拝啓、舞い降りなかった天使へ。 Ⅱ


 私は、貧乏な家庭で育ちました。両親の仲は悪く、母親はヒステリック、父親はアル中と、散々たる生活でした。穴の空いた靴下は、縫い直して使っていました。制服を買い替えるなんて言語道断だったので、着られなくなった制服は捨て、ボロボロのパーカーを羽織り、私は学校に通っていました。


 友達は居ませんでした。小学校、中学校の間は、周りの痛い視線が嫌でした。学校をズル休みしようかと何回も考えましたが、それはしませんでした。

 暴力を振るう両親と、黙って冷たい視線を浴びせるクラスメート。どちらがましであったかなんて、言うまでもありません。

 学校の近所の公園で時間を潰すことも考えましたが、やはり私には出来ませんでした。母親が中途半端に優等生というキャラクターを押し付けたからです。嫌なことに、学校を無断欠席すると家に電話がかけられるシステムでした。私が学校をサボっている事を母が知れば、と考えると、私が大人しく学校へ行ったのも頷けるでしょう? 


 家に帰ると、深夜まで怒鳴られ蹴られの日々でした。きっかけは些細なことでした。家に帰るのがいつもより遅かったこと、食器を片付けるのを忘れていたこと、新しい革靴が欲しいと言ったこと。

 

 悲鳴と怒号が家中に響き渡ったのは、日常茶飯事となりました。そのうち、声の主は両親だけになりました。私は泣き叫ぶこともせず、黙って増える痣を見つめるだけでした。

 痛みがなくなったとか、両親に対して無関心になったとか、そういうわけではありません。ただ、反抗する力が残っていなかっただけでした。

 私に残されていたのは、近くのドラッグストアに売られていた三十錠でした。私はそこに、愛を見出していました。両親から貰えない愛を、自分自身で満たす方法を見つけたのです。


 オーバードーズ。勿論単語も意味も知っていました。治安の悪い高架下で、毎晩の様に行き場を失った若者が薬を飲むのだ、と。

 私は毎日のように薬を飲み続けました。さして美味しいわけでもない三十錠を、まるで儀式のように丁寧に遂行していきました。一種の信仰があったのは言うまでもありません。素晴らしかった。教祖にでもなった気分でした。でも、違うんです。私が信仰していたのは、三十錠の行き着く先、私の密室でしたから。

 薬を喉の奥に押し込む時、私は確かな愉悦を感じていました。



 事態が少し好転したのは、高校に入学してからです。

 表面上優等生を演じていた私にとって、高校の推薦書を貰うことは簡単でした。内定をもらった高校は、公立の進学校で、比較的自由な好風の学校でした。

 高校の入学式、私はまず知り合いが居ないことを確かめ、用意された椅子に座りました。パイプ椅子は少し軋みましたが、金属音がうるさいと言って怒鳴る人間はそこには居ませんでした。




 ーー未亜。高校で出会った、私の初めての友達。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る