第2話 フローレンス

 パチパチと薪の爆ぜる音がストーブから漏れ聞こえてきている。

 そんな部屋の中、ベッドの上でシチューを口に運ぶ女の傍で、ヒュウガは板切れを『へ』の字型に短剣で削っていた。


「どうしてここにいるの?」


 女は相変わらず無表情のままヒュウガへと尋ねた。

 ヒュウガは彼女に顔を向けることもせず、そのまま板を削りながら口を開いた。


「理由は三つさ。

 一つ目は、俺がここにいることでお前ぇさんを安心させるため。

 女衒や官憲にお前ぇさんを売っているなんてことを思われたかないんでな。」


 削った板切れのカーブを確認しながら、ヒュウガは言葉を続ける。


「二つ目は、やはりお前ぇさんを監視するためだ。

 お前ぇさん、結構酷く足を捻ってる。

 そんな足で無理させるワケにゃいかねぇだろう?」


 それを聞いた女は、シーツの下にある足をさすってみた。


 触れただけでも痛む。


 その感覚に、女は僅かではあるが顔をしかめた。


「んで、最後の三つ目だが……ここが温けぇからさ。

 特等席の暖炉の前は、ブランに譲っているんでな。」


「ブラン?」


「あのユキヒョウだよ。

 アイツはお前ぇさんを見つけただけじゃなく、気を失ったままのお前ぇさんを温っためてくれてたんだ。

 少しぐらいは礼でも言ってやってくれ。」


「お礼なんか通じるのかしら。」


「アイツぁ賢いぜ?

 人の言葉は理解するし、物覚えもいい。

 下手すりゃ、教養のない山師なんかより賢いかもしれん。」


 それだけ言うと、ヒュウガは短剣を鞘に納め、立ち上がった。


「代わりはいるかい?」


 板の削りかすを払いながら、ヒュウガは女に尋ねた。

 女は無言で木皿をのせたトレーを差し出し、小さくかぶりを振る。


「怪我治すにゃ食わなきゃダメだ。

 お前ぇさんだって、早くここから出て行きてぇだろうに。」


「そうでもない。

 貴方は私を犯さなかった。

 それだけでも信用できる。」


「意識のねぇ女相手に好き勝手するほど落ちぶれちゃいねぇよ。」


「そう……。」


 真顔で答えるヒュウガを見て、女は言葉を切る。


 トレーを持ちあげ、部屋を出て行こうとするヒュウガの背後から、女の声が再び響いた。


「フローレンス。」


「ん?」


「私の名前。フローレンス。」


「姓は?」


「ない。ただのフローレンス。」


「そうか……。」


 それだけ言うと、ヒュウガは部屋を出た。


 怒りとも、哀しみともつかぬ表情を見せて。

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