第107話 北の備え
エーデルシュタイン王国側の願いもむなしく、ノヴァキア王国の戦況は覆らなかった。
ヴァンター要塞とレコア砦を奪い、侵攻の橋頭保としたアレリア王国は、攻勢部隊の残存兵力およそ六千を基幹に、敵国領土での掠奪許可に釣られて集まった徴募兵と傭兵を加え、王都のあるノヴァキア王国北部の蹂躙を開始した。
国力にものを言わせた圧倒的な軍事行動。中堅国家に過ぎないノヴァキア王国には為す術もなかった。ここぞとばかりに投入された総兵力は、実に一万以上。そのうち徴募兵と傭兵は、農村や小都市に欲望のまま襲いかかった。その多くが古くからノヴァキア王国の敵だったミュレー地方の出身者ということもあり、暴力と掠奪は容赦のないものとなった。
そうして各地が荒らされ、ノヴァキアの王侯貴族たちが民兵の徴集にも事欠く中で、アレリア王国軍を中心とした正規軍人部隊は順調に進軍。ろくな抵抗も受けないままノヴァキア王国北部を東に進み、ついには王都ツェーシスに到達した。
この頃には掠奪に出ていた徴募兵と傭兵も合流し、一万以上の大軍が王都を包囲。周辺からの補給と援軍の道を完全に断った。
ノヴァキア王国内でもとりわけ豊かな王領からの掠奪で補給を賄いつつ、降伏への圧力を強めるアレリア王国側に対し、オスカル・ノヴァキア国王は逆転勝利に賭けておよそ四千の兵力で王都から打って出た。
最精鋭の近衛隊と、王都防衛を任とする連隊。そして王都民による徴集兵部隊。士気では決してアレリア王国側に劣っていなかったその部隊は、しかし練度のばらつきは如何ともし難く、何より兵数の面で絶対的に不利だった。
敵陣突破からのアレリア王討伐を試みたものの、弱い徴集兵部隊の側面を突かれて陣形が崩壊。精強ながら数の少ない正規軍部隊は、こちらも負けず劣らず精強なアレリア王国軍の精鋭に受け止められてすり潰され、最後には前進を諦め、国王オスカルを生還させるために動いた。
結果、徴集兵部隊は半壊。正規軍人も、およそ千五百のうち、無事に王都に帰り着いたのは半数以下という有様だった。
王都民のうち最も頼りになる健康な成人男子の過半を失い、徴集兵に持たせるべき武器も失い、生き長らえた正規軍人のうち負傷していない者は数百人のみ。もはや勝機はないと判断したオスカルは、キルデベルト・アレリア国王より提示された条件――王侯貴族の身の安全と財産の保証、王都民の身の安全の保証、そして王国各地での民への掠奪と暴行を終了するという条件を受け入れ、降伏を決断した。
こうしてノヴァキア王国が敗北するまで、僅かに一か月足らず。この間、エーデルシュタイン王国はノヴァキア王国との国境に兵力を張りつけたのみで、戦いには介入しなかった。介入すべき機がなかった。
ノヴァキア王国の東に位置するリガルド帝国は、同じく国境地帯にある程度の兵力を置いたのみで、かつては敵国で今は消極的な友好関係にある隣国を助けなかった。ノヴァキアの逆転勝利という淡い希望に賭けて下手に戦力を消耗するよりも、元より盤石な国境の守りをさらに固めることを選んだ。
帝国が動かないのであれば、エーデルシュタイン王国が少数の兵力を投入しても戦況を変えようがない。むしろこちらの貴重な戦力を損なうだけ。大兵力を送ろうにも、補給体制の整っていない国外に千単位の軍勢を進めるには準備の時間があまりにも足りない。
そのような判断から、王太女クラウディアは――一個人としては友邦をただ見捨てることを心苦しく思いながら――静観を決めた。
そして季節は初夏へと移り、五月。麦の収穫期を前に徴募兵は本土に帰され、維持費のかかる傭兵も解散させられ、アレリア王国軍と貴族領軍による占領が進むノヴァキア王国。そこに忍ばせている間諜からの報告が、クラウディアのもとに集まってきた。
「キルデベルト・アレリア国王はノヴァキアの王城を拠点とし、王族と主要な貴族を監視下に置いた上で、併合に向けて新たな征服地統治の体制作りを進めている模様です。王都ツェーシスをはじめ、ノヴァキア王国内の治安は概ね良好。組織立った掠奪も、ノヴァキア王家の降伏後は行われていません。暴行に至ってはアレリア王より厳禁が命じられているようで、命令を破った兵士の公開処刑さえ行われているとのことです」
御前会議の場で語るのは、情報収集の実務指揮をとる外務大臣アルフォンス・バルテン伯爵だった。彼の話を聞きながら会議机の上を見つめ、思案の表情を見せていたクラウディアは、視線を上げて口を開く。
「状況を聞いて察するに、アレリア王はノヴァキア王国の残存兵力を、我が国へけしかける腹積もりなのではないか?」
今のところ、アレリア王のノヴァキア王国に対する処遇は甘い。これまでの彼であれば、王都を包囲されてもなお抵抗した王家に対しては、最低でも君主の処刑とその伴侶の幽閉、子女に世俗を捨てさせることを強いてきた。場合によっては王族の皆殺しを実行した。
それが今回は、命だけでなく財産まで安堵している。王家に対する処遇だけではなく、民への対応も妙に優しい。過去の例を見れば、略奪と暴力の嵐が一か月程度で終わることはなかった。
アレリア王が歳を取って丸くなった可能性も皆無ではないが、何か意図があってこのような扱いをしていると考えた方がいい。
自分がアレリア王の立場ならば、征服者として優しさを見せた後は、その優しさへの対価を求める。優しくしてやったのだから献身を見せろと、これからも優しく扱われたければ貢献を示せとオスカル・ノヴァキアに言う。
アレリア王の目的は大陸西部の統一。だとすれば、そのための協力をノヴァキア王家に強いるのが、彼にとって最も利益ある道。
エーデルシュタイン王国との国境を攻めるようアレリア王がノヴァキア王家に命じれば、攻められるエーデルシュタイン王国は、新たに北の国境へも防衛のためのまとまった兵力を割かなければならなくなる。北の負担のために、西の国境の防衛体制が大きく損なわれるのは確実。
そうしたエーデルシュタイン王国にとって負の状況は、当然ながらアレリア王国にとっては、次なる侵攻への大きな手助けとなる。ノヴァキア王国の支配体制の構築が一段落し、主力を本土に戻した後、手薄になったエーデルシュタイン王国西部の国境を容易に攻めることができる。
そこまでを数瞬のうちに推測したクラウディアに対し、アルフォンスは驚きに目を見開いた後に首肯した。
「……さすがは王太女殿下。まさしく仰る通りの報告が届いております。ノヴァキア王家が進軍の準備を開始しており、狙いはエーデルシュタイン王国との国境地帯であるらしいと」
居並ぶ他の臣下たちも、王太女の素早く的確な考察に、驚きや感心の反応を示した。
クラウディアはそうした反応を気にせず、その思考は次の段階に進む。
「事前に進軍の予兆を察知した以上、我が国としては今のうちから動かなければ。悠長にノヴァキア王国の相手をしている余裕はない……幸い、北の国境には既に二個連隊を送り込んでいる。短期間で決着をつけるよう命じ、そのためのあらゆる行動を許可し、後方から支援しつつ具体的な戦い方は優秀な将たちに任せるとしよう」
ノヴァキア王国との国境に戦力を置いたのは、このような事態を想定してのことでもあった。今回に関しては、備えに抜かりはない。
そして、軍事の委細に関しては頼るべき将たちがいる。後方から下手に口を出すよりも、自分より遥かに戦いを知る者たちに大きな裁量を与えるべき。彼らが全力を発揮できるよう、後方のこちらは支援に回るべき。そうわきまえているからこそ、クラウディアは言った。
「それと、帝国に使者を送る用意をしてくれ……我が国の決戦の時が近いと、かの国に伝える。そして助力を取りつける」
ノヴァキア王国の残存兵力をけしかけるアレリア王国側の動き方からして、こちらの決戦の日もそう遠くない。おそらく、早ければ一年以内にも。
そのとき、帝国の助力を得られれば勝利の可能性は高まる。そのために今から帝国に呼びかけるべきだと、クラウディアは判断した。
敵側のあらゆる小細工を跳ね除け、元凶であるアレリア王を決戦の場に引きずり出す。それがエーデルシュタイン王国にとって、現実的な唯一の勝ち筋。だからこそ今まで、アレリア王国の搦め手や嫌がらせを退けてきた。
今回も北からの牽制を跳ね除け、そして友邦の助力を取りつけ、全力をもって決戦に臨む態勢を築く。それこそが次期君主である自分の務め。
「これからの数か月が、我が国の存亡を左右する正念場となるだろう。皆、それぞれの役目に全力で臨んでくれ」
居並ぶ重臣たちを激励し、クラウディアは御前会議を締めた。
・・・・・・
ヴァンター要塞とレコア砦が陥落した直後から、フェルディナント連隊はノヴァキア王国との国境地帯に布陣し、事態急変に備えていた。また、国内防衛と後方予備を兼ねており、兵力の一部をエルザス回廊に置いているアルブレヒト連隊も、同じく北の国境地帯に移動していた。
その両連隊に対し、王太女クラウディアより新たな命令が届いたのは、五月の下旬のこと。
ノヴァキア王家が残存兵力を集めて国境に進軍してくる予兆が見られたため、先手を打って戦闘準備を整え、短期間のうちに決着をつけられるよう策を練るように。そう指示がなされたと、フリードリヒは連隊長であり自身の養父でもあるマティアスから聞かされた。
「ノヴァキア王国が動員する戦力はそう多くないはずだ。あまり多くの兵を集結させて武器を持たせれば、征服に対する反乱に繋がりかねない。そもそもアレリア王も、ノヴァキア王国の残存兵力をけしかける目的として、こちらに北と西で戦力分散を強いる以上のものはないだろう」
駐留拠点となっている、バッハシュタイン地方の首都レムシャイト。かつてはバッハシュタイン公爵家の居所であり、今は行政府となっている城の一室に置かれた連隊司令部で、呼び出されたフリードリヒはマティアスからそう語られる。
「加えて言うと、ノヴァキア王国の残存兵力に続いてアレリア王国の軍勢が北から攻め入ってくることもあるまい。征服して間もない不安定な地を背後に置いて戦うほど、アレリア王も愚かではないはずだからな」
「……それに、ノヴァキア王国の進軍開始までは今しばらくの時間を要しそうですね。大敗を喫して王国軍が大幅に損なわれ、国内を散々に荒らされた後となっては、民兵の徴集も部隊編成も一苦労でしょうから。ノヴァキア王国に勝利してまだ間もない現状、アレリア王国も今しばらくは占領維持に集中したいはずです。アレリア王がノヴァキア王国に対し、極端に進軍を急がせる必要があるとは思えません」
フリードリヒの言葉に、マティアスも頷く。
「そうだ。なので敵として見れば、ノヴァキア王国は差し迫った脅威というわけではない。だがエーデルシュタイン王国としては、かの国を相手にあまり消耗してはいられない。こちらの損害は少なく抑え、短期間でかの国を無力化した上で、戦力を西の国境へ戻し、アレリア王国への対処に専念しなければならない」
であれば、事は単に勝てばいいという話ではない。フリードリヒがそう考えていると、マティアスが続けて語ったのも同義のことだった。
「必要なのは完全な勝利だ。一度の決戦で敵軍を戦闘不能に陥らせるのが最も望ましい。私としては、残存兵力をかき集めた程度の軍勢に敗れるつもりはないし、それはアルブレヒト連隊のアイゼンフート卿も同じだろう……とはいえ、せっかく時間の余裕がある状況だ。より確実に大勝利を得るため、良い策があるのならば講じておきたい」
マティアスの言葉を聞きながら、フリードリヒは自身が呼ばれた理由を察する。
「王太女殿下からも、迅速かつ完全な勝利に必要な、あらゆる行動をとることを許すとの御言葉を賜っている……フリードリヒ。これはまさに、お前の才覚を活かすべき状況だ。何か妙案を思いつくか?」
「……少し……お待ちを」
養父に問われるよりも早く、フリードリヒは思考の海に沈んでいた。
フリードリヒの思案が終わるのを、マティアスも、その傍らに立つグレゴール――昨年腕に負った怪我は既に完治している――も、無言で待つ。室内に沈黙が流れる。
数十秒も経ってから、フリードリヒは口を開き、考えついた策を語る。
・・・・・・
王太女クラウディアの命令を受けた上での、二個連隊による共闘。その詳細について話し合うため、マティアスとアルブレヒト連隊長レベッカ・アイゼンフート侯爵は合同で軍議を開いた。
レムシャイトの行政府にある会議室に、両連隊の隊長と、その副官をはじめとした幕僚、そして大隊長格が集まる。会議机の両側に、それぞれの連隊の幹部たちが連隊長を中心として並ぶ。
「……なるほど。なかなか容赦がないが、確かに大きな効果を見込めそうな策だ。相変わらず、卿の継嗣は面白いことを考える」
フリードリヒの考えた策について説明を受けたレベッカは、表情は変えず、しかし声は感心の色を帯びて言う。
「こちらが言い出した以上、策の実行にはフェルディナント連隊を投入する。アルブレヒト連隊には、その後のノヴァキア王国との決戦で中心的な役割を担ってもらいたい」
「いいだろう。こちらはエルザス回廊の監視にも兵力を割いている上に、機動力の点では即応部隊である卿らには敵わないからな。開戦の兆しが見えるまでは待機し、兵たちの体力を温存させてもらおう」
マティアスの提案に、レベッカは異論を出すことなく首肯する。
「幸い、ここは我がアイゼンフート侯爵領が近い。決戦時は我が領からも領軍や民兵を多く動員すれば、兵力としては十分だろう。卿らはその策を実行した後、後方でゆっくりと観戦していてもらいたい」
「ありがたい話だな。では、そのつもりでいよう」
レベッカが当主を務めるアイゼンフート侯爵家は、エーデルシュタイン王国北部においては領主貴族たちの盟主のような存在。その立場を利用し、存分に力を発揮するつもりらしい彼女に、マティアスは微笑を浮かべて答えた。
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