第39話  花祭り④

 突然口を後ろから塞がれた。


 誰?やめて!


 ーーアクア、助けて!


 返事がない。


 ヴィーから離れてしまった。せめて近くにいればよかったのに、陛下達から隠れるためにヴィーから離れたのはわたし自身。


「久しぶりだね、クリスティーナ」


 聞き覚えのある声。


 耳元で気持ち悪いねっとりとした声。


 その横で「一人で幸せになるなんて許せない」と怒りが含んだ声。


 義弟のバートンとルシウス……



 どうしてここに居るの?

 二人は廃嫡になり側妃は追い出され……王都から出されて市井で暮らしているはず。


「酷いと思わないか?可愛がっていた実の息子を捨てて愛する妻も捨てて一人で幸せになっているんだぜ、あの人」


 パレードの方をチラッと見て舌打ちをした。


「何か事件でも起こしてやろうと思って王都に戻って来てみたら、お前がいたんだ。お前のせいで俺たちは今地獄を味わっているんだ」


 首を横に振った。

 ーー怖い……あの時のことを思い出して体が震える。

 嫌だ、嫌だーーアクア、どこ?


 どうして返事をしてくれないの?


 ヴィー、お願い助けて!



 怖くて叫び声も出ない。

 怖くて体が動かない。

 怖くて涙が溢れて……


「泣いた顔ってほんとそそられるよね」そう言ってわたしの頬をぺろっと舐めた。


 身体中が鳥肌。


 “ティーナ!”

 アクアの声が聞こえた。


 ーーアクアっ!


 とその時、突然周りにたくさんいた人達がサッと居なくなった。


 わたしのそばにいるのは義弟の二人。


 そして目の前にいるのは陛下……


 何故馬車に乗っていたこの人がここに?


 わたしを見る冷たい目。


 そんなにわたしが嫌いなら目の前に来なければいいのに。


「父上……お久しぶりです。僕に会いに来てくれたんですね?」

 ヘラヘラ笑う義弟二人はわたしの腕を掴んで離さなかった。


「クリスティーナ様!」


 ヴィーも人混みをかき分けてこの重たい空気の中にやって来た。


「ヴィル、貴様は護衛だろう?何故この娘を一人にした」


「申し訳ございません」

 ヴィーが陛下に頭を下げた。


 周りの人は沈黙したまま様子を窺っていた。


「お前達は王都の土を踏むことは固く禁止しているはずだ。監視の者達がいるはずだが?」


「そんなの母上達の魅力でみんな言いなりですよ」


 義弟の二人は悪いことだとも思わず自慢気に話した。


「ほお、そおか、お前達は悪いことをしたことにすら気が付かない馬鹿なのか?」


「父上とは言えそんな酷いことを言うと僕たちだって許しませんよ」


「許さない?何をだ?」


「母上達は今父上を陥れるために頑張っているんです。もう少ししたら父上は国王から引き摺り下ろされますからね」


 義弟の会話を聞いてわたしは呆れ返ってしまった。


 たくさんの観衆の中、陛下に対して反逆することを堂々と言ったのに気がついていない。


 これが半分だけど血のつながった弟?


「お前達はわたしを父上と言うが、お前達の父親はわたしではない。確かに髪の色が同じだが他人だ」


 そう言って二人の手をわたしから離してくれた。


「おい、こいつらを捕まえて牢屋へぶち込め!そして元側妃達も捕えろ。王都にいるはずだ」


 “あそこにいる!”


 アクアがそう言うと、突然空から雨が降り出した。

 それも1ヶ所だけ。


 “あの雨のところ、逃げてる逃げてる。逃げても雨は追いかけるのに、ほんと息子と同じで馬鹿だよね”


 雨が少しずつ移動しているのがわかる。


 そこに騎士達が走って捕まえに行った。


 周りは「うわー」と何故か拍手喝采。


 陛下が「すまない、とりあえず馬車に乗りなさい」と言ってパレード中、後ろに付いていた馬車にヴィーと一緒に乗せられた。


「クリスティーナ様、怖い思いをさせてすみませんでした」


「わたしが勝手に離れたんですもの」


「それでも俺は護衛です。しっかり守らないといけなかったのに」


 “僕もごめん、ちょっとこの世界から離れていたんだ”


 ーーううん、誰も悪くない。


 でも怖かった。あの二人が近づくと体の震えが収まらなくて思考が鈍くなった。


「クリスティーナ様、お顔が真っ青です」


「ヴィー、ちょっとだけでいいの。子供の頃のように手を握って欲しいの」


 ヴィーは小刻みに震えているわたしの手を握り「もう怖くはありません」と言って馬車を降りるまでずっと手を握りしめてくれた。


 わたしとヴィーは公爵家に送られた。


 公爵家の両親は先に伝令で事情を聞いていたらしくすぐにお医者様を呼んでわたしの診察をしてくれた。

「どこも悪くありませんよ?」と言うのに


「だめよ、あんな汚らしい馬鹿な息子に触られたのだから!」と怒っていた。


 なんだかその言葉に気が抜けてふっと笑った。


 笑ったら今頃になって何故か涙が溢れた。


 近くにいたヴィーが慌ててそばに来て


「クリスティーナ様?」と声をかけてきた。


 お母様やお医者様がいるのにわたしは周りの目を無視してヴィーに抱きついて泣いた。


 声を出して。


「怖かったの、あの子達からされたことを思い出すと怖くて。側妃達からされたことだって許したくないことばかり。

 どうしてわたしはいつも馬鹿にされるの?

 どうして一人でずっと離れで暮らさなければいけなかったの?

 どうしてわたしは今でも誰からも存在を認めてもらえないの?

 要らない子だから?だから生け贄にされたの?

 わたしが死ねばよかったのに、わたしなんて誰からも必要とされていないの」


 ヴィーはずっと黙ってわたしの頭を撫でてくれた。


 わたしは泣きたいだけ泣いて辛かったことを言いたいだけ言った。


 ずっと我慢していた言葉、ずっと我慢していた思い、こんなに泣いたのは初めて。


 そして子供のように泣き疲れていつの間にか眠ってしまった。








 ◇ ◇ ◇


 クリスティーナ様が俺の胸の中で泣いた。


 ずっと我慢を強いられて生きてきた。

 どんなに辛くても笑顔を絶やさない、周りに気を遣い過ぎる優しい子だった。


 だけど傷つかないわけではない。

 陛下の態度に傷つき、セリーヌ様が生きていることを喜びつつも陛下と共に生きることを決めて自分とは一緒に暮らせないことに葛藤していた。


 親の愛情をほとんど受けずに育ったクリスティーナ様。セリーヌ様が亡くなった時、セリーヌ様から受けていた愛情や思い出も記憶と共に失って育った。


 クリスティーナ様へ向けられた愛情は無骨で繊細さの欠ける俺たち騎士だけだった。


 そんな中で育ったクリスティーナ様、公爵家の令嬢になれば幸せになれると俺は単純に思っていた。


 だけど令嬢になっても周りは見下し嘲笑っている。

 それは公爵の力よりクリスティーナ様に対する陛下の態度の冷たさが、貴族社会で知れ渡っているからだろう。


 それを一身に受け傷つきそれでも必死に耐えてきた。


 だけど今回の事件でクリスティーナ様の心は壊れた、いや、疲れ果てたのだろう。


 陛下はあんなことがあっても優しく声すらかけない。


 俺はこの優しくも弱いクリスティーナ様をもう離したくないと思った。


 大切な守るべき妹のような存在からそれ以上に愛してやまない大切な人になってしまった。


 この気持ちをもう隠せない。


 ずっとクリスティーナ様のそばにいる権利を欲しい。そう思った。














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