第50話 希望の光

 深い深い眠りから覚めると、大きな黒いドラゴンが居た。

 警戒する私へ、彼は様々な事を教えてくれた。


 私達がどういう存在なのか。今がいつなのか。各国の情勢も。

 彼はセルフィアスという国を作り世界の殆どを支配したそうだ。しかもそのお陰で今は平和なんだとか。


 驚いた事に、それは私が暴れてすぐの話らしい。彼がもっと早く動いてくれていたら……いや、そんな事を考えたって仕方ないか。


 彼――エリウスは、ついでによく分からない話を私に語り、最後に人間へ変身する術を授けた。

 その時言われた言葉だけは今も覚えてる。


『腐ったこの世界を支配して、理想の楽園に変えよう。その為に力を貸してほしい』


 随分な事だ。それは彼にとっての楽園であって、他人の事なんて考えちゃいないだろう。

 そもそも彼自身、理想とやらが具体的にどんなものか分かっていない様だった。


 ただ世界に呆れ、絶望して、怒りのまま動いた。それだけの事だと思う。

 私も同じだったのだから、なんとなくでも察する事は出来た。

 むしろだからこそ彼は私に声を掛けたのかもしれない。


 どちらにせよ、そんな曖昧で不確かな妄想に付き合う事は出来ない。

 そもそも興味が無い。もう世界なんてどうでもいいのだ。

 なのでお帰り頂いた。残念そうだったけど知ったこっちゃない。


 そのままもう一度眠ろうとして止まる。

 人間に変身出来るなら、暇潰しくらいにはなるかもしれない。

 そう思って祖国へ向かった。まぁとっくに祖国なんて消えてるそうだけれど、統合されたらしいその国へ飛んでいく。


 この時代になると、もう村なんて小さな集団は存在しなかった。

 昔の王都くらいに立派な街が点在し、整備はされていなくとも街道らしき物で繋がれる様になっていた。


 お金だとか服だとか、街にどうやって入ろうか、とか。色々面倒はあったけど身体能力と魔力のゴリ押しでどうにでもなった。

 当時は多少の犯罪なんて何も気にしなかったのだ。

 そうして人に紛れて街を巡り、あらゆる物事を見て回った。


 どうやら私を初代聖女として崇めつつ、その名にあやかって宗教染みた何かが生まれていたらしい。

 同じ医療教会という名前で、聖女を選出して似た様な活動をしている。


 なんだかズレてはいるけど、一応ちゃんとしてるじゃないかと少しだけ感心した。

 しかし詳細を知ってまたしても怒りが湧いた。


 戦うセンス0の私でも、便利な事にこの身体ならこっそり潜入して調べるなんて簡単だ。

 なんと、まともに立て直されたらしいのにもう腐り始めていたのだ。と言っても200年経ってるのだけれど。


 権力を得るとそうなってしまうものなのだろうか。

 教会の上層部、その極一部だけとは言え本当に腹立たしい。


 だから思わず始末してしまった。

 散々人の命を救ってきたこの手に、血に塗れた刃を握る。私が暗殺をする側になるなんて。

 きっと許されない事なのに、心は動かなかった。

 まぁ今更な話だ。私は既に沢山の命を奪っているのだから。


 そうしてまた人の寄り付かない場所へ向かった。

 少しでも幸せな夢へ逃げ込みたかったのだ。


 


 それからは、数年程眠ったらこっそり紛れて世情を調べるという事が続いた。

 教会の碌でもない輩を始末し、また眠る。そんな事を何回も繰り返した。


 教会なんて気にせず眠っていれば良いのに……我ながらどうしてここまで執着しているのか分からない。

 もうとっくに捨てた物なのに。どうでもいいと思っている筈なのに。


 繰り返した粛清のお陰か、教会の腐敗は次第に無くなっていった。

 教会を利用して悪事を為すと暗殺されると学んだのだろう。

 一切が不明で対処出来ない暗殺が繰り返されれば恐怖して当然だ。


 それならもういいか……と、長い眠りに戻った。

 なんだか責任を果たした様な気分だったのかもしれない。




 次に私を目覚めさせたのは、とある1人の男だった。


 山奥で長く眠っている間に開拓が進み、そう遠くない場所にも街が出来ていたのだ。

 私が見つかるのも時間の問題だった。それがたまたま彼だっただけだ。


 あんまりにも驚き死を覚悟する彼が可哀想で、起こされて腹が立ったのを抑え出来るだけ優しく対応した。

 喋った事でもっと驚かせてしまったけれど……


 会話をしたお陰で、どれだけ長く眠っていたのか分かった。

 そして彼の事も多少教えて貰った。



 まだ若い彼は街で薬師を始めた所で、採集の為に山へ入り迷ったらしい。

 少しは戦えるけれど、魔物に追われて逃げていたとか。それで奥まで来てしまったんだろう。

 いくらなんでも1人で来るなんて無謀……というか馬鹿だ。

 まぁ護衛を頼んだり採集を依頼するのもお金が掛かる。仕事を始めたばかりでは自力でやりたい所だったのかもしれない。


 そんな会話だけでも、人柄が良いと分かった。

 だからか、見殺しにするのも寝覚めが悪いと感じて山の麓まで送り届けてあげた。


 その時はただそれだけ。さっさと戻ってまた眠った。



 なのに、彼はまたしても私の下へ来た。

 礼の為ではあるけれど、言葉を話すドラゴンへの興味もあったそうだ。

 おかしな人だと思ったものの、不思議と悪い気はしなかった。


 それから何度も何度も、彼は私を訪ねた。

 ここまで1人で来るのも危険だというのに、大した根性だと思う。


 次第に会話も長くなり、私は自分の事を伝えようと思った。

 だけど何故か勇気が出なくて、言い出せなかった。

 そんな内心を彼は察したのか、次に来た時は私の事を教えてくれと言った。



 そうして言われた通り、翌日。ひとまず元人間である事だけを伝えた。

 ずっと昔に生きて、絶望の中で殺されたのだと。


 詳細を語ってもいないのに、彼はやたら親身に聞いてくれた。

 その日の最後に、変身が出来ると言って見せてみた。


 しかし裸になってしまう事をすっかり忘れていた。恥ずかしかった。

 真っ赤な顔で悲鳴を上げていたのは彼の方だったけれど。



 更に翌日。彼は女物の服を持ってきた。

 それからはもう、彼と会う時は人として会話を続けた。

 私の全てを明かすのも早かった。


 聞いてくれた彼はやはり、とても優しかった。

 馬鹿な人生を送った私を。憎しみで大勢を手に掛けてきた私を。国を滅茶苦茶にした私を。彼は受け入れた。

 ただ嬉しかった。幼かった頃、まだ家族と居た頃の温かさを感じた。幸せとはこういう物だったな……と。


 堕ちた私にそんな物を感じる事が許されるのだろうか。

 罪悪感の様な何かに苛まれたけれど、それさえ彼は溶き解してくれた。



 その内、いい加減ここまで彼に来てもらう事が申し訳なくなった。

 だから彼の住む街に連れて行ってもらった。

 採集していた際に助けた、記憶喪失の人という設定だ。


 私の見た目は聖女の時と殆ど変わらない。少し若返り、やたら整っただけで特徴は同じだ。

 流石に時が経ち過ぎているから聖女自身だと思われる事は無い。そもそも見た目の詳細はあまり残ってなかった。


 しかし私のこの姿はずっと成長していない。

 つまり、長くは居られないだろうという事は理解していた。


 だけどだからこそ、この幸せな一時をただ楽しもうと思えた。




 名前を貰い、何故か彼の家で暮らす事になった。

 この街で生まれ育ち、家族はもう居ない。聞いていた通りだ。


 それでも彼は人に囲まれていた。

 私が絆される様な人なのだから……それも当然だっただろう。


 その中に、幼馴染だとかなんとか随分と仲の良さそうな女性が居たのが気になった。

 モヤモヤとよく分からない物が胸の内に渦巻いたけれど、分からないので結局無視した。



 それから約1年と少し。私は彼の仕事を手伝いながら、素晴らしい日々を過ごした。

 彼に対する気持ちにも気付いた。これが恋というものなのだと、何百年も生きて初めて知った。

 だけどそれを伝える事は難しい。なんて複雑な、厄介な感情なんだろう。

 なによりも、それを伝えてはいけない気がした。


 私はどれ程の時を生きるかも分からない存在だ。

 見た目も変わらないからしばらくすれば街を離れる。街を点々とするのだっていつか無理が来るだろう。

 対して彼は普通の人間。共に生きる事は出来ない。


 だから……私はもう、彼の下から去る事に決めた。

 私はまたしても逃げたのだ。

 


 適当に嘘を並べ立てて街を出る理由を作り、もう会う事は出来ないと伝える。


 彼には人間の中で、人間として幸せな一生を送ってほしい。

 そこに化物は要らない。ただ一時、共に過ごした友人として記憶に残ってくれればそれで良い。


 彼は私がどういう存在なのか知っている。

 だからか、沢山の言葉を飲み込んで悲しそうに受け入れた。


 いや、全く納得はしていなかっただろう。

 だけど察しの良い彼だ。私が複雑な感情を抱いて決意したと分かったのかもしれない。

 私の意思を尊重してくれた気がする。


 見送られる際、あの幼馴染の女性も見えた。


 私達はお互いの気持ちを理解していた。

 その上で同性の仲の良い友人として接してくれた。

 想い人の家に転がり込んだ記憶喪失の怪しい女だと言うのに。邪険にするでもなく、心底心配して世話をしてくれた。


 彼に寄り添うだけはある、立派な女性だ。

 こういうのを身を引くと言うのだろう。


 彼女に気持ちを託す……という程ではないけれど。

 彼を頼む、と伝えたら泣きそうな顔で頷かれた。



 そうして、心惜しいなんてものじゃない感傷に浸りながら馬車に揺られ隣街へ。

 そこからすぐに歩いて街を出て、遠くへ遠くへ歩き続けた。

 しばらくしてドラゴンに戻り、もっと遠くへ飛んだ。


 知らない山へ降りて、閉じ籠る様に丸くなって眠る。

 頭の中にはずっと、この幸せだった日々が鮮明に浮かび上がっていた。


 なんだか寒くて、寂しくて、顔を濡らして夢に落ちた。

 夢もやはり、あの日々をそのまま描いていた。





 ふと目が覚めてしまった。

 微睡ながら、どうしようもない寂しさと虚しさが湧き上がる。


 あれ程決意して離れたと言うのに、今すぐにでも彼に会いたかった。会えずとも一目だけでも見たかった。

 どこまで私は馬鹿なんだろうと自嘲して、それでも湧き上がる衝動に任せて、あの街へ向かって飛んだ。


 街の近くに降りて悩む。私は身分証を焼いて捨てたから、少し面倒が起きるかもしれない。

 というかそもそも服が無い。どうしたものか……


 しかしここでじっとしていたってどうしようもない。仕方ないのでとりあえず変身をした。

 服と言えば、彼が贈ってくれたあのお気に入りの服をまた着たいな……なんて考えながら。


 何故かそのまんまの服を着て変身を終えた。


 よく分からないけれど、なんにせよ良い事だ。そう考える事を止めて、身体能力に物言わせて潜入。

 そのまま彼の家の前に来て、今更気付いた。

 私が眠ってからどれだけ経ったのだろうか。見た感じでは恐らく数年程が経っている様だけれど……


 もし、もう誰も居なかったら……そんな不安を押し殺して扉に触れる。鍵は開いていた。


 恐る恐る家に入って見つけた。彼だ。

 ただし、ベッドで苦しそうに寝ていた。まだまだ若いのに、酷く窶れ衰えている。


 私は数え切れない程に人を診てきた。

 だから、たったそれだけで理解出来てしまった。


 彼はもう、死んでしまう。



 駆け寄った私に彼が気付いた。

 苦しそうだった表情が消え、驚愕に染まる。

 そして儚い笑顔に変わった。


『あぁ……最期に……逢えた』


 そう微かな声で言った。


 考える間もなく治癒魔法を使い……止まった。

 もう私でも無理だったのだ。

 聖女として研鑽を積み、人外という更なる高みに至ったこの私でさえ。


 この手から零れ落ちた命は散々見てきた。

 その遣る瀬無さはよく知っていた。


 だけど、こんな張り裂けそうな悲しみは初めてだった。


 せめて安らかに。

 そう思って、苦しみだけを和らげる。


『――ありがとう』


 吐息交じりの微かな声がまた聞こえた。


 この治療とも言えない行為に対してじゃない。

 今までの事全てに言っているのだと分かった。


『私こそっ……幸せを教えてくれて……ありがとう』


 だから私も伝えた。

 万感の想いを、感謝として。


 それが彼の耳に入ってくれたかは分からない。

 気付いた時にはもう……彼の命は尽きていた。


 本当に風前の灯火だったのだ。

 私がこのタイミングでふと目が覚めたのは……どうしようもなく湧き上がったあの感情と衝動は……

 もしかしたら、この別れに間に合う為だったのかもしれない。


 彼の安らかな顔の傍。シーツにいくつもの染みを作って……それでも私は、いつまでも動く事が出来なかった。






 どれくらい経ったか、誰かが来て騒ぎになった。

 しかし私の事を知っている人だったのですぐに収まった。むしろ、私は虫の知らせで駆け付けたのだという事になった。


 それから近所の人達が集まり、話を聞いた。


 どうやらあの後、彼は幼馴染の女性と結ばれたらしい。

 ほんの一瞬だけモヤっとしたけれど、素直に喜ばしい事だと思い直した。実際、私は自然に笑顔で聞けていた。


 それから子が生まれた。

 しかし彼女は早々に病に倒れ、彼の薬や医者を頼っても助からず……


 彼は酷く思い詰めてしまったそうだ。

 薬師でありながら、妻の病をどうする事も出来なかった。

 だから並々ならぬ熱量で知識を増やし、技術を磨こうと努力した。同じ様な事が起きない様に。


 しかしまだ赤子の世話もある。体を壊してしまうのも無理は無い程に大変だったのだろう。

 精神的に追い詰められ、身体的に限界まで酷使した。


 その結果が、彼もまた病に倒れるという残酷な結末だった。



 妻と同じく、回復の見込みが無い病。だからあえて病院に送らず近所の皆が看病をしつつ、赤子の世話を引き受けていたそうだ。

 流石、人に囲まれた彼と言った所だろうか。厄介な病に倒れたら大抵の場合は近づかれないものだったのに。


 そうして、いよいよもう……となった時、駆け付けたのが私だった。

 結局救う事は出来なかったけれど、彼の安らかな顔を見て誰もが安堵をした。

 最期は苦しまずに逝けたのだ、と。



 話を聞いた私は、身を乗り出してあるお願いをした。

 彼の息子を引き取らせてほしい。この家で私が育てる、と。


 皆は最初こそ驚いていたけれど、アッサリ受け入れられた。

 やはり以前ここで暮らしていたお陰だろう。


 色々と手続きが必要だったり、身分証を失くした上に潜入した所為で結構大変だったけれど……無事私は彼の息子を――ロイを引き取り暮らし始めた。

 そして彼の薬師としての仕事を引き継ぎつつ、分からない事だらけの育児に奔走した。


 遺された宝物を大切に護り育てる。

 これもまた、幸せな日々なのだと噛み締めながら。




 思い返せば、私の人生は後悔ばかりだ。

 聖女の頃は言うまでも無く。


 もしも私が街に残っていたら……もっと早く、彼に会いに行っていたら。

 支えてあげる事が出来ていたら。


 そもそも私なら早期に病を見つけられた。それなら治療も出来た。

 馬鹿な考えで逃げ出していなければ……


 最初の想いのまま、あの限られた時を精一杯生きようとしたなら。

 その勇気があったら、こんな事にはならなかったのに。


 あぁ……そういえば結局、この恋心は伝えられなかったな。

 もしかしたら気付かれていたかもしれないけれど。

 伝えていたらどうなっていたのだろう。



 もう後悔はしない。そうならない様に生きよう。


 子を引き取ったなら未来を考えなければならない。

 私は長くは居られない。街を移動したとしても、いつかは人から離れる日が来るだろう。


 だからせめて、この子が立派な大人になるまで。

 それまでは母親代わりとして育てよう。あくまで代わり……母は彼女だ。


 あの人は……あの人達は、私に幸せという掛け替えのない物を教えてくれた。

 なら私は、この子にそれを繋げよう。

 人でなくなった私が、人として。


 そして、これから先何百年経とうとも。私は絶対に忘れはしない。

 私が振り撒いた無責任な無償の愛なんかとは全く違う。

 絶望を晴らしてくれた……温かい家族、本当の愛という希望の光を。

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