第16話 そこまでしなくても
そのまま仕事を終え、今日はまっすぐ帰宅した。柚木さんは今日はほぼ社内におらず、帰りに少し顔が見れたものの、忙しそうに動き回っていたので、挨拶も出来なかった。
早く帰宅出来た私は、家で一人テレビを見ながらぼうっとしていた。仕事の疲れと、ここ最近あった色々を抱えながら、目の前のバラエティ番組にも集中できないまま、ただ抜け殻のように座っていた。
多分、疲れている。
失恋や、演技や、いろんなことに疲れてしまっている。短期間でこれだけのことがあれば当然の反応だろうと思う。
はあ、とため息が漏れた時、テーブルの上に置いてあったスマホが鳴ったので、反射的にそれを覗き込む。
「……えっ」
また柚木さんだ。
慌てて電話に出る。昨日に引き続き、また電話が来るなんて。
『こんばんは』
電話の向こうは至って落ち着いた声色だ。私は自分だけ焦っているのが何だか恥ずかしくなり、必死に落ち着けて答えた。
「こんばんは、柚木さん」
『弁当、開けてびっくりしたんだけど』
「あっ! ごめんなさい!」
言われて思い出す。私は結局、おにぎりだけじゃなくておかずも詰め込んだのだ。とはいえ簡単に作ったおかずばかりなのだが。
電話口で彼が笑う。
『どうして謝るの? 気を遣わせたね、まさかあんなにしっかりしたお弁当があるとは思ってなくて。美味しかったよありがとう』
「食べたんですか!?」
『心外だな。頼んでおきながら捨てるような人間じゃない』
そりゃ、柚木さんは食べ物を捨てたりしなそう、とは思ったからおかずも作ってみたんだけど、でも実際彼の口から聞くと、やっぱり信じられない気持ちになる。
「すみません、そういう意味で言ったんじゃないんですけど、柚木さんが私の作ったお弁当を食べる光景があまりに思い浮かばなくて……」
『凄く美味しかったよ。大変だったでしょう、ごめんね』
「とんでもないです! 柚木さんが言ったようにお弁当を準備してたから、今朝のピンチも乗り越えられた感じがしたし。やっぱりさすがです」
『ああ、まさかあんなあからさまに絡んでくるとは思ってなかったけど……相手の思惑が見え見えだね」
「相手の思惑?」
私が首を傾げるも、柚木さんははぐらかす。
『さて、あんなに立派な弁当を作って頂いたので、お礼をします。今週の金曜、夜飯に行こう』
「!!?? あんなものにお礼!? 柚木さんとご飯!?」
『恋人役をするにあたって、岩坂さんに問題がある。俺に他人行儀なところ』
しょうがないじゃないか、と心で嘆いた。先輩で、さらには誰しもが憧れる営業部のエースであれだけかっこよければ、おのずと背筋も伸びてしまう。
『だから、練習がてら食事に行きましょう。少しは俺に慣れてもらわなきゃ』
「そ、そこまでしなくても……働いてるだけなら、そんなに恋人っぽくなくても誰も疑いませんよ」
『そんなことない。俺たちは今周りに注目されてるよ、部署外の人からもね。下手なことして嘘がばれたら困る』
確かに、相手が柚木さんということは、いろんな人から注目されているだろう。
そう思うと、私も多少は彼に慣れなければならないのか……。
「わ、分かりました、よろしくお願いします」
『よかった。じゃあまた金曜にね。お弁当箱は明日洗って返す。暇な時また作ってくれたら嬉しい。卵焼きが特に美味しかった』
そう言って柚木さんは電話を切った。私は追いつかない感情に戸惑いながら、スマホを耳から離す。
優しいなあ、柚木さん。また作ってくれたら助かる、じゃなくて嬉しいって言ってくれるんだもん、嬉しいわけがないのに。味の感想もちゃんと言ってくれるし。
だがそれにしても、柚木さんの徹底ぶりの凄さ。そりゃ、恋人っぽいかと聞かれれば全くそんなことはない二人だろう。でもそのために練習までするなんて、彼は凄い人だ。こういう完璧主義なところが、彼の営業成績に表れているんだろうか。
「……やだな、緊張してきた」
思えば、男性と二人きりで食事だなんて、大学生の頃付き合っていたあの彼以来のことだ。しかも、相手があの柚木さん? こんなの誰でも緊張してしまうだろう、しない女なんているもんか。
「でも、本当は付き合ってないんだもんね。平常心平常心」
私は失恋を職場の皆にばれないようにするため、柚木さんは女除けのため。二人の利害が一致した嘘なんだ、私も真剣に取り組まねばならない。恋人っぽいことって、あとはなんだろう? お弁当作る以外に何かあるかな。
考えても思い浮かばなかった。とりあえず今度食事に行ったときに、柚木さん本人に相談してみよう、そう結論付けた。
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