2-6.本当の幸せ
ルビィは、ムッチッチ大陸にある小さな村で生まれた。
その村に名前は無い。魔族達がひっそりと暮らす村だった。
ルビィの祖父は何度も同じ話をした。
昔は魔導国で商売を営んでいた。
だが大きな失敗をして「楽園送り」にされた。
楽園は思ったよりも悪い場所ではなかった。ほとんどの人は何も知らず、ただ平穏に暮らしていた。しかし、その日は突然にやってきた。
多くの者が奴隷として出荷された。
祖父は見知らぬ土地で強制的に働かされながら、仲間を集め、脱走した。そして、この名も無き小さな村が生まれた。
祖父は誇らしげな様子で言った。
この村には何も無い。魔導国と比べれば牢獄のような場所で、楽園と比べても不便なことばかりだ。しかし、本当の幸せを見つけることができた。
ルビィは質問した。
本当の幸せとは、何なのか。
祖父は「いつか自分で見つけなさい」と笑った。
ルビィは、いつかその日が来ると思っていた。
しかし──その日が来るよりも早く、奴らが現れた。
「……なんで」
ルビィの目には炎が映っていた。
思い出の詰まった村と、仲間や家族を守る為に戦った者達が、燃やされていた。
「……どうして」
ルビィには何も分からなかった。
突然それまでの平穏な暮らしが終わり、全てを奪われた。
「逃げるわよ!」
ルビィは母に抱えられた。
「待って」
彼女は村に残った者達に向かって手を伸ばす。
しかし、その手は近付くどころか遠ざかっていく。
「待ってよ!」
逃げ延びた数人の魔族は、海を渡ることにした。
しかし、まともな船も食糧も無い航海が成功するはずもない。
一人、また一人、飢餓に蝕まれた。
心を病み、海に飛び込む者も現れた。
生きて陸地に辿り着けたのは、ルビィだけだった。
彼女は船から降りて直ぐに気を失った。
次に目を覚ますと見知らぬ天井があった。
彼女はイロハに拾われた。
そしてグレイ・キャンバスの一員となった。
彼女は戦闘訓練を受け、驚異的な速さで成長した。
他を圧倒する成長の秘訣は、身を焦がすような復讐心だった。
彼女は時たま海辺に訪れ、地平線の彼方へと手を伸ばした。
いつか、必ず、この手で全てを取り戻す。それが彼女の目標だった。それだけが、彼女の生きる意味だった。
「……いつか、必ず、この手で」
今、彼女は手を伸ばした。
しかし、その瞳が見据える先に海は無い。
(……あれ?)
彼女は自分の手を動かした。
しかし、いつまでも自分の手が視界に現れない。
「ィアッハァ!? いいねぇ、お前ェ、最ッ高だよぉ!」
声が聞こえた。
弾かれるようにして目を動かす。
「……っ!」
燃え上がるような怒りが蘇った。
彼女は組織に拾われ、目標の為に生きていた。組織には、彼女と同じように、何か強い目標を持つ者が居た。彼女は仲間達を新しい家族のように思っていた。
(……あいつだ。あいつが。あいつがぁ!)
その仲間は、もういない。
敵の攻撃を受け、溶けて消えた。
ルビィは手足に力を込め、立ち上がろうとした。
しかし、動けない。どういうわけか両手に力が入らず、感覚も無い。
「……ぁ」
やっと気が付いた。
いや、違う。思い出した。
「……あぁぁ」
手も、足も、残っていない。
切断面を見ると、焼かれたような跡がある。
記憶が鮮明になってくる。
自分は、あっけなく負けたのだ。
「……っ!」
歯を食い縛り、戦場を見る。
スカーレットが一方に攻撃しているが、相手が遊んでいるように見える。
「……くそっ」
直ぐに加勢したい。
あいつは、あいつだけは、自分の手で……。
「……なんでっ」
肘から先が消えた手を伸ばす。
しかし、得られたのは無力感だけだった。
彼女は歯を食い縛る。
あれだけ必死に強さを求めたのに、また奪われた。また何もできなかった。
叫びたい。子供のように喚きたい。
そして何より、あの男をぶち殺してやりたい。
──白い魔力に包まれた。
「えっ?」
右方向に人の気配。
「……イロハ、さま?」
なぜ、どうして、こんなところに?
それに、これは白魔法だ。聖女ではない彼が、どうやって……?
「スカーレット」
低く、お腹の底に響くような声。
それは激しい戦闘音の中でも良く通った。
戦っていた二人が動きを止める。
彼はスカーレットを見て、一言だけ言った。
「助けは必要か?」
スカーレットは困ったような表情をして、剣を降ろした。
その様子を見て敵が何か喚き散らす。しかし、その言葉は直ぐに途切れた。
「……うそ」
目で追うだけで精一杯だった。
彼は敵の腕を摑み、投げ飛ばした。
ただそれだけ。
敵は空の彼方へと消え去った。
「立てますか?」
ノエルが手を差し伸べた。
ルビィは反射的に手を出し、驚いた。
「……うそ、手が」
完全に治っていた。
「イロハ様のお力です」
ルビィの表情を見て、ノエルが言葉を添えた。
「……これが、イロハ様の力」
ルビィは呆然とした様子で呟き、ふと思い出した。
海辺で死にかけていた自分は彼に救われた。二度目だ。二度も、命を助けられた。
「……」
ルビィは祖父の言葉を思い出す。
──本当の幸せは、「いつか自分で見つけなさい」
(……見つけました)
その圧倒的な力。そして慈悲深さ。
多くの人が、何も知らないまま全てを奪われる。しかし自分は違う。全てを知り、そして圧倒的な力を持った彼に尽くすことができる。
彼は、部下の献身に応えてくれる。
彼と共に歩めば、奪われるだけの日々に戻ることは決してない。
ああ、なんと幸運なのだろう。
これほどの幸せが、他にあるだろうか。
──組織が誕生してから半年。
こんなことが、定期的に起きていた。
グレイ・キャンバス。
未だ世界の表舞台には顔を見せていない新興勢力は、こんな風に、従順な構成員を増やし続けている。
「状況は?」
彼の声を聞き、ルビィは我に返る。
「まずは移動しましょう」
スカーレットが返事をした。
その後、四人は拠点へと帰還する。
程々の速度で移動する最中、ルビィはうっとりとした表情をして、イロハの背中を見つめ続けていた。
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