第31話 北方平原の戦い②
それから半時間ほどで、両軍の布陣が完了する。
アレリア王国の軍勢は、自ら動こうとはしない。正面におよそ八百の歩兵。その後ろに二百強の弓兵。いずれも横に広く布陣している。最後方には本陣と、五十騎強の騎兵。
かつてこの地に存在したロワール王国は、人口こそ七十万人を超えていたが、富の源泉となるような資源もない農業国家だった。そのため、国の規模のわりに軍事力は高いとは言い難かった。
加えて、この二十年ほどでエーデルシュタイン王国とアレリア王国それぞれに大敗を喫したことで力を落とし、多くの軍馬や騎士を維持することが難しくなった。
結果、アレリア王国へと併合された現ロワール地方の土着の連隊は、歩兵七百と弓兵二百五十、騎兵五十という、騎兵不足が露骨に表れた編成となっている。
騎兵の打撃力不足を補うため、歩兵による精強な戦列を築くのが、旧ロワール王国軍――現アレリア王国東部方面軍の戦法。兵士たちを出身地からなるべく近い連隊に配属し、部隊内の連帯感と故郷防衛の意識を高めさせることで、粘り強く戦う歩兵部隊を維持していた。
しかし今回、アレリア王国側の歩兵のうち二百人は、精強な正規軍人から素人の徴集兵に入れ替えられている。山道の別動隊に対しては強力な一手となる策だろうが、一方で本隊の中に明確な弱点を抱える諸刃の剣と言える。
ツェツィーリア・ファルギエール伯爵は、自身の策を気づかれたとはまだ思っていないだろう。だからこそ、敵軍の弱点を突く余地があると、マティアスは考えていた。
「諸君。おそらくはこれが、アレリア王国との長き戦争の始まりとなるだろう。エーデルシュタイン王国は勝利する。我々の戦勝の軌跡が、今日この戦場を起点に始まるのだ。圧倒的な勝利、その最初の一歩を我々こそが刻むのだ。心してかかれ」
陣形の最前列をなぞるように馬を走らせながら、マティアスは言った。いつものように落ち着いた、それでいてよく通る声だった。
騎士と兵士たちの力強い応答が、生ける英雄のもとに帰ってきた。
マティアスは本陣に戻り、その中心に立ち、そして敵陣を見据える。
「始めるぞ。歩兵と弓兵は前進」
その命令を、グレゴールが大声で復唱する。大隊長、中隊長、小隊長へと命令が伝達され、部隊が動き出す。
ある程度接近したところで、敵にも動きがあった。歩兵の後ろに控える弓兵の横隊から、曲射で矢が放たれた。
歩兵たちは盾をかかげ、身を守りながら前進を続ける。盾で隠せない足などに矢を受けて倒れ、さらに矢の雨を浴びて戦闘不能になる不運な者も少数いるが、全体としては陣形を保ちながら着実に敵との距離を縮める。
そのまま一気呵成に突撃――はせずに、敵歩兵との間に距離を残して、歩兵も弓兵も停止する。
それが予想外だったのか、こちらを迎え撃つ気で待ち構えていたらしい敵の前衛の歩兵たちに、少しの動揺が見られた。
「弓兵は攻撃を開始せよ」
マティアスの次の命令が伝達され、こちらの弓兵、およそ三百五十が一斉に矢を曲射する。
エーデルシュタイン王国側の弓兵は、歩兵の右側後方に寄るかたちで布陣していた。その攻撃は必然的に、敵陣の左側に集中する。敵歩兵はもちろん、一部の矢は敵弓兵にまで届く。
こちらの右側にいる歩兵たちは、相対する敵の弓兵が矢の雨を受けて怯んだことで、状況が楽になる。一方で味方弓兵の援護なしに敵の矢を受け続ける陣形左側の歩兵たちは、盾を構えたまま懸命に耐える。
「弓兵はそのまま矢を射続けろ。射撃停止の判断は大隊長に任せる……最右翼の歩兵中隊は、敵陣の左側面へと前進。邪魔な木柵を取り除け。同時に、騎兵部隊は突撃開始」
立て続けの命令はグレゴールによる復唱や騎士による伝令を介して的確に伝えられ、各部隊が機能的に動く。
こちらの陣形の最も右側にいた歩兵百人が、敵陣の左側面に進む。歩兵たちがある程度前進した時点で、味方への誤射を防ぐために弓兵大隊長が射撃停止を命じ、矢の曲射が止まる。
しかし、大量の矢を全て受け止め続けていた敵の左翼側は、少なからぬ死傷者を出しているためすぐには立ち直れない。その隙を突き、敵陣の左側面に回った百人の歩兵は木柵に取りつく。
排除するのは、敵陣の左側面のうち中央あたり、ちょうど敵歩兵の後衛の真横に位置する木柵。半数の兵士が敵の反撃を防ぎ、残る半数が木柵を抱え上げてどかす。
その行動を邪魔するために、敵の騎兵五十が前進してくる。しかし、騎兵を動かしているのはこちらも同じ。敵陣に向かって駆ける百騎の騎兵のうち、あらかじめ決められていた半数が敵の騎兵を迎え撃ち、押さえつける。
残る五十騎は、味方の歩兵が木柵を排除したことによって生まれた無防備な地点を目がけて一斉突撃。敵歩兵の後衛、その横腹に突き進む。
敵歩兵の後衛のおよそ半数は、素人の徴集兵。仲間と連係して騎乗突撃を迎え撃つ訓練など積んでおらず、そもそも騎馬の集団を真正面から受け止める度胸もない。
軍馬と完全装備の騎士、合わせて五百キログラムを超える騎兵が五十騎。その大質量が地響きを立てながら迫りくる様を見て、敵歩兵の後衛は大きく隊列を乱した。いざ騎兵が斬り込むと、もはやまともな部隊行動はとれなかった。
これこそがマティアスの狙いだった。
たとえ装備が正規軍人と変わらなくとも、徴集兵は練度も低く、何より精神的に脆い。想定を上回る矢の大雨を浴び、側面を守ってくれるはずの木柵を失い、騎乗突撃をまともに食らえば、簡単に崩れる。
崩壊の起点を生み出すことに成功すれば、後は一方的な戦いとなる。五十騎程度でも敵陣の内側に入り込むことができれば、後は大質量に任せて敵兵を蹂躙するばかりとなる。
「歩兵部隊は突撃」
騎兵部隊の突撃成功を確認したマティアスは、さらに命令を下す。今まで敵の弓兵による牽制に耐えていた八百弱の歩兵が、一斉に突撃を開始する。敵歩兵の前衛との距離を瞬く間に詰め、そのまま殴りかかる。
敵陣の最前列には、歩兵の精鋭が並べられている。しかし、後衛が騎乗突撃を受けてかき乱されているとなれば、彼らも落ち着いて目の前の相手を迎え撃つことはできない。正面からの猛攻、そして後方の喧騒に挟まれ、すぐに隊列が崩れ始める。
ここまで来ると、アレリア王国側の軍勢はもはや機能的には動けず、全体が崩れ始める。
・・・・・・
その様を、ツェツィーリアは最後方の本陣から眺めていた。
「あーあぁ、さすがは農民を寄せ集めた徴集兵だ。簡単に崩れてくれたなぁ」
自軍が総崩れになっていく光景を目の当たりにしても、彼女は穏やかな表情を保っていた。
苛立っても喚いても状況が好転することはあり得ないのだから、いつでも平静を保つのが一番。それが、今までの人生を経て彼女が得た持論だった。
「閣下。いかがなさいましょう」
「こうなったら仕方がない。まずは騎兵を下がらせよう。弓兵は陣形を維持したまま後退。歩兵は陣形の最右翼にいる者たちに木柵をどかせて、そちら側から離脱させよう。先に下がらせた騎兵と弓兵で牽制し、できるだけ多くの歩兵を下がらせるんだ。ここではまだ壊走はできないからな」
傍に控える副官に答え、ツェツィーリアは再び前を見やる。
「しかし……敵の動き方からして、こちらの歩兵の後衛に徴集兵が混ざっていることが明らかにばれていたよなぁ」
首を傾げ、短く切り揃えた黒髪を揺らし、前髪の隙間から赤い双眸で戦場を俯瞰しながら、ツェツィーリアは独り言ちる。その声に敗北への悔しさや悲しさは一切表れず、あくまであっけらかんとしている。
戦いが始まる前に、敵側の別動隊から本隊へと伝令が来たのだろうか。こちらの別動隊と本隊を合わせた総兵力が多すぎることを知ったのだろうか。
いや、だからといって、それでこちらの策まで全て見破られたとは考え難い。相手の兵力が予想より多かったからといって、進軍途中に農民を徴集して正規軍人の格好をさせ、本隊後衛に配置しているなどということまで、普通は思い至らない。
ということは、もしかすると。
開戦前、敵将マティアス・ホーゼンフェルトは一人で陣の最前に立ち、こちらを見ていた。その際に、こちらの歩兵に徴集兵が含まれていることに気づいたのか。
あれほどの遠距離から、こちらの整列の様子を見ただけで歩兵後衛の練度のばらつきに気づき、そこからこちらの策の全容までを見抜いたというのか。
だとしたら驚異的だ。さすがはエーデルシュタインの生ける英雄と言うべきか。
「才覚と経験を兼ね備えた熟練の将は、そこまで鋭い目を持っているのか。予想外だったなぁ」
ツェツィーリアは小さく息を吐く。
策略を考える力では敵国の英雄にも勝っているつもりだが、自分はまだ二十五歳。経験値では歴戦の将であるマティアスにとても敵わない。彼は戦場を、戦争を、自分より遥かに知っている。
自分にできないことが、彼にはできる。これが自分と彼の差だ。
「閣下。本陣も下げますか?」
「……ん? ああ、そうしよう。我々も下がろうか」
ツェツィーリアは副官の言葉に頷き、自身の愛馬に乗って踵を返す。
敵軍はこちらの歩兵をあまり深追いすることはなく、こちらの弓兵による牽制や騎兵による威嚇を受けると速やかに下がっていった。
両軍の距離が開き、この日の会戦は終結する。
二戦目以降があるかは、別動隊の作戦の成否にかかっている。別動隊が敵別動隊の撃破と山道の突破に成功するようであれば、敵本隊は前後からの挟撃を恐れて後退するであろうから、アレリア王国は北方平原よりも東側まで支配域を広げることができる。
「さて……アランブール卿は山道で上手くやっているかな」
副官や本陣の直衛たちと共に後退しながら、ツェツィーリアは穏やかに呟く。
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