シロガネ・トリニティ
横島孝太郎
地球泥棒を追え! ①
扉を開けると月面だった。
反射的に閉める。
もう一度、恐る恐る開ける。
黒い空、銀色の荒野、立ち尽くす星条旗。写真でしか知らなかった光景が、洗面所の代わりに広がっていた。
「輪郭が、異様にはっきりしてる」
「空気が無いからだ。可視光を邪魔するものがないのさ」
「でも普通、生身で宇宙に晒されたらただじゃ済まないと思う」
「こちらの技術の賜物だ。そもそも現在の地球の方が、余程普通からかけ離れているのだがね」
「ああ、そう」
生返事しながら彼は、
自室の床と、銀色の月の大地。
くっきりと別物で、しかし確かに繋がっている。
その一歩先、転がっている石ころが一つ。何気なく拾う。ごつごつした手触りを感じながら、改めて振り返る。
アパートの三階、一人暮らしのワンルーム。
その窓から堂々と、つい十分ほど前に入って来た、自称宇宙人の男を見やる。
「さて、信じて貰えただろうか」
一郎は自称宇宙人をじっと見ながら、石をポケットに仕舞う。代わりに先程貰った名刺を取り出す。
それがこの自称宇宙人の名前であるらしかった。だが何度見ても黒いスーツを折り目正しく着込んだ青年にしか見えない。素晴らしく爽やかな色合いの青い目と髪だけが、辛うじて地球人離れしているくらいか。
「信じるかどうかの前に、まず戻してくんない? 風呂入れねえ」
「良いとも」
男はポケットからスマートフォンらしきものを取り出し、操作する。それから指差す。
視線を戻す一郎。見慣れたいつもの洗面所が戻っている。
月の石は、変わらず手の中にあったが。
「改めて、信じて貰えただろうか」
「……その前に、こっちも考えを整理したいから、確認を取っても良いかな」
「良いとも。こちらも理解度が図れる」
「まず。地球は実は、地球人が今まで見つけた事の無い凄いエネルギーを放ってる」
「そうだ。恒星のようにな。テルストロンと言う」
「宇宙人の文明はそのエネルギーを利用し、大変な発展を遂げた」
「そうだ。ダイソン球より巨大な装置を作ってな」
「ダイソン? 掃除機?」
「かつて地球の学者が提唱した装置だ。勉強が足りんぞ地球人」
「こちとら生活がキツイんだよ宇宙人。仕事無くなったばっかりだし……で、そんな宇宙発電所の心臓の地球を、誰かが盗んだ。半分、こうバックリ割って」
「そうだ。割れたと言っても空間自体はワープゲートで繋がっているから、地球人は気付いていないがね。先程の月面と、理屈は同じだ」
「規模は違い過ぎるけどな」
頭をかく一郎。灰色の石を弄びながら、根本的な事を聞いた。
「で?なんでそんな話を俺に持って来るワケ?」
「話せば長い。話して分かるようなものでもない」
「んな無茶な」
「そもそも」
言葉を切り、子規は窓の外を見る。
「何だよ」
「話す時間がなさそうだ」
すぐ外。轟音と土埃を撒き散らしながら、巨大な何かが着地した。
「は?」
一郎は見た。同時に絶句した。
それは、強いて言うなら、人の形をしていた。
生物ではない。戦車を思わせる金属装甲で全身を鎧った、機械の巨人。
その巨体が腰をかがめ、アパートの三階の端、一郎の部屋を覗き込んでいた。
「うそぉ」
呻き、立ち尽くす一郎。窓の外では姿勢を戻した機械巨人が機敏に動く。
右腕を振り上げれば、上腕装甲が音立てて展開。内部からせり出したトンファー状の武器を握る。
それを、機械巨人は突き込んだ。アパートの三階の端、一郎の部屋目掛けて。
窓を、壁を、容易く粉砕しながら迫る大質量は、しかし子規の前で止まった。
「本当だ。嘘ではない」
止めたのだ。子規が、片手で。
「お、おい! 大丈夫なのかよ!?」
「一応はな。だが」
機械巨人がトンファーを引き戻す。同時に子規の腕にヒビが入る。
「マス・ロッドを真正面から受けきるには、少々強度不足だったな、この体は」
ばきりと。
音立てて、爆ぜ割れた。
子規の、右肩から先が。
血は出ない。そもそも断面が赤くない。
子規の肩口から覗くのは、淡い光の塊。
それが音を立てて、しゅうしゅうと、蒸発し続けている。
事ここに至って、一郎はようやく、目の前の男が宇宙人である事に納得した。
だが。
今更、それが分かってどうなる? 何ができる?
「どう、しろってんだよこの状況!」
「それは、キミ自身が最も良く解る筈だ」
「いつだよ!?」
「今さ」
残った左手で、子規は投げる。先程取り出したスマートフォンを。
反射的に、一郎は受け取る。
「さあ、大体わかっただろう」
まっすぐ一郎を見る子規。表情は先程から変わらない。だがその体を走るひび割れは加速的に広まっていき。
程無く、ぱりりと。
酷く軽い音と共に、子規は砕け散った。
後に残ったのは、窓の外で未だ武器を構える鋼鉄の巨人。
それと、子規の残したスマートフォンのようなものだった。
こうして手に取って観察すれば、それは掌サイズのガラス板に見える。四つ角が金属で補強してあり、画面上にはアイコンのようなものが複数並ぶ。
「これは。これが、プレート」
一郎は独りごちた。手に取るその瞬間まで、知りもしなかった宇宙人の道具の名前。
今は知っている。知らされている。自分自身の内側から、知識が湧き出て来ている。
子規から渡されたプレートが、一郎のリミッターを解除したのだ。
遺伝情報に刻まれていたその知識は、プレートの使い方を、一郎が今すべき事を教える。強制的に。
頭を押さえる一郎。それでも流れ込んで来る知識の濁流。酷い雑音。自分の喉から出ている絶叫である事に、遅れて気付く。
そんな視界の端、崩れた壁の外。ゆるりと、もう一度マス・ロッドを構える機械巨人が見える。
ほとんど無我夢中で、一郎はプレートを左上腕に押し付けた。
「接続、認証」
子規の声によく似た電子音声を発したプレート、その四方を囲んでいた金属部分が拡張、変形。それらは一秒と立たずに完了し、一郎の左腕を包む金属の小手となって装着される。
上腕部分には最初に押し付けたプレートが埋め込まれており、そこへ一郎は叫んだ。
「コール! シロガネ!」
ごう。
空気が鳴る。
吹き飛ぶ巨大質量。
マス・ロッドの一撃、ではない。吹き飛ばされたのはむしろ機械巨人の方だ。
だが何故?
決まっている。シロガネが現れたからだ。
シロガネ。それは、一郎の構える左腕から現れた、光の球体だった。
大きい。機械巨人ほどではないが、それでも部屋の床から天井まで届く大きさがある。
光球は出現するなり凄まじい速度で壁の穴から飛翔、マス・ロッド二撃目を見舞おうとしていた機械巨人の腹部に直撃したのである。
宙を舞い、道路中央に背中から墜落する機械巨人。それを成した光球は、半壊アパート周囲を二度旋回した後、壊れた一郎の部屋の前で静止。にわかに拡大変形を始める。
僅か五秒でアパートを少し超えるくらいの大きさになった光は、もはや球でなく柱だ。その形状とて一秒も続かない。針で突かれた風船のように、内側から弾けて消える。
かくしてその中から現れたのは、吹き飛んだ個体とはまた別形状の機械巨人であった。
吹き飛んだ個体が戦車だとすれば、こちらはどこか戦闘機を思わせる。
白と青のツートンカラーに、赤色のツインアイ。精悍な顔立ちをした機械巨人は、おもむろに一郎へと振り向いた。
「シロガネとは何だね」
そして、尋ねた。
その声は、つい今し方マス・ロッドによって打ち砕かれた、瀬木子規のものであった。
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