第125話 深淵にある牢獄

「何で、と言われてもねぇ。僕は『お願いされた』からココにいるんだけど」


「我らを迎えに行けと?」


サジルはその問には答えずに、ただ胡散臭い笑みを一層深いものにする。


「さて、僕に従ってくれると有り難いな。素直に着いてきてくれるかい?面倒だから、余計な手間を掛けさせないで欲しいなーーーー怪我なんかさせたら悲しむだろうから。損なわせたりしたら、報復が怖い」


そう言ったサジルの胡散臭い笑顔が、一瞬強張ったのをチュウ吉は見逃さない。

余程怖い思いをしたのだろう。


「ーーーー脅された、のですか?」


「いいや。そんな事はされてもいないし、暴力も無いよ」


黄色い毛玉の発した声に、サジルは目を丸くするが、直ぐに張り付けた笑顔に戻る。


疑ってくれても構わないが、何処まで騙せるのかで勝敗が別れる。

サジルは慎重に言葉を選ぶ。


この冷たく深い、深淵の牢獄に封じられた古い神には、囁かれただけ。

サジルにとってはとても魅力的で、その誘惑には逆らい難い、願いそのものを。

少女神には古き神の誘いに乗って、深淵の牢獄に行って欲しいと言われた。


「僕は、肯定の返事をしただけだし」


信じてくれなくても構わないけど、と前置きをしてから、サジルは更に言う。


「ここって、時空神様が創造した空間と聞いたけど、時空の波があるんだって?流されない内に、迷子さん達は僕の手の平に乗ってくれると嬉しいな。僕は加護っぽい物を貰ったから、大丈夫らしい?し」


「誰が迷子だと?!呼んだのはそちらじゃろうに」


チュウ吉は毛を目一杯に逆立て警戒を解かないまま、サジルの手の平に乗る。

フンッと、鼻息は荒い。

が、手の平に乗った途端、なる程と唸る。

暗闇だと思われていた場所は、明滅するかのように、目まぐるしく景色が切り替わった。


「ーーーー不純物がくっ付いているから、上手く呼び寄せる事が出来ないって言ってたけど、それは何だろうね?」


「お前さん、余程噛まれたいらしいの?」


「ネズミは雑菌だらけだし、それは嫌だなぁ。お姫様になら、いくらでも痕を残してもらって構わないんだけど」


「我はネズミでは無い!!神獣じゃ!見よ、このふんわりとした毛並み、もっちりとしたボディー!もっふもふで、モチモチじゃぞ!?フィアお気に入りの触り心地、就寝時も一緒の一級品!」


「そ、それを言うなら私だって、このもふもふ毛玉感はあの子のお気に入りですよ!勿論、寝る時も一緒です!」


「ーーーー何を競っているのか知らないけど、僕はもふもふとやらに興味は無いんだ。ごめんね?」


「「お前に、じゃ無い!!」」


触れてもらう対象はフィアであって、サジル等では決して無いのだが、何故かふられている謎の現象が腹立たしい。


ダン、ダンと、脚を踏み鳴らす仕草をするが、如何せん手の平の上だ。

チュウ吉はタシタシと情けない音に、気を削がれた。

チュウ吉はジッとサジルの手を観察する。

白く滑らかな手は傷一つ無い。どうやら流血沙汰になっていないのは本当らしい。

手首にある、手枷が重そうに鈍く光っているだけだ。


小さな手が、その手枷にスッと手を添える。

感じようとしなければ解らない位に微かな、波動を感じる。

離れたのは僅かな時間でも、泣きたくなる優しい温もりがあった。


毛並みを乱す様に、サジルの人差し指がグリグリとチュウ吉の頭に触れる。

撫でているつもりなのだろうが、結構痛いので、毛並み自慢の報復だろうか悩む。


サジルにしてみれば、遠慮無く触れて貰える立場へ、ちょっとだけ羨ましいと思ってしまった事のやっかみ半分の行動だ。


「じゃ、移動するけど良い?この場所の移動は難しいから、暴れないで欲しいな。一時的に眷属?っぽい立場を貰ってる僕は平気だけど、落ちたら大変だよ?むしろ今まで良く平気だったね。ああ、お姫様との絆がまだあるのかな?」


サジルがそう言い終わる前に、グルリと目が回る感覚と、ふらついた瞬間ーーーー不意に景色が止まる。

いや、代わった!?


何処までも続く一面の野原、そよぐ風。

見覚えのある、山脈ーーーー。

何もかも造られた景色、そこに立つ、見た目二十歳後半の青年。


それが誰なのか、直ぐにわかった。

ラインハルトやーーーーライディオスにも良く似た容貌、少しだけ年を増して見える姿。


「ーーーーアステール」


アスターの懐かしさを込めた呟きに、青年は微笑んだ。


近寄ろうとしてしまうアスターの入ったポポの身体を、チュウ吉が押さえ込む。


アステールの眉がピクリと跳ねる。


「ーーーー存在を知った時は驚いたな。しぶといな、雄大な姿をその様に卑小なモノに変えて、惨めな奴よ。俺の存在を感じて逃げるしか出来なかったのも頷ける」


慈愛に満ちた微笑みが、骨の髄まで凍る様冷ややかに、醜く歪んだ。


「アルディアの王城で、小娘の影に隠れてコソコソするしか出来なかった存在に言われとう無いわ!」


チュウ吉は憤り、威嚇しながらも哀しかった。

かつての御方ならば、決して言わないであろう言動に今更傷つく訳でも無いが、ここまで堕ちてしまった現実が。

光り輝く存在を知っているだけに、今、チュウ吉を傲然と見下し、自らにとって価値があるやなしかを値踏みをされるのが。


不思議と涙は出なかった。


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