1 あなたを追いかけてきたに決まっています

 もう、足が動かない。

 ったく、狩りにきて狩られてるなんてシャレにもならないじゃないか!

 立ち止まると心臓の音が静かな森の中、うるさいくらいに響いてるみたいだ。その激しい鼓動と息遣いのあいまに、馬の蹄の音が聞こえた。まずいな。今、矢を放たれたらよけきれない。

 ダメだ。逃げなきゃ。

 まだ、死にたくないや。

 残った刺客もさっきの一撃が効いて追ってこないはずだけ、ど。と思ったら甘かった。脇を抜かれた。こいつ、この森でこれだけ動けるってことは魔剣士か。

「カシャ王子殿下、お命頂戴!」

 刃のきらめきが迫る。しまった。振りかぶれば受けられるか。 

 ズ、ぬ……という、剣が肉にめりこむ嫌な音。でも、痛くない……ほえ? 

「カシャ様、背中ががら空きですよ」

 頭の上から若い男の皮肉っぽい呆れ声がおりてきた。

「……アスラン」

 馬上から長い黒髪をもったいぶってかきあげながら剣の血糊をふりはらうのは僕の側付のアスラン・パライオロゴスだった。

 呼吸を整えながらその姿を眺めると、彼がひどく地味な格好をしていることに気がついた。しかも、いつもその白い額を飾っている瞳にあわせて紫水晶をはめこんだ額の銀の輪さえもはずしてしまっている。

「なに、その恰好は?」

「おかしいですか」

「おかしいわけじゃなくて、なに着ててもアスランはかっこいいよ」

「当然です」

 ……ま、事実だけどね。

 危ういところを助けられたから言うわけじゃない。

 なんの飾りもない黒い服の上に厚手の外套をはおっただけの地味な格好も、背が高くて手足の長い彼にはよく似合う。宮廷一の剣士にして超絶美形、しかも公爵家の嗣子となれば僕のように外れものの王子よりも王子然としててもおかしくない。その面差しは僕の祖父である美男王をしのばせる。彼の黒髪と紫水晶の瞳は、闇王国の王家独特のもの。

 ひるがえって僕は、呪われた青い目に生まれてきた。

 そのせいでこうして命を狙われたりしている。

 ただ、今日のは……どうにも様子が違った。

 ようやく落ち着きはじめた胸をおさえた僕の横で、アスランは馬からおりて死体をあらためはじめた。その一瞬、彼の顔に厳しいものがうかんだように見えて、なんとなく嫌な予感がした。

「カシャ様、いつまでこうしていても始まりません。馬はどうしました」

「死んだよ。戻って埋めてやらないと」

「毒矢ですね」

 確認するための問いに癇が立つ。何故、知っている。

「なんでおまえがここにいるんだよ」

「あなたを追いかけてきたに決まっています。お命が狙われているときに独りで出かけられるとは……」

「生まれてこのかた僕の命が狙われていないことなんてなかったじゃないか」

「そういう問題じゃありません。時期が悪いと言ってるんです」

「父上様の御病気が重いから、か」

「分かってらっしゃるなら」

「魔の森に閉じ込められたきりで何がわかるっていうんだ」

 叫ぶようにそういって睨み返すとアスランは眉をしかめただけだった。そりゃあそうだろう。僕はこの魔の森の一角にある離宮に幽閉されている。しかも事実上、パライオロゴス公爵家の宮殿に繋がれているのだ。外出が許されるのはここが文字通り魔物の棲むそこだからで、昼はまだしも夜ここに近づくものはいない。いるとしたら、魔物と戦える魔剣士くらいなものだ。そう、このアスランのような。

「カシャ様、だからといって」

 これ以上、小言をいわせてなるものか。

「誰かに殺されるほど疎まれているんなら、死んでやったほうがいい」

「と、言いながら、ちゃんと生きのびていらっしゃる」

 一転してからかうような口調になったアスラン。

「そりゃあ、殺されるのは痛そうだから」

 そう。殺されるのはきっと痛いに決まってる。

 僕が死なないでいるのは死ぬのが怖いから、痛そうだから、それだけの理由のような気がする。

 アスランは死体から短剣を奪いこちらへと差し出してきた。扱いに気をつけて、と口にしたのは毒が塗られているからだということくらいは理解した。頭一つ以上高いアスランは受けとるこちらの顔を見おろしてのぞきこむ。

「何かあったらそれをお使いなさい」

「何かって……」

 僕はいちおう剣を使える。アスランほどではないけれど、それなりに身を守れる。けれど要らないとは言わなかった。僕はそれを腰帯に押し込んだ。そして、

「とにかく馬を埋めてやらないと」

 かわいそうに、僕が乗ってきたがゆえに死んでしまったあの馬を早く埋葬してやりたかった。ところが、

「そんなことよりも、ここを離れましょう」

 離れる?

 この男、何を言ってるんだ。

「ここを離れることなど出来ないのは知ってるくせに」

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