第25話 ガタラ

 ***


 その週、突然、駿介から連絡が来た。


『幹子さんのガタラで飲んでいるから、おいでよ~』


 メッセージに続いて、駿介とおじさん二人が笑顔で写った写真が送られてきた。以前に会った、スキンヘッドと体格の良い年配男性の二人組である。いつの間にか、仲良くなっていたらしい。

 くさくさとした気分から抜け出せずに困っていたので、行ってみることにした。


 私鉄の駅を降り、狭い路地を歩いた先にガタラはあった。

 青く塗られた扉が屋外灯に照らされていた。ペンキのかすれた扉は上部が丸く、ノブは金色だった。白い壁は漆喰で塗られ、店の前には石畳に似せたタイルが敷かれている。

 さほど広くはない店内は、入ってすぐがカウンターで、手前と奥にテーブル席がいくつかある配置になっていた。鮮やかな青いスエードのソファが奥にある。壁には古い映画のポスターが壁に貼られていた。


「いらっしゃい」


 カウンターの中から、幹子さんが私に気づいて挨拶をしてくれた。今日は長い髪を後ろでまとめ、白いシャツを着ていた。絵の中の人物のように、異国風の店の雰囲気に調和している。


「花音ちゃん!」


 カウンター席に座った駿介が手を振る。その横に腰掛けた。駿介の隣には、おじさん達もいた。


「何飲む?」


「私、お酒飲めないんだ。少量でも、後で気もち悪くなっちゃうんだよね」


「嘘でしょう。そんな、一升瓶抱えてそうな顔して」


「それ狸の置物じゃない。どんな顔だ」


 例の騒ぎの後、駿介はガタラを何度も訪れて、すっかり常連となっていたらしい。そういうところが逞しい。


 関西弁でスキンヘッドのおじさんが中村さん、以前にバイクのTシャツを着ていた、体格の良いおじさんが高橋さんという名前だった。

 二人とも顔が赤くなりすっかり出来上がっている。駿介は酒量を調整しているのか、平常通りだった。


 ノンアルコールのモヒートを頼んだ私に、駿介が人懐こい大型犬のように肩を寄せてくる。


「はい、乾杯」


 グラスを合わせる駿介の屈託のない笑顔を見て、小笠原さんが言っていた、雪間くんの実家についての話を思い出した。


 駿介への対応は浮世離れしていたので、資産家の一族だと言われれば、さもありなん、という感じがする。

 雪間くんは霊感青年、駿介が条件つきの霊媒なので、瓦屋根の大きな屋敷に住む、おどろおどろしい一家を想像する。犬神家の一族を連想し、白いマスクのスケキヨを思い出していたら、駿介が話しかけてきた。


「花音ちゃん、森と何かあった?」


「何で?」


「森がちらっと、よく分かんない電話が来たって言っていたから」


「最近、会ったの?」


「うん」


 私にはしばらく会えないと言ったくせに、駿介ならいいのか。やはり、仕事が忙しいというわけではなく、私には会いたくないということなのだ。

 落胆と腹立たしさで、モヒートを一気に半分くらい飲んでしまった。グラスに浮かぶミントの緑色が綺麗だ。ほのかにジンジャーとオレンジの風味があり、美味しかった。


「何もないよ。直接話したいことがあったのに、しばらく会えないって言うから、電話しただけ」


「しばらく会えないって言ったの、あいつ?」


「うん。理由は知らないけど」


「あ、そう……なるほど」


 駿介は肩を震わせて笑い出した。それだけでは堪えきれなかったようで、カウンターテーブルまで叩き出す。


「何笑ってんの?」


「何でもないよ……あー、可笑しい」


「盛り上がっているね?」


 グラスを手にした高橋さんが、私と駿介の間に割り込んできた。


「俺の妻との馴れ初めの話、聞く?」


「それ前も聞きましたよ。ところでさあ、花音ちゃんの好みのタイプってどんな感じ?」


「突然、なぜ」 


「私も聞きたいなあ」


 カウンターの中から幹子さんが微笑んで言った。橙がかった照明の下、グラスに刺さった赤と白の縞々の紙ストローがやけに鮮やかに映えている。


「しょうがないなあ。幹子さんに教えてあげましょう。ディック・ヴァン・ダイクです!」


「誰?!」


 その場にいた私以外の全員の声が揃った。


「ロックバンドか何か?」


「知らないの? ディズニーのミュージカル映画『メリー・ポピンズ』でメリーの友達のバートの役やった人だよ! 笑顔がかっこよくて、すごく良い人そうなの。踊りも上手いし」


「知ってて当然みたいに言われても。マニアックすぎて分かんないよ」


 あきれ顔の駿介を押しのけて、中村さんが私に手を差し出す。


「俺もあの映画好きやわ! バートの屋根の上のダンスいいよなあ!」


「そう! そうなんですよ!」


 私は中村さんと固く握手をした。駿介が首をひねる。


「歌って踊れる人がいいってこと?」


「そういうことじゃない」


「そういうことじゃないなあ」


「なぜ中村さんまで……中村さん、見た目と映画の趣味違いすぎじゃない?」


「奥さんがミュージカル映画好きなんだよ。メリー・ポピンズもつきあって何度も見たから」


 汗ばむ頭をタオルで拭いながら、中村さんが言った。


「夫婦でメリー・ポピンズを見るなんて羨ましい。私もそういう結婚がしたいです」


 なお一層、中村さんの顔が赤くなる。横で駿介がにやにやと笑っていた。


「花音ちゃん、結婚したいの?」


「無理だって言いたいんでしょ? 分かっているからいいの。私なんかどうせブタゴリラだし」


「何それ? 何をやさぐれているのか知らないけど、花音ちゃんはブタでもゴリラでもないよ。世界一可愛いって」


「そういう軽はずみで余計な一言が、信頼を損なうんだよ」


「上司からの仕事のアドバイスみたい」


 駿介はからからと笑う。

 ブタゴリラを説明すると、目を光らせて言った。


「むしろ、花音ちゃんはドラえもんじゃない?」


「狸の次はドラえもん? ちょっとひどくない?」


「見た目じゃなくて中身が、ってこと。困ったことがあっても、仕方ないなあって言いながら、どうにかしてくれそうな感じがする」 


「そんな能力ないよ。四次元ポケットもないし」


「そうじゃなくてね。人間の性質の話。たとえ本当にどうにかならなくてもいいんだ」


 片肘をついて微笑む駿介が何を言いたいのか、よく分からなかった。


 幹子さんは、母のような温かいまなざしで私達を見ている。


「花音ちゃんだっけ? 俺の話も聞いてよ」


 高橋さんが足元をふらつかせながら、あきらめずに私の横に腰掛けた。目の焦点が合っていないが、陽気な笑顔を浮かべている。


「俺と妻の馴れ初めの話していい?」


「いいですよ」


「花音ちゃん、その話、長くなるよ」


 駿介の言葉を意に介さず、高橋さんは話し始めた。

 高橋さんが道路で犬小屋を拾ったことから始まる、高橋さんと奥さんの出会いの話は奇跡的で面白く、聞き入ってしまった。

 高橋さんは、今は管理職だが、以前は法人営業をしていたらしい。道理で話が上手いわけだ。


 結局、遅くまでガタラで駿介達と賑やかに過ごしてしまった。

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