うちの娘は(下)
真姫が中学校に入学した時、それは突然起こった。
ただいま、と玄関から声が聞こえて来たかと思えば、次の瞬間、リビングのドアをバン、と乱暴に開けて入って来たのだ。
この時の私は、あんなに物を乱暴に扱う姿は見たことが無かったので、正直こう身構えたものだ。
――きたか、思春期、と。
ご近所さんや子育て本、ドラマで見てきた知識を総動員して心の準備をする。
いやそれだけじゃない。
集団生活の中でも小学校とはまた違って色々あるだろう。
クラスのみんなだって多感なお年頃だ。
もしかして、学校で何か……、いやがらせをされたり……、とそこまで考え、はたと思い直す。
やられたらやり返しそうだわ、この子。
それくらい、その頃の真姫は心身ともに強くなっていた。
ちいさくてひたすら可愛かったあの頃がまるで嘘のようである。
ともあれ、今は目の前にいる思春期の娘だ。
「真姫ちゃん、どうしたの?」何気ない声色を装っているが、私は内心どぎまぎしながら問いかけた。
「……………………………」
娘はしばらく唇を噛み締め黙っていたが、辛抱強く待つとようやく口を開いてくれた。
「茉莉が……」
「えっ、茉莉ちゃんが……、なに? ケンカでもした?」
ううん、と首を振る真姫を見て、ほっと胸を撫で降ろす。
茉莉ちゃんとケンカした時の真姫は、凄く落ち込むから。
大体の場合、真姫が一方的に怒っているだけで、茉莉ちゃんはへらへらと笑うか「え、なんで怒ってるの?」と不思議そうな顔をしているのだけれども。
ケンカではないなら、どうしたのだろうか。
「後輩の子とふたりでお出掛けしてた」
「へ?」
その時の私は、おそらく間抜けな顔をしていたと思う。
「今日、一緒に帰ろうって言ったのに、予定があるから先帰っててって言われて、後付けたの」
「後付けたの⁉ 何してるの!」
「そしたら後輩の女の子とふたりでケーキ屋さんに入って行って、そこのカフェでケーキ食べてた……」
「――え、それだけ……? それを一部始終見て帰って来たの? それで落ち込んでるの?」
「うん……」
「あっ、そう……」
どうしよう。
正直、なんでそれで娘がこんなに落ち込んでいるのかが分からない……。
ここで親である私が言えることって……。
「えっと、取り合えず真姫ちゃん、人の後は付けちゃ駄目よ?」
「パパに尾行の仕方教えてもらったのに?」
「――後でパパにはお仕置きしておくね!」
私の夫は、娘に何を教えているのだろうか。
そういえば真姫が柔道でそこそこ力をつけてきたから、将来は俺と同じ警察官かもしれないって最近嬉しそうに言ってたな。
ママはそういう危険な仕事はあまりして欲しくないと思っているんだけど。
娘の幸せが一番なんだよなぁ。
はた目に見ても結構可愛く育ったし。
それにしても、パパ、教えるのが何で尾行の仕方……。
その時の会話はそれで終わったけれど、同様の「茉莉が……」案件はその後も続き、娘が高校に入学する頃には流石の私でも薄々気づいて来ていた。
高校入学早々にも、娘の機嫌の悪い日があった。
中学時代のあの日に酷似している、もう私は驚かず、落ち着き払って娘に問うた。
「どうしたの?」と声をかけたら、「今日、茉莉とクラスのみんなと図書館で勉強会したんだけど……」と話しだす。
どうやら茉莉ちゃんに、ちょっかいをかけている男の子がいるらしい。
そして茉莉ちゃんも、何故かその男の子と親し気に話したり、真姫を含めて一緒に帰宅しようとするらしい。
「あの男、ブラックリストに入れたわ」
「そ、そう……」
やっぱり、なんて言えばいいかわからなかった。
でも、何だかんだでクラスの子達とも仲良くなったようで、楽しそうにしているふたりの姿を見ていたある日、茉莉ちゃんママから私のスマホに連絡が入った。
どうやら、茉莉ちゃんのパパとママが結婚記念日で、ふたりで一泊だけの旅行に行くらしい。
茉莉ちゃんに、「行ってきなよ。普段ふたりでお出掛けする機会もないんだし」と背中を押されたんだって。
ただ、その間あの子を自宅にひとりで置いておくのが心配なので、預かって欲しいとのことだ。
茉莉ちゃんを放置すると不安なのは、同じ親としてとてもよく分かる。
そんな事はお安い御用だ。
もちろん了承する。
案の定、学校でその話を本人から聞いたのか、帰ってくるなりうちの娘ははしゃいでいた。
「その日、茉莉の家に泊まりに行く!」
「駄目よ」
「なんで!」
女の子だけで危ない、と言うと、またもや「大丈夫私が守るから!」だなんて息巻いている。
「だめよ」
「なんで! 私、強いよ! 泥棒だって来たらやっつけられるくらいに」
「あのねぇ……」
尚も食い下がる娘に、思わずキツめの声が出る。
「あなたが危険に晒された時に、本当に危険な目にあうのは誰だと思う?」
「………………」
「この間の球技大会でも茉莉ちゃんに助けられたんでしょ?」
ここまで言えば分かるはずだ。
真姫の表情には、その時の状況を思い出しているのか、気まずさと悔しそうな表情が浮かんでいる。
「あの子を大事にしたいなら、……大事にしなきゃ」
「わかった………」
リビングから出ていく娘の後ろ姿を見送りながら、ふぅ、と一息つく。
なんとなく、真姫ではなく茉莉ちゃんの身を案じたのは本当だ。
私だって、できれば私の目の届く範囲にあの子達にはいてほしい。
………いろんな意味で。
「当日、一度お家に寄って着替えてからこっちに来るってさー」
「はいはい」
「はい、は一回までってママ、いつも言ってるじゃんーー」
「はーい」
ちょっとご機嫌斜めになった娘は、ソファに座りテレビを観始める。
ふと、私のスマホが震える。
『お母さんから聞いているかと思いますが、今度、そちらに一泊お邪魔します。よろしくお願いします!』
…………。
「真姫、茉莉ちゃんって何の食べ物が好きなんだっけ?」
「エビフライ、パスタ系、コンソメスープ、ポテトとそれから……」
「ふぅん、分かった。じゃあ今度のお泊りの時の夕飯はそれね」
そう言うと、呆れたような顔をした真姫が振り返り際、こう言った。
「ママってさぁ、結構、茉莉のこと好きよね」
「あなたもでしょ?」
「んーー、まぁ、そうだけど……」
そうだけど、に含まれる意味は娘にとってはやや特別な意味なのかもしれない。
またテレビに向き合い始めた娘の後ろ姿をよく見ると、耳が少し赤かった。
娘達が幸せなら、それでいい。
取り合えず、今はそういうことにしておこう。
親の立場とは、難しいものである。
おわり
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