六の浪 ウィッチェル魔導国⑥

 ウルとの休日から数か月が経った。それなりに長く城に滞在しているからか、ウル以外との距離も近づいた。最近は王子も私の事を認識しているようで、と舌っ足らずに呼んでくるし、魔女王のいる時でも食事の席を共にする事が増えている。

 問題のウルだけれど、近頃は魔導を使うのを躊躇する事が増えていた。魂の崩壊が進んで、肉体的な痛みを伴うようになったみたい。タイムリミットは近くはないけれど、遠くもない。


 だからだろう。今こうして、魔女王エマシニエラと二人だけで白いティーテーブルを囲んでいるのは。


「突然すまぬ。進捗の報告は受けておるが、直接そなたの口から聞いておきたくてな」

「大丈夫です。ちょうど休憩にしようと考えていたところですし」

「ふふ、私のような立場の者と話すことが休憩になれば良いが」


 ティーテーブルの向こうで魔女王は微笑み、ユーモアを見せてくるけれど、人心掌握術の一つなのだろう。彼女が冗談を言ってくれる程私に心を開いているとは思えない。

 まあ、人の上に立つ立場なのだし、それくらいは当然かしら。


 気を悪くする事でもないから、用意された花のような香りのお茶を口にする。ついでに窓の外を見ると、こちらに向かって流れる雲の動きが早いような気がした。


「研究の方は、おおむね順調です。対象指定までは問題なく行えるでしょう。定義する条件も八割がた絞り込めています」


 タイムリミットについては言及するまでもないだろう。彼女も魔女。理に触れ得る存在。言うまでもなく、理解している。

 

「そうか。そなたに頼んだのは間違いで無かったようだ」


 大半の条件はこの世界に残っている神話から定義できた。この世界には残されていない情報についても大方精査し終えたから、残りの条件も時間の問題だろう。とりあえず、黒の女神と女神の侍女のえにしは必要な条件に関わってくると思う。


「大事な教え子です。あの子の望まない結末なんて、迎えさせません」


 自分の死ではなく、母を悲しませる事を恐れたあの子の願いだもの。必ず叶える。


「……ようやく、あの子らを育てられる時代になったのだ。よろしく頼む」


 また、彼女は深々と頭を下げる。長い、長い時を母となる手前で耐え忍んだ、気高き女王を演じる彼女が。


 これはきっと、子どもたちが彼女にとって唯一信じられる宝だから。


 この国に来ると決めた時、同じ不老の魔女であるエマシニエラについて私が調べないはずが無かった。少し気は引けたけれど、似た様な存在の彼女に興味が湧いたから。


 女王となる前の彼女の人生は、壮絶と言っても過言ではなかった。

 物心ついて然程経たない頃、理不尽に故郷を追われて両親を亡くし、偽りの好意を見せて近づいてきた商人によって奴隷に堕とされた。奴隷として新たな主人の下へ向かう途中、魔物に襲われてただ一人生き延びたのが、この魔境、アンティクウム大森林内での事だ。

 魔物から彼女を救ったのは彼女と同じ獣族の冒険者たちだったけれど、その内の一人、猿人族の男に慰み者にされてしまったというのだから、一時期、対人恐怖症になってしまったのも無理はない。


 絶望しきって尚、死ぬ事を拒否したのは復讐心故なのか。ともかく、彼女は野盗のような生活をしながら大森林で十年もの間生き延びた。

 その彼女の心を開いたのがウルの父親らしい。つまりウルと王子のレネシニエルは唯一心を開いた相手の忘れ形見だ。


 なんやかんやあって同じように迫害された人たちが流れ着き、この国の原型が出来てからは、この地を奪おうとする輩との諍いは絶えなかった。大森林内に奇跡的に栄えた人の領域で最も豊かな土地だ。狙われるのも道理。赤子を育てる余裕はなく、胎児にエネルギーを使う訳にもいかない。だから、仕方なく子どもたちの成長を拒絶して、所謂コールドスリープと同じような状態にしていたそう。

 ようやく育てられる時代になった、というのはそういう事。


 そんな彼女が、赤の他人である私に再び頭を下げている。

 死を拒絶し、人を拒絶し、あらゆるものを拒絶してきた彼女が。魔法の発現に繋がる程に家族以外の万事を信じなかった彼女が。


「……ウルが信じたから、なのかもしれません。それでも、私を信じてくださって、ありがとうございます」


 あんな事態を起こすような、傲慢で愚かな魔女なのに。


 私の言葉が意外だったのか、顔を上げた魔女王は家族相手以外で珍しく、偽りない色を見せて目を見開いていた。それだけの事だけれど、何となく彼女の心に近づけた気がして、頑張る理由に魔女王エマシニエラの為、と胸の内で付け加える。

 彼女は少しして目を細め、ウルのような笑みを浮かべた。


「湿った話はこのくらいにして、お茶を楽しもう。アーテル殿は以前、大森林の奥地で暮らしていたと聞いた。その時の話を聞かせてくれ」

「はい、喜んで。そうですね、では、アストと出会った時の話からしましょうか」


 終わり際、また二人で茶を飲もうと言われたのが妙に深く、記憶へ刻まれた。


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