地球泥棒を追え! ③

 小さな染みのある、見慣れた天井。

 五分ほどそれを見上げていた一郎は、ようやく自分が寝ている事に気付いた。


「ふはっ!?」


 跳ね起きる。ベッドからずり落ちる掛布団。

 窓の外からは朝日とスズメの声。時計は朝八時の少し前を指している。

 辺りを見回す一郎。いつもの、自分の部屋だ。何一つ変わっていない。

 そう、何一つ。


「……ええと」


 窓辺に歩み寄る一郎。壁に触る。固い感触。大穴どころか、ヒビの一つさえない。

 窓を開く。見えるのはいつもの街並み。平和そのもの。人型の巨大兵器が暴れ回った痕跡なぞ、影も形も見当たらない。


「だが、夢じゃあない」

「ああ、起きていたか。丁度良かった」


 呟きと同じタイミングで、真下から声。

 見下ろせば、重力を無視して壁に垂直に立っている赤子規せき しきの姿があった。

 そのまま窓から滑り込んで来る子規を見ながら、一郎は頭をかく。


「デルタ星雲統一知性群じゃあ、窓から出入りするのが普通なのか?」

「場合による。それにここが最寄りのコンビニに一番近いのでな」


 それは一郎も知っている。向こうの十字路、構えている店舗。駐車場面積はともかく、店構えは全国どこでも変わらないんだな、と部屋を借りた翌日に思ったものだ。


「で? 宇宙人が何買って来たんだよ。てか持ってんの日本円」

「日本円どころか、ドル、ユーロ、ペソ、リラ……地球で流通する通貨は、電子物理問わず一通り揃えているよ」

「わぁ予想以上に手広い」

「で、買って来たのはこれだ」


 部屋中央のテーブルに、子規はビニール袋を置く。中身を取り出す。

 おにぎり三つ、総菜パン二つ、野菜サラダとカップみそ汁が一つずつ。見慣れた顔ぶれであった。


「宇宙人もコメ食うのか」

「僕ではない、キミの為に買って来たんだ」

「そうなの? そりゃありがとよ。でもちょっと量が多い気が」


 言いかけ、腹を抑える一郎。何だかいつもの朝より腹が減っており、それで思い至る。


「そうか、疲れて倒れちまったのか、俺は」


 一郎は座布団に座り、おにぎりを一つ手に取る。ツナマヨだ。程よく温かい。


「生体脳への情報転送に慣れていない個体が陥る、一種の疲労現象だ。ましてやキミは事前準備無しにそれを受けたのだから、むしろ早く回復した方と言えるな」


 子規はカップみそ汁のフタを取り、袋のみそを入れた後、右手をカップの上に掲げる。すると手のひらからお湯が出て来る。味噌汁の完成だ。


「何それ。宇宙人って手からお湯出るの?」

「そういう生態のものも居るが、僕は違う。この身体の機能の一つだ。そもそも僕がそういう生き物でない事は、既に知っているだろう?」

「あー」


 湯気の立つ味噌汁を受け取りながら、一郎はプレート経由でもたらされた知識を引き出す。


「赤子規。これは当然偽名。本名は地球人には発音しづらいからだ。名の由来は地球から見てかに座の方角から来たから。デルタ星雲統一知性群を名乗る意思持つ巨大なエネルギー塊、その一部から分かたれ、数々の能力を装備して派遣された存在。故に正確には人というか、生物とは規格の違う存在」

「そう言う事だ」

「だから、地球保全条約によって備えられた修復機構にも、アクセス出来る」


 一郎の先祖が改造を受けたのと時を同じくして、地球自体にも幾つかの改造が施された。今回働いたのはその内の二つ。修復機構と、情報制御機構である。

 二重環惑星連合、ないしデルタ星雲統一知性群に起因する損傷が地球に発生した場合、それが地球の営みへ影響せぬよう速やかに修正するシステムだ。

 これによって一郎の部屋の壁やシロガネによる街中の戦闘痕跡は、跡形も無く修復された。巻き込まれた者達も傷一つなく再生し、記憶は改竄され、撮影された写真や動画は全て消えている。

 それらシステムの動力として使われているのは、勿論。


「地球から出てるエネルギーことテルストロン、か。マジに何でも出来るのな」

「そうだ。だからこそ我々デルタ星雲統一知性群はその発生源の保護に全力を尽くして来たし、それが損なわれかねない現状を由々しく思っているのさ」

「けどそれは、二重環惑星連合の方も同じだろ?」


 一郎は割り箸を割り、味噌汁をかき回す。一口すする。


「来てる筈だ、二重環惑星連合からの通信。問い合わせ」


 こめかみを突く一郎。引き出した知識と自身の考えを照らし合わせる。


「赤子規。お前は保全条約に照らし合わせると、地球の守護者を補佐する立場にある筈だな。こうして味噌汁を入れてくれたみたいにさ」

「ああ」

「となると、俺が寝てる間……いや、戦ってる間もか? 相手をしてた筈だ」

「何から?」

「二重環惑星連合からの通信」


 一郎はサラダのふたを開け、ドレッシングをかける。


「今、俺達が居る地球がある座標。そこは二重環惑星連合が象徴としている巨大円構造物、そのど真ん中だ。祭事やら式典やらで色々騒がしくなる事はあるが、エネルギー源の地球がそこに来るなんてのは、前代未聞だ」

「そうだな」

「だったらもう来てないとおかしいんだよ。今こうしてる合間にも。連合からの挨拶、疑問、催促。そうした通信が、コイツにさ」


 一郎はポケットからプレートを取り出し、机上へ置く。それからサラダを頬張り、味噌汁で流し込む。


「うむ、予測は正解だ。連合からの挨拶、疑問、催促。今こうしている合間にも、様々な通信が飛び込んで来ている」

「でもプレートは静かだぞ」

「僕が裏で相手をしているからさ。立場上、僕は地球の守護者たる遊馬一郎の協力者だからな。まして座標違いとは言えここが地球上とあっては、条約上連合もおいそれと強硬手段には出られんという事さ」

「でもお前、今こうして俺と喋ってるし、コンビニに買い物へ行ったりもしたじゃん」

「意識を幾つにも分割して並行処理しているのさ。地球人の尺度に合わせるなら、散歩中に想像を働かせるようなものだな」

「え、スゲエじゃんそれ。そんな気軽な意識レベルで面倒な応対できるのかよ」

「そうでなければ地球の守護者の相方なぞ務まらんさ」

「軽く言うねえ」


 飲み干した味噌汁カップを置き、一郎は総菜パンの袋を開く。ハムカツだ。


「だが、いつまでもそうしちゃいられない。結局は地球泥棒を捕まえて、何もかも元に戻さないといけない訳だし」

「そうだな」

「それにしても。つい昨日まで無職だったヤツの肩に乗っていい重さの責任じゃあねえよな」

「そうかもな。ならば、こちらが責任を引き受ける事も出来るのだが?」


 一瞬、一郎のパンを食べる手が止まる。


「そうだなー、なくはない選択肢だな」

「うむ、では」

「けどしない。やらない。絶対に」

「……。理由は?」

「決まってんだろ。そんな前例を作れば、地球の立場がデルタ星雲統一知性群寄りになっちまう。地球が今まで宇宙のいざこざから無縁でいられたのは、テルストロン供給源ってだけでなく、どちらの勢力にもついていなかったからだ」


 半分近く残っていたパンを、一郎は乱暴に咀嚼、飲み込む。


「赤子規。確かにお前に全部任せれば、手早く何もかも解決するんだろうな。けどそれじゃあ地球の為にならない。その選択はいつかの未来、宇宙に進出した地球人がしなきゃならない選択だ。俺の仕事じゃない」

「……。成程」


 子規は片眉を上げる。それから視線を下ろす。

 気付けばテーブル上、子規の買って来た食べ物はすっかり無くなっていた。


「驚いたか? ちょっと前まで何も知らなかった地球人が、思ったよりも優秀で」

「ああ。それもまた知識リミッター解放の影響と言う事だな。今までの地球の守護者達の経験則も受け継いだと言う事か」


 顔を上げる子規。

 この時。

 一郎は、初めて彼の微笑を見た。


「それでこそだ。そうでなくては務まるまい」


 一郎もまた、強いて笑い返した。

 テーブルの向かいに座る存在が、地球人とは尺度の違う存在である事を、改めて認識した。


「だが、ならば。思ったより優秀な地球の守護者殿は、次にどうするつもりだ?」

「勿論地球泥棒を追う……と言いたい所だが、その前に顔を合わせたい奴が居る」


 首を回し、一郎は窓の外を見る。


「……筈なんだよな。地球上のどこかにさ」

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