第18話 向かい合って食事
やってきたのは、個室のある静かな和食屋さんだった。
とりあえず柚木さんに付いてきただけの私は、素敵な雰囲気のお店に驚き、少し慌ててしまった。まさか個室だなんて、なお緊張が増してしまうと思ったのだ。
向かい合って座り、柚木さんがメニューを手にする。
「何飲む?」
「あ、えっと」
「岩坂さん飲める人だよね? どうする」
「では、飲もうかな……」
「よし。俺はとりあえずビールで」
アルコールの力は私にとってもかなり必要だと思ったので、素直に酎ハイを注文した。シラフで柚木さんと向かい合い続けるのは酷なものがある。
すぐに運ばれてきたので、私たちは静かにグラスを当て合った。高く心地いい音がし、私は冷えたお酒を喉に流し込む。
「よかったんでしょうか」
私がポツリと言う。柚木さんが首を傾げた。
「何が?」
「森さん、相談事があるって言ってたから……」
「ああ」
忘れてた、というように柚木さんは言う。
「言ったとおりだよ、相談事があるなら仕事中に言ってくればいい。仕事が終わってからも気を遣わなくていいよ、岩坂さんはそういう面で優しすぎるな」
「べ、別に優しくはないんですが」
「って、仕事が終わってからもこうして付き合わせる俺が言っちゃだめか」
「いいえ! 柚木さんは違います、私のために色々考えてくれてるんですから……!」
「そう言ってもらえると気が楽だな」
彼は微笑みながらビールを飲む。そんな様子を見ながら、柚木さんは案外、仕事以外では笑うことが多いんだなあと思った。
彼は基本自分にも他人にも厳しく、仕事中はきりっとしていて、不愛想ってわけじゃないけどどこかミステリアスな感じがしていた。でも私の誕生日に会った日から、少しイメージが変わってきている。まあそもそも、付き合っているフリをしているとはいえ、自分が惚れてますって演技を自然としてくれるし、ずいぶん今までと違った面を見ているのだ。
なんとなく恥ずかしくなって、お酒を流し込む。少しくらい酔わないと、緊張がとけそうにない。
半分ほどグラスの中身が減り、料理が運ばれてきたところで、私はまずお礼を口にする。
「あの……改めて、色々とありがとうございました。柚木さんのおかげで職場も気まずくならずに済んだし、あの後も疑われずに済んでいます。本当になんとお礼を言っていいか」
「固いな。言ったけど俺にもメリットはあるから、そんなに気にしなくていい」
「は、はい」
「弁当とか作ってもらってほんとごめん」
「あれがないと困ってたところです! 助かりました、あんなものを食べさせたのは申し訳なかったですけど」
「あんなものって」
柚木さんが小さく笑う。笑うと少年のようになる笑顔に一瞬見惚れつつも、私は続けた。
「多分、森さんは私と柚木さんの仲を疑ってるっていうか……私の気持ちに気付いていたのかもしれないです。やっぱり嘘をつくと決めたからには、最後まで突き通したいと思ってます」
「んー確かにあの様子じゃ、なんか疑ってそうではあったな」
「ですよね。私、なかなかうまく出来ないので、お弁当があって本当に助かったなあって」
「そうだな、まずは俺にもうちょっと慣れてくれる? 肩の力抜いて。がちがちになってるのがこっちからも分かる」
小さく笑いながら柚木さんが言ったので、困りながら自分の肩を撫でてみる。そして情けない声を上げた。
「どうしても緊張しちゃうんです!」
「まいったな、今日はそれを何とかしたくて誘った。とりあえず名前で呼んでもらいたいんだけど」
「ごほっ、ぶほっ」
チューハイが変なところに入ってしまった。せき込んだのを慌てて落ち着かせながら、必死で自分の中で言われた言葉を理解しようとする。
名前で呼ぶ? そりゃあ、確かに付き合ってたら名前で呼ぶだろう。でもあの柚木さんを名前で呼ぶなんて、あまりにレベルが高すぎる。
私は涙目で答える。
「あの、仕事中はどのみち苗字で呼ぶことになりますし、下の名前で呼ぶタイミングなんてあまりないと思うんです、だから」
「名前を呼ぶようになれば親しみがわくはず。俺も伊織って呼んでもいい?」
そう聞かれては、頷くほかない。私の反応を見て、満足げに目を細める。
「あ、てか俺の下の名前知らないか。苗字でしか呼ばないし、知られてなくてもしょうがないかも」
「まさかです! 透哉さんですよね、知らないわけが」
そこまで言った瞬間、彼がにこりと笑ったのに気が付いた。あれだけ恥ずかしがっていたのに、簡単に呼んでしまったのだと気が付き、恥ずかしさで俯く。
「呼べる時でいいから、そうやって呼んでれば、自然と距離は縮まると思ってる。頑張ってね、すぐ慣れるよ」
「慣れる気がしません……」
「なんとかなる。あ、次の料理が来たね」
あっけらかんと言って食事を続ける。上手く彼の手のひらで転がされている気がして、思ったことを素直に口に出した。
「柚木さんって、どうして絶食系なんですか? 意外すぎるっていうかなんていうか……恋人のフリも上手だし、こうやってお店選びとかエスコートも上手で、全然そんな風に見えないです」
私の疑問に、彼はお刺身を食べながら答えてくれる。
「んーまあ、高校の頃は人並みに付き合ってたこともあるからね」
「あ、そうなんですか?」
意外だった、てっきり昔からずっと恋愛に興味がないタイプなのかと思っていたのだ。
「でも懲りた。女性の、自分が一番でいたい感じとか、裏では何を考えてるか分からない感じとか、それはもうたくさん味わってね。社会人になったら仕事も楽しくて熱中出来たから、すっかり恋愛には興味をなくしてた。もうこりごりだなって思ってたけど」
柚木さんはビールを煽る。空になったグラスを静かに置き、私に笑いかけた。
「まあ、あれだな。こんな形で伊織に協力してもらってるのは本当に助かってるよ。色々伊織は大変だろうけど」
「い、いえ、私は柚木さんに任せっぱなしですから……指示された通り動いているだけです。凄いですよね、先を見越しているっていうか。でも確かに、今週はてんやわんやでした。まさか柚木さんにお弁当を作る日が来るとは思ってなかったし」
「毎日忙しかったでしょう?」
どこか含みのある声で私に尋ねてきたのを見て、ふと頭の中で思った。
もしかして、失恋した私が落ち込みすぎないように、あえて色々してくれたんだろうか。お弁当だって今日の食事だって、急な電話だって、私の気を紛らわすために?
そうだとしたら、柚木さんは凄すぎる。
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