第34話 訪問者

 なんでそんなことするの。大きな声で訊いてみたい。


 ただ、この場で訊く勇気はない。今から一晩一緒にいなきゃいけないこの状況で、揉めるようなことはしたくないのだ。臆病者だと分かっているが、そう思ってしまう。それに、『自意識過剰ですよ』と、飄々とした顔で返事をしてくる様子が目に浮かぶ。きっと本当の事なんか教えてくれない。


 私は一口水を飲むと、出しておいた毛布を手に取る。


「もう眠くって。寝ない?」


「柚木さんとの写真見せてくださいよーほら、こんな風に」


 自分のスマホをにこりと見せつける。三田さんとの写真や、懐かしい顔まであった。基弘だ。


 でも、今の私はその二人の顔を見ても何も揺るがない。完全に過去の人だからだ。それより、透哉さんの話題を何とかしなくては。


「別れた後も写真残しておくタイプなんだね」


「そうですねーそれなりに円満に別れたなら消さなくていいか、と思うタイプです! で、先輩は?」


「そっか、まあ嫌な思い出じゃなければね」


「先輩と柚木さんの写真は?」


「い、いや恥ずかしいから」


「何回ここに来たんですか? 料理とか作ってあげました? あ、柚木さんの誕生日っていつなんでしょうね、この前先輩の誕生日は祝ってもらっただろうし、今度は先輩が祝う側じゃないですかあ! いつなんですか?」


 怒涛の質問攻めに遭い、完全に脳が停止してしまう。透哉さんの誕生日、誕生日?


 知らない。知るわけがない。本当に付き合ってるわけじゃないからだ。でも相手の誕生日を知らないなんてあまりに不自然だろう。じんわりと額に汗をかく。


 やっぱり森さん、私と透哉さんが付き合ってること、未だに疑ってる? 嘘だという証拠を見つける気なの?


「え、と、それは……」


「まさか知らないわけないですよねえ、彼氏の誕生日。あ、あと出身とかどこなんですか? 大学とかもどこ行ってたんだろうー」


 次から次へと聞かれるたび、ああ私は彼について何も知らないのだと思い知らされた。


 二人で出かけて距離が縮まった気がしていたけど、全て錯覚だ。一線を引いた関係でしかないのだ。


 適当なことを言うわけにもいかず、口籠ってしまった、その時だった。


 部屋中にインターホンの音が鳴り響く。私たちは同時にモニターの方を見た。


「こんな遅くに……誰だろう」


 パッと思い浮かんだのは、もしかして森さんを狙っていた変質者が、実はずっと後をつけていて、私のアパートにまでたどり着いてしまったとか。もしそうなら本当にやばい、警察を呼ぶべきだ。


 焦って森さんに言った。


「さっきのストーカーの人がここまで来たんじゃない?」


「え!? そんなはずないですよ、だって! ……いや、距離も離れてるし。違う人なんじゃないですかね……」


 森さんが困ったように眉を下げた。とりあえず相手を確認してみようと、私はそっとモニターに近づいてみる。緊張で張り詰めた空気の中、画面を覗き込んでみると、知っている顔があったのできょとんとした。


「岩坂先輩? 誰でしたー?」


 森さんの質問にも答えず、私は慌てて廊下へ出た。そして勢いよく扉を開くと、そこにいた人が豪快に笑った。


「遅くにこんばんは! 私も泊めてよー女子会でしょ!?」


「……久保田さん、なんで!?」


 そこに立っていたのは久保田さんだった。今日食事をしてそのまま別れたはずの久保田さんが、何やら大きめの荷物を持ったままいたのだ。


 彼女は声を潜め、私に言う。


「柚木さんから来てやってくれないかって連絡貰ったんだよ! タクシー代も払うって言ってもらっちゃって。何事かと思った!」


 それでようやく察した。透哉さんが気をまわしてくれたのだ。


 いくら何でも、森さんが泊る家に自分も入るわけにはいかない。でも、きっと私と彼女が二人きりでは困るだろうと思い、事情も知っている久保田さんに来るよう頼んでくれたのだ。


 救世主だ……久保田さん、それに透哉さん。


「く、久保田さん―……!」


「私も泊まらせてよ! お酒買ってきちゃった、飲んでもいいねー。明日休みだしさ!」


 久保田さんはそう大きな声で言うと、そのまま上がって部屋へと入って行ってしまった。慌てて後を追うと、驚いている森さんに堂々と言った。


「こんばんはー森さん! せっかくの女子会だから、私も参加したくなったのよ。いいでしょー?」


「あ、久保田さん、こんばんは……」


「私色々聞いてみたいことがあってえー。さ、私とゆっくり話そうよ」


 森さんは、どこか不満げな顔をした。二人が絡んでいる様子はほとんど見たことがないが、森さんは久保田さんみたいなタイプが苦手なのかもしれない。明るくてはっきりものを言うタイプだ。私とは真逆だし、森さんにも負けないぐらい強いもんなあ。


 久保田さんは持っている荷物をどんと床に置くと、森さんの正面に座る。にこやかに彼女は言う。


「さー、飲める?」


「私あんまりお酒は飲めなくってー。それにもう遅いから、眠いんですよねー」


 大きくあくびをしながら、森さんはそそくさとベッドに横になる。久保田さんは冷めた目でそれを見ながら荷物からビールを取り出し、一人で飲み始めてしまった。なんという、シュールな光景。


 私に色々突っ込んで聞こうとしたところが、逆に自分が突っ込まれそうな相手が現れたため、戦うのを放棄したらしい。ああ、私ももうちょっと強くならなきゃだな。久保田さんみたいに堂々といなくちゃ。

 

 私は視線で久保田さんにお礼を言った。彼女は笑いながらビールを飲み、寝ようとしている森さんにお構いなしに、大きな声で私と透哉さんがいかに熱い交際をしているか、かなり盛って語り出した。


 ……久保田さんのこういうところ、本当に尊敬する。


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