08:お買いもの
部屋でエーディトに身嗜みを整えて貰うと、私は王宮の客室に備え付けられた食堂に向かった。
客室一つ一つに食堂があるとか、さすがは王宮よね。
部屋に入ると席にはすでにフィリベルト様が座っていらした。
今日はぐっすり寝てしまい悪戯することもなく、そして朝起きたらもう居なかったから仕方がない。
「おはようございます。
済みませんお待たせしましたか」
「い、いや大丈夫だ」
フィリベルト様の声は震えていて、緊張からかガタッと椅子を鳴らして立ち上がる。
貴方が大丈夫かと、王宮に仕える使用人らはきっと思ったことだろう。
フィリベルト様がこちらにやってきて椅子を引いてくれた。
その動きがややぎこちないのはこの後の事を考えてだろうなとくすっと笑った。
フィリベルト様がふっと短く息を吐く。
どうやら気合いを入れたらしい。
「おはようベアトリクス」
大きな体躯の腰が曲がって私の頬に唇が触れた。
「おはようございます
私が挨拶を返してフィリベルト様の頬に口を付ける。
ホォ~と使用人から息が漏れた。
なんだ王宮に仕える使用人もそんなに程度が高くないじゃないかと心の中で笑う。
このような使用人であればこの噂はすぐに広がるだろう。そしてそれらの噂はきっと悪い結果にはならない。
まぁ最近はアピールするまでもなく仲が良いとは思っているけれど、こう言う目に見える分かりやすい物ってやっぱり大事よね。
秋の収穫祭は五日後に開催される。
ドレスを購入する約束があるが、フィリベルト様は午前中に報告を済ませるそうで、一緒に出掛けるのは昼食の後となった。
ここには乗れる馬もないし乗って良い場所も知らない。
本くらいは書庫に行けば借りれるだろうけど、別段読みたい本もない。
こういう時、趣味のない私は時間を持て余す。
宛がわれた部屋に帰るとエーディトがやっと口が開けるとばかりに叫んだ。
「奥様!?」
「どうしたの慌てて」
「今朝のは一体?」
「今朝? ああ、ふふっ素敵でしょう~」
おっと勝ち誇ったみたいな言い方になってしまった。
「とても驚きました。まさかあの旦那様が」
そのくらい驚いて貰えれば私も本望だわ。なにせあそこまで行くのにかなり苦労したのだもん。
「まさかついに……」
「いやそれはまだ、です」
勝ち誇って尻すぼみ……
「あら残念です。でも時間の問題ですわね」
「そう思いたいわね」
あと一歩、何かが足りなくて踏み出してこない。
それが何かが私には分からない。
その後、昼食の時間まで、あーだこうだとエーディトとお話をして時間をつぶした。
※
昼食後、予定通りドレスを購入するために街へ降りた。
なお使用するのは私の馬車ではなく、王宮から借りた馬車らしい。
「もしや馬車に問題がありましたか?」
「半月の間急ぎ足で走らせていたからな、整備と、あとは道に明るい者が欲しかった」
「左様ですか」
この時はふぅん~と言う程度で聞いていたが、その理由はすぐに身を持って知った。
馬車は貴族通りと名付けられているひと際大きく華やかな通りに向かった。
私は今回で王都が三度目だが、一回目は記憶があやふやな幼い頃で、二度目は王宮直行だったので、当然この通りに来たのは初めてだった。
見たこともない数のお店が左右に立ち並び、どこに入るのか目移りするほど。
キョロキョロと落ち着かない様子で、左右に忙しなく首を振っている私はきっと田舎者丸出しだろう。
ここが馬車の中で良かったわ。
「むぅ予想以上に多いな」
「は、はい……」
「俺には分からんのでな、実は先立ってお勧めの店の名を聞いておいた。まずは馬車をそこに走らせているが、良かっただろうか?」
この通りを実際に見て納得した。店の名を告げてもうちの騎士では迷うだけ、どうりで王宮から馬車と御者を借りるわけよね。
「ええ勿論です。私は王都に明るくありませんのでお任せいたします」
「ところでフィリベルト様は王都にお住まいではなかったですか?」
「兵舎で暮らしていたことを言うのならその通りだが、俺は生憎このような場所に縁はなかったのでな」
やたらトーンの低い声色が返ってきて、私は自分の失言に気付いた。
自分がそう思っていないもので忘れがちだが、フィリベルト様は人食い熊と呼ばれて令嬢から恐れられて避けられていたのだったわ。
しかしここで謝罪するのは絶対に間違いだと思い、ことさら明るい声色で「楽しみですわ」とだけ返しておいた。
「ところでどなたのお勧めですの?」
「姉上だ」
先日領地に寄った際にドレスの話を聞いたらしい。すると店は決めているのかと話が広がっていき、教えて貰ったそうな。
流石はヴァルラお姉さま、弟の事をよく分かっていらっしゃる。
ヴァルラお姉さまのお勧めだと言うお店は大通りの中心に存在していた。
店の造りは左右のお店と比べてもひと際豪華で立派だ。ぶっちゃけ、お高いお店だと言うのが一目で分かるレベルだわ。
そりゃそうだ。ヴァルラお姉さまは侯爵夫人、今さら何言ってんだって話よね。
「大丈夫でしょうか……」
「いらぬ心配は不要だ」
不安げに聞けば自信満々の回答が返ってきた。
もしやフィリベルト様はドレスの値段を知っているのだろうか?
知っていると言うことは誰かに贈ったと言うこと? でも先ほど店には縁がなかったと。でも店に縁がなくとも贈るのは出来るわよね。
様々な負の思考が私の心が揺らす。
どうやら私は見知らぬ女性に嫉妬しているらしい。
「フィリベルト様はドレスの値段を存じていらっしゃるのですね」
何も言うつもりはなかったのに、いつのまにかそれを声に出してしまい自分で驚く。
「す、すみません!」
慌てて謝罪。
「何を謝る事がある。
して、ドレスとは貴女が心配するほどに高い物なのだろうか」
「えっ? 存じていらっしゃらないのですか」
「ああ先ほども言った通り、今まで俺には全く縁がなかったからな。
それなりの金は持っているつもりだが、ふむ足らぬと言うのは考えていなかった」
家並みと言われると流石に~とブツブツ言っている。
それを聞いてそこまでではない、心配し過ぎだと笑った。
そう、まさに心配し過ぎだわ。私はもっと旦那様を信じるべきね。
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