09.ウチ、震える
目立たない。関わらない。生き延びる。
ウチは堅実なプランを捨て、実力行使を選んだ。
正直めっちゃ後悔してる。
だけど、これが最善だと信じてる。
ウチは自由に生きたい。
やりたいこと、全部やりたい。
相手が強いとか、王族とか、そんなの関係無い。
諦めるのは、うんざりだ。
ここで逃げたら前世と何も変わらない。
ノエルを助けたい。
立ち向かう理由は、それだけで十分だ。
* * *
ムッチッチ王国では下剋上が推奨されている。
例外は無い。それが国王であろうと、弱ければ狩られる。
マタシターガ・ムッチッチには豊富な実戦経験がある。
幼い頃から襲撃を受け続け、その全てを返り討ちにした。
それは彼に絶対的な自信を与えた。
無論、その強さは国民も認めている。その名声は、彼が自身の異常に発達した脚部を見せつけるだけで、悲鳴をあげて逃げ出す者が現れる程だ。
(……随分と落ち着いている)
彼はイーロン・バーグを観察し、違和感を覚えた。
この学園に居るのだから、それなりの実力者と見て間違いない。しかし、不自然な程に殺気や威圧感が伝わってこない。
(……どれ、試してみるか)
彼は緑の魔力を両足に込める。
そして、赤の魔力と共に放出した。
「ふんっ!」
布の弾け飛ぶ音がした。
ズボンが破れ、恐怖の象徴たる脚部が露出する。
それだけではない。
彼が放出した魔力は、舞台を囲む客席全体に届いた。
…………。
客席が静まり返った。
それは絶対的な強者に対する恐怖。
あるいは王族に対する畏怖かもしれない。
魔力を使って外界に影響を及ぼすことは至難である。
仮に魔力を可視化できる者が存在するならば、それだけで尋常ではない実力者だと分かる。そして、そのような者は何らかの身体的特徴を持つことが多い。
マタシターガ・ムッチッチ王子の場合は、異常に発達した脚部。
一般的に「魔力袋」と呼ばれており、膨大な魔力を有する者に現れる特徴だ。
要するに彼は自身の膨大な魔力を見せつけた。
それは、一万人の観客を黙らせる程の威圧感を持っていた。
静寂の中、彼はしたり顔で耳を澄ます。
彼の優れた聴覚は、観客の声を正確に捉えた。
「おい、今のマジかよ」
「あんな化け物に決闘を仕掛けたのは、どこのバカだ?」
「イーロン・バーグって聞いたぞ」
「どこの田舎貴族だよ」
「知らねぇ。ただ、王子の婚約者に一目惚れしたらしいぜ」
「かかっ、そいつは傑作だ」
「かわいそうに。きっと『みせしめ』になるんだろうな」
マタシターガ・ムッチッチは溜息を吐いた。
(……呑気なものだ)
彼は自分が負ける未来など全く想像していない。
しかし王族としての重圧は感じている。故に、呑気な観客を羨んだ。
(……イーロン・バーグはどうかな)
彼はあらためて敵に意識を向け、失笑する。
イーロンが心底怯えた様子を見せていたからだ。
(……なんだ、ただの愚者か)
彼はイーロンを取るに足らない存在と判断した。
「さて、決闘開始まで残り五分となった」
彼は相手を見下したような態度でイーロンに話しかける。
「今降参すれば、学園からの追放だけで許してやらんこともないぞ」
一瞬、イーロンの瞳が輝いたように見えた。
流石に見間違いだろうと目を擦る。どうやら見間違いだったようだ。
「……ノエルの涙を見た」
「貴様は、涙の理由を知っているのか?」
彼は嘲笑うような声で問う。
イーロンは僅かに目を細め、不愉快そうに言った。
「……当然だ」
その返事を聞き、彼は初めて動揺した。
(……まさか、あの女が話したのか?)
決して許されないことだ。
この秘密を知った者は──消さなければならない。
「……くっ、はは、あはははは」
彼は嗤った。
「愚かだ。実に、実に愚かだ!」
嘲笑の対象は、聖女ノエル。
「まさか、私に勝てるとでも思ったのか?」
かつて彼女は余計なことをした。
だから教えた。王族の力を。決して抗うことのできない闇を。
「ノエル!」
彼は愚かな聖女に目を向けた。
東側の最前列。彼女は手すりを握り、祈るような目でイーロンを見ている。
「私が勝利した暁には、新しいメイドをつけると約束しよう」
聖女ノエルは背筋が震えた。
その言葉は、かつての悲劇を示唆している。
(……イッくん様!)
彼女は手すりを握り締め、両手を震わせた。
その様子を見て、王子は満足そうな表情をする。
「イーロン・バーグ。どうだ。メイド仕事に興味はあるか?」
イーロンは微かに目を伏せ、溜息を吐いた。
「……まだ喋るのか?」
王子は目を見開いた。
「殺してやる」
殺気が溢れ出る。
会場は観客が消えたのかと錯覚する程に静まり返った。
決闘開始の瞬間は、舞台の中央に設置された魔道具が知らせる。単純に煙が出る。ある程度の実力者ならば、魔力を感じ取ることで、タイミングを正確に予測できる。
(……残り、二十秒)
王子は腰を落とし、魔力を練り始めた。
(……簡単には殺さぬ)
イーロン・バーグは棒立ちの姿勢。
魔力を練っている様子は全く感じられない。
(……残り、五秒)
王子は勝利を確信した。
そして整った顔が醜悪な笑みで歪む。
彼は青の魔力で体感時間を操作した。
一秒が何十倍にも引き延ばされ、世界から音が消える。
王子は思考する。
どのような殺し方をしようか。
いや、あえて生かす手もある。愚かな聖女を動かす為の人質になるかもしれない。
無論、最後は必ず殺す。
彼女を孕ませ、白の魔力と王族の血を持った子を産ませれば、もはや用済みだ。
うむ、やはり今日は生かそう。
遊べる玩具は多い方が良いに決まっている。
ああ、明日からが楽しみだ。
どうか私が飽きるまで、壊れないでくれよ。
(……三、二、一)
ゼロ。
魔道具が煙を出した。
「ぐぇぁっ!?」
王子は壁に埋まって気絶した。
「……」
会場は沈黙した。
誰も──否、ごく一部の者を除き、何が起きたのか分からなかった。
一人、また一人、それを目にする。
直前まで王子が立っていたはずの場所。
そこにはイーロン・バーグの姿があった。
* ノエル *
彼女は、それを理解できた者の一人だった。
イーロン・バーグは圧倒的な速さで間合いを詰め、刹那の溜めを作った後、右手を逆側に振りぬいた。いわゆる裏拳打ちである。
王子は全く反応できず、壁に埋まった。
自慢の脚部は萎み、白目をむいて泡を吐いている。
(……イッくん様!)
ノエルは両手で顔を覆う。
純白の瞳から温かい雫が落ち、彼女の手にそっと触れた。
* イーロン *
彼はしばらく王子を見つめていた。
観客と同様に、何が起きたのか理解できなかった。
(……よっわ)
いやいや、そんな馬鹿な。
きっと罠に違いない。あれは死んだふりだ。
慎重に近寄る。
しかし、王子に動く気配は無い。
(……本当に気絶してる)
彼は母親から魔力探知の術を叩き込まれた。
相手に意識があるか否かは魔力を視れば分かる。
(……ウチの、勝ち?)
じわじわと実感に変わる。
ふと彼は観客席に目を向けた。
ほとんどの者は未だに驚いている。
しかし時間と共に失望の色が増えた。
誰かが呟いた。
王子、弱くね?
それは誤解である。
イーロンが強過ぎたのだ。
けれども、その言葉が決め手だった。
集団の心理は「王子が弱い」という方向に誘導される。
流石にイーロンも理解した。
この後、王子がどのような扱いを受けるのか。
(……ウチが、勝ったから)
彼の未来は明らかだ。
きっと、死よりも惨いことになる。
(……ウチの、せいで)
身体が震えた。
それは──この上ない高揚感によるものだった。
「……気持ちいい」
【あとがき】
以上、5話で垣間見える魔王の片鱗編でした。
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