第171話 亡国の王子

「かつて紺碧海を渡って南方のルディア大陸に逃げ去ったヨルゴス・カルーナが、武力によるカルーナ王国再興を企み、軍勢を引き連れて舞い戻ろうとしているようです。複数の商人から情報提供がありました」


 十月の中旬。サミュエルの執務室を訪れたエマニュエルは、硬い表情で急報を述べた。


「……そうか、あの末王子が帰ってくるのか」


 最側近である叔父の報告を聞いたサミュエルは僅かに眉根を寄せ、呟くように言う。


 先々代アレリア王ジルベールは、カルーナ王国を征服した際、これまでの報復とでも言うようにカルーナ王家の者たちを皆殺しにした。さらに、旗頭になり得る近縁者も尽くを殺した。西隣のファーロ大公国に逃げ込んだ者でさえも、最終的には見つけ出し、その家族もろとも殺している。ちなみに、この亡命者を自ら捕らえてアレリア王家に差し出したからこそ、ファーロ家はかなり長く侵略に抵抗したにもかかわらず、敗北後もかろうじて家の存続を許された。

 しかし、それらの虐殺をもってしても、カルーナ王家の断絶には至らなかった。最後の君主であった当時のカルーナ女王は、王配や王子王女たち共々国を見捨てずに戦う一方で、まだ幼かった末の王子ヨルゴスだけは船で王国を脱出させ、紺碧海――すなわち南洋を越えた先にあるルディア大陸へと逃がした。このヨルゴス王子の一行は、ルディア大陸でも有数の大国であるザンギア王国に亡命者として受け入れられた。

 ジルベールはヨルゴスをも殺したがったが、さすがに海を越えて別大陸の大国へ亡命した者を殺すほどの余裕は当時のアレリア王家にはなかった。ジルベールはついに最後まで、彼には手を出せなかった。


 その後、成長したヨルゴスは持ち出したカルーナ王家の財産を使って私兵を集め、亡命先のザンギア王家の客軍という立場で、傭兵として活動し始めた。おそらく才覚があった上に、よほど努力したのか、なかなかの名将に成長した。功績を上げ、配下からの支持も厚く、今では千人の軍勢を抱えているという。

 サミュエルの父である先代アレリア王キルデベルトも、ヨルゴスに関する情報は常に集めつつ、しかしやはり手は出さずにいた。ザンギア王家の傍流の女性を妻にしたという彼を殺すことで外交問題に発展し、海の向こうに強大な敵を抱えることを避けていたという。

 とはいえ、カルーナ王国再興の旗頭になり得る彼はアレリア王家にとって警戒すべき存在。だからこそアレリア王家は、別大陸で生きる彼の動向を、苦労しながらも収集し続けてきた。


「てっきり、ヨルゴス・カルーナはルディア大陸に骨を埋めるものと思っていたが……希望的観測だったようだな」


 サミュエルにとっては、アレリア王家とカルーナ王家の戦いは祖父の世代の話。自分が生まれる前の、既に歴史となった出来事。だからこそヨルゴス・カルーナという男についても、知識としてはその存在を知っていたが、あくまで「遥か昔にこのルドナ大陸西部で王族だった人物」という印象だった。


「私としても同感です。まだ自我も薄い幼子の頃にこの地を去り、カルーナ王国への未練などそもそも持たないものと想像していましたが……血統に従い、このルドナ大陸西部で王位を取り戻すつもりとなれば、こちらも対応せざるを得ません」


 血統を見れば、ヨルゴス・カルーナにはカルーナ地方の主となる正当性がある。皆殺しにされた一族の復讐を果たし、失われた祖国を再興する大義名分を彼は持っている。

 とはいえ、それはあくまで彼の理屈。アレリア王家にはアレリア王家の理屈がある。


「ヨルゴス・カルーナが連れてくる軍勢の規模や、襲来する時期についての情報は?」

「規模については、彼の率いる私兵集団『カルーナの顎』の総勢一千に加え、傭兵や一攫千金を狙った志願兵を集めているようです。現在はルディア大陸北岸の港湾都市に拠点を置き、募兵をしていると。自身がカルーナ王家の生き残りであり、目的地がアレリア王国カルーナ地方であることを隠すことなく喧伝しながら、傭兵や志願兵を集めているそうです……五千の兵をもって故郷に乗り込み、カルーナ王国を再興する。戦功を示した者にはカルーナ王国の爵位を与え、拡大した領土の一部を領地として下賜する。そのような宣伝文句を広めているとのことです」

「……拡大した領土、か。つまり、旧来のカルーナ王国領土を取り戻して満足するつもりはないということか。いかにもカルーナ王家らしい」


 エマニュエルの言葉に、サミュエルは険しい表情で思案する。

 アレリア王家が最も恐れている事態。かつての征服地がアレリア王家に敵対するかたちで再独立を果たし、その余勢をかってアレリア王国の旧来の領土や他地方にまで支配域を伸ばし、新たに戦乱を巻き起こすこと。ヨルゴス・カルーナは、そのような事態を引き起こす可能性が極めて高い。もはや、そうである前提で考えるべき。

 元より攻撃的な姿勢で知られたカルーナ王家。その遺児であるヨルゴスも、傭兵団長として激しい性格の人物だと聞こえている。勇ましい宣伝文句からして、彼は噂通りの気質の男であり、まさしくカルーナの王族らしい人物だと言えた。

「募兵と合わせ、大商人たちに呼びかけて南洋を渡るための船を集めているそうなので、襲来の時期は来年になるかと。カルーナ地方の貴族や民が蜂起するとしたら、おそらく王子の帰還と時期を同じくするものと予想されます」


「では、まだ時間はある……とはいえ、五千の兵が海を渡って襲来し、反乱勢力に合流するとなれば、極めて厄介だな」

「はい。兵力で敵側が上回る可能性も高いでしょう」


 ミュレー地方の反乱鎮圧にはノヴァキア公爵家を協力させ、アレリア王家は主力を南に割いてカルーナ地方の反乱を鎮圧することで、二地方で反乱が同時に起ころうと問題なく対応できるはずだった。しかしその計画は、ヨルゴス・カルーナの襲来によって崩れる。

 ヨルゴスがカルーナ地方の反乱勢力をも傘下に加えれば、その兵力は一万に届いてもおかしくない。それに対してアレリア王家が差し向けられる王国軍兵力は、王領や国境の守りとミュレー地方への対応も必要なことを考えると、せいぜい二千程度。カルーナ地方駐留部隊もいるが、そちらに関しては士気の低さから考えて、逃げずに戦うかすらも怪しい。他に貴族たちの手勢や傭兵、徴集兵を加えるとしても、総兵力は六千を超えれば上出来といったところ。

 現在のアレリア王家は弱体化が激しい。国家予算は著しく限られ、支配下にあるのは実質的に王国中央部とロワール地方のみ。それも、キルデベルトが覇王として君臨していた頃のような強権的な支配を成す力はなく、社会そのものも長年の戦争や、特に昨年の決戦で疲弊している。それらの事情から総合的に考えると、動員兵力はこのあたりが限界。エマニュエルはそのように見解を語った。


「陛下、ここは他国を頼ることも、本格的にご検討されてはいかがでしょうか」

「……エーデルシュタイン王国か」


 案としては、エーデルシュタイン王国に助力を求めることも上がっていた。借りを作ることになるためできるだけ避けたい選択肢だったが、避けた結果としてより敵対的な他勢力にアレリア王国領土を蹂躙され、大陸西部の安寧を崩されては全てが水の泡。


「やむを得まい。その方向で考えよう。まずはファルギエール卿とヴィルヌーヴ卿を呼んでくれ。具体的な戦い方を考えた上で、エーデルシュタイン王国にどのようなかたちで助力を求めるかを決めたい」

「御意のままに」


 エマニュエルは丁寧に一礼し、退室していった。




★★★★★★★


今年最後の更新となります。

2024年も拙作をご愛顧いただき、誠にありがとうございました。


2025年最初の更新は1月3日(金)になります。

また、既にお知らせしている通り、1月25日には書籍2巻となる『フリードリヒの戦場2 受け継ぐ者たちの覚悟、去り行く者たちの胸臆』が発売予定です。


引き続きエノキスルメの作品を何卒よろしくお願いいたします。

皆様どうぞよいお年をお迎えください。

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