神の怒りに触れた一族の末路

梵ぽんず

第1話 神の腕を借りた刀鍛冶の男(序)

 今から約五百年前の出来事。怪我を治して欲しいと強く願うと、必ず叶えてくれる奇跡の寺があると言われていた時代の話――。


「……あぁ、やっと見えてきたな」


 時刻は丑三つ時。地面に叩きつけるような暴風雨が周辺地域を襲っていた。青々と茂る木々は大きくしなり、強烈な雨風に耐え切れなかった大木が根本から折れている。


 そんな悪天候の中、道端で拾った木の棒を杖代わりにして、一歩ずつ前へ進む三十代前半くらいの男がいた。男の肌は赤黒く日に焼けており、着物は雨水が染み込み、裾がほつれてボロボロになっている。履いていた草履は履き物の役目を果たしておらず、足の爪が捲れ上がり、すねや腕には擦り傷がたくさん付いていた。


「ハァハァ……ここまでたどり着くのに一ヶ月も掛かってしまった。途中、野生の動物や野盗にも襲われそうになったが、どうにか生きたままここに来る事ができたぞ。噂が本当なら、どうか俺の願いを叶えてくれ」


 男はゼェゼェと息を切らしながら、数百段以上もある階段を見上げた。もうすぐで目的の寺に到着する。後もう少しの辛抱だと自分を鼓舞しながら、一段ずつ石造の階段を這いながら登っていった。


「あぁ、くそ。身体が不自由じゃなきゃ、こんな惨めな思いをせずに登れるっていうのに! 人助けをしたのに、何故、こんな身体になってしまったのだ!」


 いうことを利かない身体に苛立ちを募らせながら、男は慎重に一段ずつ階段を登っていく。男の職業は刀鍛冶。それも美濃では知らぬ者はいない程の腕を持った刀鍛冶だった。


 背中にある刺し傷は村の子供を助けた際に負った名誉の傷――そのはずだった。日を追うにつれ、動かなくなっていく左半身。焦りを募らせ、仕事に没頭しようと一心不乱に刀を打とうとするも、危惧していたことが起こる。左半身に力が全く入らなくなってしまったのだ。


 左半身が不自由になって以来、男は毎日憤っていた。何故、子供を守ったのに仏様はこんな酷い仕打ちをするのだろうか? 今まで良い刀を作る為だけに、毎日お参りも欠かさず行った。それなのに、どうして……という思いだけが募っていく。


 暇さえあれば考えるも結論は出なかった。真面目だった男も次第にやさぐれ、酒浸りの毎日を送った。心配してくれた妻と子供に当たり散らし、献身的に支えてくれた妻は我慢の限界を迎えて、子供を連れて出て行ってしまった。


 そんな荒んだ日々を送っていたある日のこと。たまたま村に立ち寄っていた旅の僧侶は、男の噂を聞きつけ家を訪ねてきた。そして、男に向かってこう言ったのだ。「足はどうにもならないが、●●寺の千手観音様なら、腕を一本貸してくださる」と。


 男は特に信心深い訳でもなかった。だが、僧侶の言葉を聞いて、一縷の光が射したような気がした。旅の僧侶や仏を信じたわけではない。しかし、何故かこの時ばかりは、ここで動かなければ、一生後悔する――そう思ってしまったのだ。


「やった……ようやく天辺まで辿り着いたぞ」


 身体は泥だらけだった。左半身が不自由なうえに、雨水を極限にまで吸い込んだ着物が錘となって男の動きを鈍らせる。男は芋虫のように這いながら、境内の一番奥にある仏殿へ入った。


 仏殿の中は白檀の香りが立ち込めていた。蝋燭の火を消したばかりなのか、蝋が溶けた後の独特な匂いが仄かに漂っている。男が視線を上げると、鈍い黄金色に輝く千手観音像が祀られていた。


 背後でゴロゴロと雷が鳴っている。男は生唾を飲んだ。千手観音像の背中から伸びるいくつもの腕を見やる。旅の僧侶が言っていた腕が目の前にあった。


 ボロボロになった雨具を脱ぐと、男の顔が露わになった。男の頬には刃物で切りつけたような大きな切り傷があり、切長の黒い目は黒曜石のように鈍く光っている。髪を切るのも一苦労なので、この時代では珍しく長い髪を後ろで束ねていた。


「あぁ、もう歩けない。俺の住んでた村から一週間で辿り着けるところを、二ヶ月かかってしまうなんて。腹ただしいにも程がある」


 暗闇に目が慣れてきた頃、無礼を承知で仏様の目の前で大の字に寝転がった。緊張からようやく解放された男は、フーッと息を吐いて目を瞑り、今までの出来事を振り返る。


「左半身が不自由なせいで過剰に心配されたり、敬遠されるなんてもう懲り懲りだ。地べたを這いずり、山の泥水をすすりながらここまで来たんだ。俺の願いを聞き届けてくれよ、仏さんよぉ……!」


 男は悪態をつきながら、右手を支えにゆっくりと上体を起こした。そして、本尊である千手観音像の前で額を床に擦り付け、獣が低く唸るような声で自分の願いを口にし始めた。


「仏様、お願い申し上げます! 私は刀鍛冶を営む一族の長、堀部虎徹と申します! 私は盗賊から子供を守る際に傷を負い、左半身が動かないようになってしまいました! このままでは生きていけません! どうか……どうか、この私に貴方様の腕を一本、貸していただけないでしょうか!?」


 屈左半身が不自由になってから滑舌が悪く、以前のようなハキハキとした速度で喋れないのが苦痛で仕方がない。その証拠に願いを口にしている途中で、悔しさで胸が一杯になり、涙が込み上げてきた。


「どうかお願い申し上げます! 私がこの世を去る前に必ず、お貸し頂いた腕を返しに参ります! お礼もしにこちらへ参ります! ですから、どうか貴方の腕を私にお貸しください!」


 ピシャーンッ! と戸の隙間から稲光が差し込み、千手観音像の輪郭をハッキリと浮かび上がらせる。男は土下座したまま、ギュッと目を瞑っていた。しかし、暫く経っても何の変化もない。左半身が良くなることもない。激しい雨風が戸に打ち付ける音が響いているだけである。


「………あぁ、そうか。やはり噂は噂でしかなかったのか。何が腕を一本貸してもらえるだ、あのクソ僧侶め」


 藁にもすがる思いできたが、やはり神はいなかったか。途中で死にそうになりながら這いつくばってここまで来たというのに。とんだ時間の無駄だったと、またいつものように憤ってしまった。


 堀部は苦虫を噛み潰したような表情で爪を床に突き立てる。今の男に村まで帰る気力は残されていない。とりあえず、今日はこのまま寝かせてもらおう――そう思った時だった。


『其方は自由に動かせる手が欲しいと申すか?』


 堀部は驚いた。仏殿には誰もいなかったはずだ。逃げようにも身体が動かない。何故か眼球だけは動かせたので、必死にギョロギョロと見渡してみるが、辺りには誰もいなかった。


「い、今のは……もしや、仏様の声?」


 ブワッと全身から汗が噴き出た。幻聴だろうか? いや、違う。今の声は耳で聞こえた訳じゃないと確信をもって言える。男とも女とも言えぬ声が頭の中で響いた。この寺には住職がいるらしいが、男と聞いている。であれば、残るは――。


「仏様……なのですか?」


 堀部は半信半疑な様子で聞く。すると、『いかにも』という返事があった。


『其方の願い聞き入れたぞ。私の腕を其方に一本貸そう。だが、私の腕は必ず其方が返しにくるように。これを必ず守れるのであれば、私の腕を貸す。どうだ? この約束、必ず守れるか?』


 仏様の問いに男は弾かれたように、「は……はいっ、勿論です!」と返事をし、また額を床に擦り付けた。


『ならば、お前と契約を交わそう。契約が果たせなければ––––––』


 最後の方はなんと言ったのか分からなかった。視界が白んで、気が遠くなっていくのがわかる。男は千手観音を見つめた状態で、ぐるんと白目を剥いて気を失ってしまった。


◇◇◇


「おい、大丈夫か?」


 誰かに肩を強めに三回叩かれた。堀部は薄らと目を開けると、額と目尻に深い皺を刻んだ住職が困ったような顔をして立っていた。


「仏殿には鍵が掛かっていたはずだが、どうやって入ってきた? それにその格好、もしや昨夜の雨風の中ここまで歩いてきたのか? 夏とはいえ山の朝はかなり冷える。このままだと風邪をひいてしまうぞ」

「は……?」


 堀部は何が起こったのか分からず、キョロキョロと辺りを見渡し、扉から差し込む一筋の光を見た。


 朝になっている。自分がここに辿り着いた時には夜だったはずなのに、どういう訳なのか一瞬にして朝に変わっている。もしや、寝落ちしてしまったのだろうか。


「一体、何が起こったんだ?」


 いつの間にか寝ていたのか? まさかあれは夢だったのか? それにしてはやけに生々しい夢だった。


「いや……俺は確かに千手観音像と話をしたはずだ!」


 堀部の意味不明な発言を聞いた僧侶は、またこの手の人間が来たかと慣れたような視線で見つめてくる。


 けれど、男は確かに仏様と話をした。それだけは覚えている。あれが夢であるはずない––––そう思った堀部は千手観音像を見つめ、試しに動かないはずの左手に力を込めてみた。


「う、嘘……だろ?」


 驚きのあまり絶句してしまった。なんと、あれだけやっても動かなかった指がすんなりと動いた。次に手首を動かし、腕を軽く上げてみた。そして、拳を真っ直ぐに天井に向かって突き上げ、グルグルと肩を回してみたのである。


「なんと面妖な! ハハッ……ハッハッハッ!」


 堀部はこの事実にとても歓喜した。背後で住職が戸惑っていたが関係ない。やはり、あれは夢ではなかった。「仏様、ありがとうございます! ありがとうございます!」土下座しながら、ひたすら感謝し続けた。


 その後、自由に左手を動かせるようになった堀部は数々の武将の為に刀を研いだ。そして、かの有名な城の主に刀を献上する程の腕にまで上達し、日本一の鍛治職人として名を馳せるまでに成長したという。


『戦国時代の名匠・日本の刀鍛冶伝説より一部抜粋』

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