第23話 ネオンサイン
***
いつもの仕事に加えて祭りの準備が加わったことで、忙しく過ごしていたある日、雪間くんから連絡が来た。
『小笠原瑠衣と会いましたか?』
挨拶も前置きもなくそれだけだった。祭りの事務局から来るメールのようにくどい文章も読む気が失せるが、ここまで単刀直入なのもどうかと思う。久しぶり、とか、元気ですか、とか、形式的にでもそういう言葉はないのだろうか。私相手だからそんなことはどうでもいいのかもしれないが。
おそらく、小笠原さんから私のことを聞いたのだろう。
『お祭りの説明会で知り合ったの。そっちはかけっこ大会やるんだってね? うちの会社はお祭りでコリントゲームをやるよ』
そう返信したところ、当然あると思っていた返事が来なかった。何か変なことを書いたかとやきもきする。
返事に気づいたのは翌朝だった。時刻を見ると深夜に送信されていた。
『彼女には近づかないでください』
それだけだった。
最初、私が寝ぼけているのかと思った。しかし何度見ても、本当にそれしか書かれていなかった。手の力が抜け、落ちてきたスマホが顔に当たる。
痛む額をさすり、スマホを枕の横に投げ出して、天井を見つめた。
一体、どういうことなのだろう。近づくなって、何?
もしかしたら、私が小笠原さんに、雪間くんについての悪口を吹き込むのではないかと警戒されているのかもしれない。私が余計なことをして邪魔しないか心配しているのだろう。
そんなに信用されていないのかと、つくづく悲しくなってしまう。反論しようとしたが、どう伝えたらいいのか分からなくなってしまった。迷ったあげくに、ウサギが『大丈夫だよ』と言っているスタンプを送った。
返事は来なかった。
*
そんな予感はしていたが、やはり祭の実行委員会には問題があった。どうも内部にリーダー各の人が複数おり派閥化していて、それぞれが主張して意思統一ができていないようだった。
事務連絡のメールの内容が前のものと齟齬をきたしている。質問のメールをしても返事が来ないか、来ても言っていることがよく分からない。結局、あちこちに電話をして、ようやく解決したりする。
だから、小笠原さんとメールで情報交換できるのはとても助かった。こちらで分かったことを伝えたり、逆に、小笠原さんが確認したことを教えてもらったりした。
雪間くんには、彼女に近づくなと釘を刺されたが、これは仕事だし、事務連絡以外のことは何も言っていないのだから許されるだろう。
吉居さんのコリントゲームは無事に出来上がり、自宅からワゴンに乗せて会社に持ってきてくれた。
作っているうちに楽しくなってきたということで、聞いていたものよりも更に凝ったものになっていた。二重になった台に点数の書かれた穴が開いており、右端のばねから発射したビー玉がそこに落ちると、下にある点数ごとに区分けされた部分に出てくる。台の上にはピンだけでなく歯車も設置されていた。
試しに部署の皆で遊んでみたところ大盛り上がりとなり、気づいたらトーナメントが行われていた。課長が優勝したところでようやく皆、仕事中だということを思い出した。
そのうちに、事務局の派閥を取り持っている人の存在に気づいた。山内さんという丸い体型のおじいさんなのだが、山内さんに聞くと、まともな返事が返ってくる。もっぱらその人に質問することにした。
必要なものの手配や、景品の準備も終わった。撤収時間やゴミの分別の仕方など、はっきりしておらず不安だったことも山内さん経由で説明された。お祭りの前週になってようやく、色々と憂慮していたことの目途がついた。
気持ちに余裕ができたら、雪間くんと小笠原さんのことが気になってきた。しかし、スマホを何度見ても、彼からの返事はなかった。
*
お祭りを翌週に控え、再度、参加者を集めての説明会が行われた。場所は前回と同じだった。
会議室に入ると、小笠原さんはもう来ていた。私を見つけると小さく手を振る。隣に座るとにっこりと感じよく笑いかけられた。
「メール、ありがとうございました。色々聞いちゃってすみません。草野さんに教えていただけて、本当に助かりました」
「いやいや、こちらこそ。情報交換できてよかったです」
説明会の内容は直前の注意事項や、当日の流れについてだった。
事務局の人達は土曜日の天気予報が晴れであることを喜んでいた。
「初めて行われるこのお祭りの天気が恵まれることは、誠に目出たいことです」
一応、天気が悪くなった場合のことも説明されたが、
「まあ、そうはならないと思いますが」
と何度も言っていた。
来週の天気なんかまだ変わるだろうに、そんなに決めつけていいんだろうかと思っていたら、山内さんが、
「私はてるてる坊主を作りますから」
と言ったので笑ってしまった。私も作ってあげようかな。
*
「この後、どうします?」
説明会は正午に終わった。帰り支度をしていると小笠原さんから尋ねられた。
「ご飯をどこかで食べてから、会社に戻ります」
「私もそうです。じゃあ、一緒に近くで食べませんか?」
雪間くんからのメッセージが頭をよぎったが、断るのは話の流れからして不自然な気がした。色々お世話になったし、変に波風も立てたくない。
「いいですね」
近くのビルの一階にあるファミレスに入った。
椅子に座って向かいあうと、小笠原さんの綺麗に整えられた爪に目が留まった。珊瑚色のマニキュアがつややかに光っている。怪我をしたのか、右手の人差し指に絆創膏を巻いていたが、それはうさこちゃんの柄だった。
咳をしすぎた時みたいに、肋骨のあたりがひどく傷んだ。
私の視線に気づき、小笠原さんが微笑んで手をひらひらと振った。
「指輪がないか見てます? 右も左もないですよ」
「いや、そうじゃなくて。可愛い絆創膏だなって」
「彼氏は募集中です。私、このパスタにします。草野さんは決まりました?」
私の言ったことは聞こえなかったらしい。小笠原さんは吸いこまれそうな大きな目を細め、メニューを指さした。
注文を済ませた後、小笠原さんは私をじっと見た。
「草野さんは、雪間さんとお友達なんですよね? 雪間さんは彼女はいるか、知っています?」
またしても『近づくな』というメッセージがネオンサインみたいに頭の中に浮かんだ。彼の邪魔をしないように、言葉を慎重に選ぶ。
「いないと思う」
「そうなんですか? 雪間さん、かっこいいですよね。最近変わったし。結構、評判ですよ」
「え? そうなんだ」
今の小笠原さんの言葉を、スマホで録音すれば良かった。そうすれば、雪間くんに聞かせてあげられたのに。
最近、彼に何かあったのだろうか。会ってないので何も知らない。やはり、恋は人を変えるのか。
「でも、女の子にはそっけないですよね。特に私は話しかけても、あんまり喋ってくれなくて。嫌われているみたいです」
「多分、照れているだけですよ。小笠原さんみたいな子、嫌いな人がいるわけないって」
「やだ、そんなことないですよ」
紅潮した頬とやや高い声の調子に自信が滲み出ていたが、ここまで可憐な子だと嫌味がない。
「実は私、困ってることがあるんです」
小笠原さんが目を伏せて言った。
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