第14話 お弁当は日本の素敵文化


 あれから質問の嵐だったが、時間を見て柚木さんが切り上げた。そのあと、それぞれ外回りに出ていき、私も走り回っていたので、誰かに質問攻めにされずに済んだ。


 仕事も終わり帰宅しようとしたところで、何も説明していない久保田さんに掴まり、ご飯を食べに行った。私は久保田さんにだけ今までの流れを正直に全部話すと、彼女は卒倒しそうになっていた。


 だが、私と柚木さんがついた嘘について、久保田さんは幻滅したり怒ったりはせず、満足げにしていた。


『柚木さんの提案に乗ってよかったよ! あのままじゃ、伊織ちゃんがあまりに気まずかったでしょ? 私は全然ありだと思う。ってか、三田さんとあの女は何してんのよ?? 特にあいつ! わざわざ伊織ちゃんに個別に報告に来るとか。どういう意味?』


 止まらない久保田さんの怒り。私以上に怒ってくれる姿が嬉しかった。失恋の痛みを忘れるために、久保田さんとかなりお酒を飲み、ようやく家に帰宅したときには、とっくに二十ニ時を回っていた。月曜から一体何をしているんだ、自分は。


 お風呂に入りぼんやりと考えを巡らせていた。


 三田さんに失恋したんだなあ、私。そして、また森さんが選ばれたんだ。


 そのことは凄くショックで、やっぱり自分の中でまだ消化しきれていない。森さんは可愛くて女の子らしくて私とは正反対だから、なるべくしてなった。そうわかってはいるのに、どうしてもまだ受け入れたくないし苦しい。


 もしあの子がうちの会社に入ってこなければーーそんな醜い考えも出てきてしまう。


「だめだ、自分が嫌になる」


 森さんがいなかったとしても、私の恋は実っていなかった。だって三田さんの好みはああいうタイプってことだもんね、だったらどう頑張っても無理だったに違いない。


 この恋心は、火が消えるまでこっそりと胸の奥にしまっておこう。大丈夫、サークルの時よりは、柚木さんの提案のおかげでショックが浅い。


「……とはいえ、今更だけど、あの柚木さんと付き合ってるフリって」

 

 浴室に自分の声が反響する。今日あった出来事が蘇り、混乱と驚きで、失恋の痛みすらやや忘れてしまいそうになる。私で彼の恋人役が務まるんだろうか。ていうか、交際してるフリって何をすればいいんだろう。


「まあ、何もしなくていいか。職場じゃ関わることもあまりないんだし、深く考えなくても」


 そう独り言を言っている時、脱衣所に置きっぱなしにしている電話が鳴っていることに気が付いた。私は急いで湯舟から上がり、ふらっと浴室の外へ出る。


 簡単に手を拭き、着替えのパジャマの隣に置いておいたスマホを手に取り、画面を覗き込んでいたところで、私は驚きで手を滑らせそうになった。


 柚木さんからの着信だったのだ。


「え、待って、なんで、え!?」


 思い返す限り、連絡先の交換はしてないはずなのだが。とりあえず慌てて出てみる。


「も、もしもし」


『もしもし? 柚木です』


「はい、お、お疲れ様です! あの、どうやって私の」


『グループラインから』


 答えはとても簡単なものだったので、顔が赤くなった。そうだ、職場みんなのグループラインがあるではないか。そこから私の所へ飛んだ、というわけだ。


「そ、そっか。えっと、どうしましたか」


『今日、結構強引に話を進めたけど、大丈夫かなって。まあ今更なんだけど』


 そう心配してくれた柚木さんに、ふっと表情を緩めた。私はお礼を言う。


「いいえ、結局私が決めたことです。こちらこそ、大丈夫でしたか。柚木さんにいろいろフォローもしてもらって、本当にすみません」


『別にいいよ、俺が提案したんだから。こっちも凄く助かるからよかった』


「な、ならいいのですが……」


 今更ながら、柚木さんとフリとは言え付き合っているだなんて、なんだか恥ずかしくなってきた。こんな素敵な人が私と付き合うだなんて、ありえないのに。


 そんな自分の気持ちを誤魔化すように、私は明るく言った。


「周りへの説明は柚木さんがやってくれましたし、私は特にもうやることもないですから、このまま平穏に」


『そうそう、そのことだけど。岩坂さん弁当箱って持ってる?』


 突然そんなことを言われたので面喰う。とりあえず返事をした。


「も、持ってますが……」


『よかった。適当なおにぎりだけでいいから、明日詰めて持ってきてくれない? 俺に』


「……え!?」


 ひっくり返った声が脱衣所に響く。柚木さんにお弁当を持っていく? なぜそんなことを。


『もちろん今度材料費は渡すから。明日俺は外回りで昼は外になりそうだから、朝渡してもらえるかな』


「ゆゆ柚木さんに私がですか!?」


『付き合ってるっていう設定なら、それくらいあった方が信憑性が増すでしょ』


 そりゃ、付き合っていれば彼氏にお弁当を作ることもあるだろう。でもそこまでする必要があるだろうか。あの柚木さんに、私がおにぎり渡すの? あ、本当には食べないのかな。


「そこまでした方がいいですか……?」


『うん、やるからにはちゃんとやらないとね』


 きっぱり言い切られた。まあ、仕事でも完璧主義な柚木さんらしいのかなあ。思えば、私と柚木さんが付き合うっていうのは不自然だと思う人たちもいるかもしれない。嘘ではないよ、と証明するために必要なのかな。


 私は提案を受け入れた。


「分かりました、準備しておきます」


『ありがとう、よろしく』


 それを最後に電話が切れた。私はスマホを置き、ようやく濡れた体を拭き始めながら、独り言を呟く。


「おにぎりだけって、まさか本当に食べないよね?」


 だってあの柚木さんが、好きでもない私が作ったおにぎりを昼食に食べるなんて信じられない。付き合っていることをアピールするための道具として必要なだけであって、昼食はもっといい物を食べるに違いない。


「いやでも、あの柚木さんが食べ物を捨てるかなあ……?」


 ふとそんな考えもよぎり、困る。そうだよなあ、柚木さんって罪もない食べ物を捨てたりしなそう。ということは、本気で私のおにぎりを食べるつもりだろうか!? あの柚木さんが? 私なんかの? 前は女性に手作りのお菓子を作ってこられて迷惑だった、みたいなこと言ってたけど……。


「聞けばよかったかな」


 服を着ながら後悔する。もし本当に食べるんだとしたら、適当な物を渡すわけにはいかない。私は髪も濡れたまま、すぐにキッチンへと移動した。


 冷蔵庫を開けてみると、それなりに食材が入っている。おにぎりだけでいい、って言ってたけど、万が一食べてみよう、って思ってたとしたら、おにぎり以外にももう少し何か入ってた方がいいんじゃないんだろうか。


 柚木さんに、お弁当か。


「人生何が起こるか分からないものだなあ」


 私は頭を掻きながら呟いた。



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