。



「殺すッ……!!!」


 激高したミーサが杖を構える。


 カッ―――!!


 放たれたのは、ミーサが最も得意とする雷撃魔法。

 杖の先端から黄色い光が放出され、勇者めがけて直進する。俺の目には雷というよりもはやビーム兵器にしか見えなかった。


 なお、杖とは魔法の増幅装置。

 俺との闘いでは使われなかったもの。それだけミーサが本気ということ。


 しかし。


「!?」


 バシッという音ともに雷が霧散する。


 防御魔法バリアだ。それも途轍もなく強力な。

 紫色の半透明な球体が勇者を包み込み、傘で雨を弾くように攻撃を退けている。


「ふ~ん。そこそこの使い手ではあるっぽいな。まあこの程度じゃ一生かかってもオレに届かねーけど」

「……チッ」

 余裕たっぷりの勇者の反応に、ミーサが舌打ちする。


 だが、ここまでは想定通り。

 俺は“そのとき”をただ待てばいい……。


 ここでミーサが余った左手で追加の魔法を繰り出す。


 念動力のような操作系の魔法。

 庭の茂みから飛び出した4丁のクロスボウが勇者を取り囲み、一斉に矢を放つ。


 ちなみにこのクロスボウ、もちろん過去に俺が使ったものである。

 役に立ちそうだから回収していたとのこと。MRBといい、ほんと抜け目ないヤツだ。

 ちなみにこいつを予め仕込むのも俺の役割だった。


「へぇ、魔法の同時展開までできるのか。やるじゃん、あんまできるヤツいないぜ?」


 だが、それでも勇者は毛ほども揺らがない。


 盾のような六角形の防御魔法が瞬時に出現し、ことごとく矢を弾く。

 あんま――などと言いながら自分もサラリと同じことをやってのけるあたりタチが悪い。まるでこちらの努力を嘲笑うかのようだ。


「いいよオマエ。これが終わったらオレの召使いにしてやるよ。カラダもいずれオレ好みに育つだろうしな」


 どこまでもクズな発言。

 俺は心の中で「このクソ王子が……!」と叫んだ。


 くっ、まだなのか……!?


 痺れを切らせるように視線を送る俺。

 ミーサからの合図はまだない。


「!!」


 と、そこでようやく目が合った――その直後。


 ピカッ――!


 突如として眩い光がベランダに満ちる。

 さながら極小の太陽。


「閃光魔法……!?」


 勇者が反射的に腕で顔を覆う。


「チッ、うぜぇ……! いまさら目くらましなんかしたところで、バリアに守られてるオレに意味なんかねーって――」


 油断……永続展開されるバリアという安心が生んだ、紛うことなき驕り。


 ――――バリンッ!!!


 その驕りを、金色のブーメランが破壊する。


「なっ……!?」


 目の前であっさり壊れたバリアに勇者の顔が歪む。

 そして気づいた時点でもう遅い。


「グハァッ……!!」


 防御魔法阻むものが消失した雷撃が、勇者の身体を飲み込む。


「やった……」

 役目を果たした俺は、思わず呟いていた。


 すべて計画通り。

 完全にうまくいった。


 閃光魔法を放ったのはミーサだ。

 あれが合図だった。


 直後、壁際から飛び出した俺が全力でMRBを投擲。

 なまじ勇者のバリアが巨大である分、狙いをつけるまでもなかった。魔法に触れさえすれば、無効化は発揮される。


 あとは想定どおり、放ち続けていたミーサの雷撃が勇者を射抜くだけ。


 その結果は見ての通り。

 魔法によるダメージとベランダの縁まで吹き飛ばされた衝撃で、勇者はピクリとも動かない。


「……あ~、痛ってぇ」

「!?」

「なるほど。魔法を無効化する武器……そんな切り札があったか」


 勇者は、まるで何事もなかったかのように起き上がった……白い光をその身に纏いながら。


 なっ……!? マジかよ……。


 驚く俺をよそに、白光はみるみる傷を塞ぎ、ほんの数秒後にはダメージを完治させた。


「回復魔法……」

「!?」


 ミーサが呟き、俺が振り返る。


 そうか、あれが……。

 の神の御業のような光景に、俺は戦闘中にも関わらず感心してしまった。


「なんだよ、リアクションしーな。そっちのオッサンも」


 ミーサと俺を交互に見て、勇者がややガッカリする。

 つーか逆に俺が増えてることに反応薄すぎだろ。眼中にないってか。


「当たり前でしょ。全部想定済みなんだから」

「……なに?」

 平然と答えたミーサに、勇者が眉を顰める。


 ミーサの言う通りだった。ここまでが俺たちの作戦。

 攻撃を受けた後、勇者が回復魔法で復活することは想定内。


 ゆえに、当然その先も考えてある。


「アンタが回復魔法を使えるなんて周知の事実。でも、魔力は相当消費したはず」


 魔力がある限り好きなだけ回復できる――ゲームなんかによくある回復魔法の仕様だ。


 だが、この世界における回復魔法の特性は違う。


 魔力の上限がどれだけ高かろうと、消費魔力は回復率で決まる。

 死に近い状態からの回復であるほど、ごっそりと魔力が削られるのだ。


 その理屈に当てはめるなら、勇者の魔力はもう枯渇寸前。

 であれば、あとは小細工なしで勝ち切れる。


 ここまでが俺たちの用意したシナリオ。


「……ああ、そういうこと。ここまで全部織り込み済みってことか」


 勇者が俯く。観念したのだろうか。


「じゃあ……を見てもまだ驚かずにいられるんだな?」


 勇者が笑う。

 ニンマリと、醜悪に。



 そしてその笑顔の意味を理解したとき、俺たちは今度こそ絶望した。

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