アプリコットフィズの、グラス越しの瞳を私に。
水浦果林
episode1
ダークブラウンを基調とした四角い空間に、太陽光のようなランプが光る。
「レディ、隣の彼は?」
カウンターに座っていた老人は、溶けたような目をした黒髪の女に声を掛ける。老人の瞳は慈悲深く細められ、高貴な紳士のテーラードジャケットのボタンに、潜むように女の影が映る。
女は実に美しかった。
濡れたような黒髪には、照明をすべて跳ね返す艶があり、赤く引いた口紅は、派手なのに、整った彼女の顔立ちの引き立てにしかならない。薄く開いたアーモンド目も、何処か光があった。気だるげなその様が印象を強める、妖艶な美人であった。
女は、片手で揺らしていたアプリコットフィズのグラスを、液面を眠らせるようにくるりと回してから置いた。それから、老人の言葉に、一文字一文字丁寧に返すように唇を震わせ、隣に座る男と腕を組んだ。
「……私の、彼氏♡」
スイートグレーのスーツに身を包んだ隣の男は、女に向けて、優しく微笑むのみであった。
○○○○○○○○○○○○〇
「
職員室の机に突っ伏していた時、数学担当の
「ありがとうございます、春樹先生。疲れている……というより、今日も失敗ばかりで、少しばかり落ち込む時間を作ろうと……。」
「……なるほど?」
曖昧さが混じるぼくの言葉に、春樹先生は困ったように笑った。
ぼくは、中学校の社会科教師を勤めている。生徒たちはぼくの授業を真剣に聞いてくれて、定期試験でも高得点を取ってくれる生徒が多い。
しかし、生徒から『少し抜けているところがある』と言われてしまうくらい、ぼくは失敗が多い。できる対策は全てしていても、それでも失敗をしてしまう。
周りの人の完璧さに、ただ憧れることしかできない自分が憎い。自分が少しでも周りを頼ることができた、学生時代が遠く思える。
しかし、実はそれだけではない。いや、しょげる原因を大きく作ったのはこれだけれど、他にもある。
実は、この春樹先生が、要因の一つであったりするのだ。
春樹先生は、退職なさった先生の代わりに、夏季休暇明けから赴任してきた。ぼくたち教職員にとっても、彼の顔は新しい。
そう。この珍しさに、目を奪われている人間が一人いるのだ。
家庭科教師、
人間の心変わりは残酷で、彼女が抱くその感情に気づいてしまう自分が、あまりに可哀想にすら思えてしまう。決して、今まで彼女に渡してきた言葉は偽りなどではなく、彼女に向け続けた愛も、大切だと思った心も、痛いくらいに自分の中に残っている。
しかし、彼女に非はない。これは、こんな未来しか作ることが出来なかったぼくの責任で、彼女は想いのまま、純粋に人を好いただけだ。春樹先生と隣に並んで、ぼくは彼に勝る部分は一つとしてない。人と比べるものではないけれど、不器用に生きてきたぼくに、彼女の心変わりを浮気だなんだと、声に出す権利は毛頭ない。
自己肯定感の低さも影響していると思う。でも、それでもぼくは、茉緒の熱情が自分に向けられていないことに、口を出すことはできない。
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