僕らの秘密

瀬戸 夢

第1話.崩壊

 授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、みんなは一斉に席を立ち始めた。緊張が解き放たれた教室内は、友人と話をしたり帰り支度をしたりと、みなそれぞれ過ごす者でざわめいている。


 そんな喧騒の中、亮一りょういちも帰ろうと立ち上がり机の上を片付けていると不意に声をかけられた。何か良からぬことをしていた子供のようにビクッと反応すると恐る恐る顔を上げる。


「ねぇ、ちょっとここ教えてくれない?」


 そこには開いた教科書を手にした一人の女生徒。昼休みに続き本日二人目。亮一はまたかぁと思いつつも話を聞くため席に座り直した。


「いいけど、今度はどこ?」


「あのね、ここの問題が分からなくって」


 示された問題は以前自身もつまずいたところ。一見複雑そうに見えるが実はそれは引っ掛けで、結構単純な計算で解けてしまう。考え方や先入観が問われる問題だ。亮一は説明を始めた。


「――で、ここがこうなるから、こっちを代入すれば」


「あぁ、なるほど、そういうことね」


 彼女は軽くお礼を言うと、入口付近でたむろしていた友人たちと教室を出ていった。


 こうしてクラスメイトが亮一のところに勉強を教わりに来るのはいつものこと。次は自分と連続して二、三人来ることも少なくない。特に意識しているわけではないが、彼の説明はとても分かりやすいと評判だ。


 まだ二年生に上がって一週間。今のところ去年同じクラスだった顔なじみの生徒だけだが、評判が広まれば他のクラスメイトも聞きに来るようになるだろう。もちろん亮一も教えてもらうこともあるが、圧倒的に彼が教えることの方が多い。


 そんな感じで、みんなに利用されていることは亮一も分かっているが、断ってクラスメイトとの間に軋轢を生みたいとも思ってはいない。多少面倒でも周囲との和を乱したくない、そう考えるのが亮一である。良く言えばお人好し、悪く言えばいいカモだ。


 彼女の姿を見送り、改めて帰ろうと鞄に荷物を詰めていると、またも誰かが近づいてくる気配。今日は多いなと思わずため息をついた。


「亮一君。用事は済みましたか?」


 聞き慣れた丁寧な言葉遣いと柔らかな声に顔を上げると、人懐っこい笑みを浮かべた少女が斜めに少し屈んでこちらをのぞき込んでいる。癖のない整った顔立ちに肩にかかるストレートの髪、その髪がさらっと落ち、優しそうな少し茶色がかった瞳がまっすぐ亮一を捉えていた。綺麗だが、ふわりとした柔らかな雰囲気が親しみを感じさせる。


 クラスが違うのにもかかわらず、来るのが遅いので迎えに来たのだろう。亮一は急いで鞄を取ると立ち上がった。


架純かすみ。ごめんごめん、今行くよ」


「教えるのもいいですけどほどほどに」


「うん、分かってるんだけどさ。まぁ、お互い様だよ」


 そう言って肩をすくめる亮一に、彼女はやれやれといった顔をしながらも柔らかい笑みを浮かべた。



 揃って玄関を出て校門に向かうと、待ちくたびれたのか手持ち無沙汰な様子でスマホをいじる二人の姿。その内の一人がこちらを見つけ声を上げる。


「あっ、来た。二人とも遅いよー!」


 元気にぴょんぴょんと跳ねながら手を振っている少女は陽菜ひな。跳ねる度にゆるふわなショートボブの髪と大きな胸が揺れ、その小柄で可愛らしい容姿も相まって周囲の男子の視線を集めている。


「ごめん。クラスメイトから質問されてね。教えてたら遅くなっちゃって」


「おー、佐久中さくちゅうの神童は相変わらずだな」


 そう言って肩を組んでくる長身でイケメンの男子は真斗まさと。こうして軽いノリで絡んでくるのはいつものこと。反対側からは陽菜が「もぅ、遅れるなら連絡してよ!」と言って肩をぶつけてきた。こちらを見上げる丸く大きな瞳は悪戯っ子のよう。


 そんな二人を少々うざいと思いながらも、亮一はこうして絡むのは嫌いじゃない。いつまでもふざけ合っている三人をかたわらで見ていた架純が早く行きましょうと歩き出した。それを見て亮一たちも続く。こうして待ち合わせをしては一緒に登下校するのは毎日のこと。


 亮一たちは同じ中学出身で同じ陸上部に所属していた。こうしてつるんでもう四年近くになる。


 亮一と架純はどちらかというともの静かで、真斗と陽菜はまさに陽キャといった感じで明るく奔放ほんぽう。また見た目もきちっと制服を着ている亮一と架純に対し、真斗と陽菜は茶髪で制服はいつも少し着崩している。


 そんなタイプの異なる四人だが何故か気が合い、仲良くふざけ合っている様子は周囲がうらやむほど。中学の時も高校に入っても仲良し四人組として有名である。


 まるで示し合わせたかのように同じ高校に進学したが、少なくとも亮一は意図したわけではない。おそらく他の三人もそうだろう。


 ただ、同じ学校とはいえ、亮一と架純は特進コース、真斗と陽菜は普通コースなので、校舎も違うしまたそれぞれクラスも異なる。将来的には亮一と架純は難関大へ進学、真斗と陽菜は卒業と同時に就職する予定なので、この仲良し四人組も高校まで。


 もちろん卒業後も友情はずっと続いていくと思うが、今までのように一緒にいられる時間に限りがあることもあり、彼らは残された時間を惜しむように一緒にいることが増えていた。



 亮一たちは駅前まで来ると、いつものカラオケ店に向かった。お互い勉強やアルバイトに忙しい身だが、週に一度は予定を合わせて放課後に遊びに行くことにしている。今日のようにカラオケの時もあるが、ゲームセンターやスポーツ施設に行くこともある。


「おっしゃー! がっつり歌ってストレス発散だ!」


「真斗にストレスなんてあるの?」


 亮一がそう言うと、クスクスと架純と陽菜が笑い出す。


「おいおい、ひでーな。俺にだってストレスくらいあるよ」


 真斗はへにゃりとした顔でうなだれた。


 受付を済ませ部屋に入ると、手慣れた感じで早速陽菜が曲を入れた。モニターに映し出されたのはadoの『新時代』。ここ半年近く、最初の盛り上げ曲として彼女の定番ソングになっている。


 小柄な彼女に似合わない力強い厚みのある声で曲が始まると、イントロで「イェーイ」と一気に室内は盛り上がった。三人は手拍子で盛り立て、サビに差し掛かると陽菜と真斗は二人で踊り始める。


 こういうところが陽キャだよなぁと二人の踊る姿を見て亮一が思う。別に彼らに憧れているわけではないが、思うがままに感情を表せるところはうらやましくも感じる。


 一時間後、時間的に最後の曲。架純がシメに、しっとりとmiwaの『片思い』を歌っている。割と古い歌で、中学からの彼女の十八番おはこ。もう何度も聴いている曲。


 遠くを見つめるように歌う彼女の横顔を、亮一は切ない気持ちでじっと見つめていた。誰かを想って歌っているのか、特に今日の彼女の声は感情を乗せているのかとてもはかなげ。歌詞の内容も相まって、まるで今の亮一の気持ちを表しているかのようだった。



 郊外の最寄り駅で降りた亮一たちは駅前広場で足を止めた。毎日ではないが、こうして遊んだ日は喋り足りず日暮れまで話し込むことが多い。


 周囲は暗くなり始め、そろそろ解散の時間。そんな中、タイミングを計ったかのように、そっと架純が真斗の隣に移動した。いつもは亮一の隣からあまり動かない彼女。その動きに亮一はいつもと違う雰囲気を感じ取った。陽菜も同じなのか不思議そうな顔をしている。


「えっと……、実は話があってさ」


 架純と並ぶと真斗は苦笑いしながら話を切り出した。隣の架純はニコッと笑みを浮かべている。


「えっ、なになに? なんかのサプライズ?」


 何か面白いことがあるのかと、陽菜が笑顔で身を乗り出した。亮一は静かに行方を見守っている。


「いや、まぁ、サプライズと言えばそうなるのかもしれないけど。実は俺たち、えっと、俺と架純……、付き合うことになった」


「「えっ!? うそ!?」」


 亮一と陽菜は思わず声を上げた。目を大きく見開き驚き顔。真斗は照れ隠しなのか頭の後ろを掻きながらニシシと笑っている。それとは対照的に架純は恥ずかしそうにうつむいた。


 嘘だ嘘だ嘘だ……、そんな気配は一切なかった。きっとまた真斗の悪い冗談だ、そうに違いない。亮一は心の中でそう思っていた。


 しかし、真斗はまだしも架純は変な冗談を言うタイプではない。むしろとがめる方。


「じょ、冗談だよね?」


 陽菜が半笑いで尋ねた。引きつったその顔は明らかに困惑の色を隠しきれていない。


「いや、今回ばかりは冗談じゃなくってさ。昨日、俺から付き合わないかって。で、架純が……、な?」


 そう言って話を振ると、彼女は笑顔でこくんとうなずいた。二人の顔は真っ赤。


「まぁ、そういうことでさ。申し訳ないんだけど、俺たち明日から二人だけで学校に行こうと思うんだ。それなんで……」


 恥ずかしいから察してくれという感じで、真斗はまた苦笑いで頭の後ろを掻く。


「そ、そそ、そっか、わかった。あの、お、おめでとう! そりゃあ、付き合い始めだし二人っきりになりたいよね。まったくこのー、いつの間に。陽菜ちゃん、全然気づかなかったぞ!」


 困惑しながらも陽菜が悪戯っぽい感じで二人をはやし立てた。


「ごめんなさい。でも、たまにはまた今日みたいに四人で遊びましょう」


 火照った笑顔で架純が応える。その笑顔がひどく悲しい。


「ぅ、うん、もちろん。ね? 亮一。……亮一?」


 声をかけた亮一は目を見開いたまま固まっていた。あまりのショックに頭が真っ白で何も耳に入らない。陽菜に「亮一! 亮一!」と肩を叩かれてやっと我に返る。


「亮一! ね? たまには四人で遊ぼうだって」


「えっ! あっ、ああ、うん、たまにはね、そうだね……」


 亮一はそう答えるのが精一杯だった。



 時刻は六時過ぎ、周囲はすっかり暗くなり街灯に明かりが点り始めた。


「じゃあ、俺は架純を送っていくから」


 そう言って真斗が目配せすると、架純は微笑み彼の目を見ながらうなずく。見つめ合う二人。そこにはすでに二人の世界が出来上がっているようだった。


 真斗と架純の家は同じ方向。昨日も亮一と陽菜は二人の姿を同じように見送っていた。いつもと全く変わらなかった二人。きっと解散した後、真斗は架純に告白したのだろう。


 そんな、僕にとって、私にとって、重大なイベントが起こることも知らずに二人をにこやかに見送っていた自分たちが間抜けで、そして情けなくなった。


 まだ交際二日目でそこまで関係が進んでいないのか、それとも亮一たちの前では恥ずかしいのか、並んで商店街の方へ消えていく二人の手はつながれていなかった。時間の問題だと思いつつも、亮一はそのことに今はホッとしていた。


 隣で同じように切なげな目で二人の後ろ姿を眺めていた陽菜がぴょんっと立ち上がる。


「うちらも帰ろっか」


 その動きが景気づけのようにも、何か踏ん切りをつけたかのようにも見えた。


「……うん」


 彼女とは途中まで一緒。帰り道、うつむきがちに歩く二人の口からはため息しか出なかった。

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