1.自らを天才だと宣う天才(10)

 屋敷の廊下を走るエリィさん。

 俺は、そんな彼女に軽々と、お姫様抱っこされている。

 おそらく俺に軽量化の魔法を使っているのだろう。

 それにしても照れくさいことこの上ない。


「師匠、無事でよかったです」

「あ、うん。というか、魔法の制御できるようになったんだ」

「昨日の夜、本で勉強したので」


 三日三晩で習得するようなものじゃないのに、一晩って。

 もはや苦笑いするしかない。


「天才かよ……」

「はい。天才なので」


 彼女の顔は、自信に満ち溢れていた。



 廊下を抜け、庭に出た。

 夕方の空が、草花を照らす。


 俺たちを待っていたのは、仁王立ちをするエリュセンス先生であった。

 書斎から脱出しているのだろうとは思ったが、想像以上に早かった。

 相変わらず鋭い目でこちらを見ているが、なんだか妙に柔らかい印象を受けた。


「……エリィ、お前の魔法は強すぎる。いつか他人だけでなく、自分をも傷つけてしまうことになるんだ。分かってほしい」


 エリュセンス先生がどういう思いで訴えかけているのか。

 彼の過去を聞いた俺は、ほんの少しだけど理解できているつもりだ。

 だからこそ、はいそうですかと引き下がることは出来ない。


「私は既に、魔法で人を傷つけたし、傷つきました」


 彼女の言葉に、エリュセンス先生は呆気にとられているようだった。


「私は初めて使う大魔石を制御できずに、魔法を暴走させました。その魔石を、彼……ロウ師匠が飲み込んで、結果的に被害は抑えられました。けど、私のせいで師匠は魔法を使えなくなったんです」


 エリュセンス先生は俺のほうを見て「本当か?」と目で問う。

 頷いてみせると、彼は再びエリィさんの方を見て、大きなため息をついた。


「なんてことだ……」


 ふらふらとよろめくエリュセンス先生。

 エリィさんはゆっくりと口を開く。


「私に失敗するチャンスをください。屋敷の外にいたら、きっと何回も失敗するだろうけど、それでも、この数日間の失敗を無駄にはしたくないんです」

「…………」


「エリィさんには、罪滅ぼしをしてもらいます。もちろん、俺が彼女に怒っているからとか、そんなくだらない理由ではありません」


 二度と魔法が使えないと知った時、どうせ冒険者を引退するから関係ないと割り切ろうとした。

 それでも、当たり前のように使っていた魔法が突然使えなくなるというのは、案外精神的にくるものがあった。

 なんだか、今までの練習や知識が無駄になってしまったような気分になるから。


 彼女が弟子にしてくれと言ってくれなかったら、俺はどこまでも腐っていただろう。


「エリィさんには、俺が捨て身で護った甲斐があった、と思えるような弟子、ひいては冒険者になってもらいます。そして――」


 弟子の扱い方を、俺は未だによくわかっていない。

 師匠としての在り方も、よくわからない。

 本に正解は載っていない。

 正解なんてないものかもしれない。


 だから、自分たちで答えを考えて、試して、修正する。

 そんな行き当たりばったりな師弟関係も、悪くないのかもしれない。


「俺は彼女から謝罪ではなく感謝を言わせるような師匠になります。だからエリュセンス先生。エリィさんの弟子入りと、冒険者になることを許してあげてください!」


 頭を下げるのは、何年振りだろうか。

 冒険者になりたての頃は、よく失敗して下げていた。

 いつの間にか、頭を下げる機会が減っていたようだ。

 プライドが高くなっていたのだろうか。

 謝罪することに慣れていないって、エリィさんの事をとやかく言えないな。


「お願いします!」


 エリィさんの声が聞こえる。


 庭の雑草の揺らめきだけが視界に映る。

 エリュセンス先生の表情が見えないことが、少し恐怖ではあった。


「私は……間違っていたのだろうな」

「……え?」


 ゆっくりと顔を上げる。


「娘を護ってくれたこと、本当に感謝する。そして申し訳なかった。娘のことも、私がしたことも」


 エリュセンス先生は深々と頭を下げていた。


「……その上で、厚かましい願いではあるのだが、どうか、娘の罪を償わせてやってほしい」


 俺がきょとん、としていたからだろうか。

 彼は時間をおいて、言葉を繋げるように……。


「娘を、よろしく頼む……!」


 そう言って、エリュセンス先生は俺たちにお辞儀した。


 俺とエリィさんは顔を合わせた。


「「ありがとうございます!」」


□□□


 ロウという青年と、一人娘のエリィ。

 エリュセンスは、彼らの背中が見えなくなっても、門を見続けていた。


「娘の成長に気付かないとは、私はどうしようもない父親だな」


 誰に対してでもなく呟く。


「娘も家を出た。さて、これからどうするかな……」


 返事はどこからも帰ってこない。

 それでも彼は続ける。


「またイチから勉強して、本を書いて、娘を間接的にサポートする……というのも、悪くないかもしれないな」


 夕焼け空はほとんど夜空に隠れた。

 やがて真っ暗になるまで、彼は黙って見続けた。

 星々の小さな輝きは、彼にとって、眩しく温かいものに感じられた。


□□□


 王都に着いた俺たちは、アルドリヤへと足を運ぶ。

 店に入り、店主に事の顛末てんまつを伝えると。


「センちゃんも、やっと進めたようね」


 と頬を垂らして満面の笑みを浮かべていた。


「ところで。これ、売るの?」


 店主に差し出されたのは、売ろうとして置きっぱなしにしていた、エリュセンス先生の書いた本『我流・魔法の応用例』だった。


「ああ、売るのはやめます。やっぱ勿体ないと思って。あと――」


 横にいるエリィさんに視線を向けて。


「彼女が、父親の考えをじっくり読みたいと言うので」

「そう、じゃあ返すね」


 本は彼女が受け取った。

 彼女はしばらく本の表紙を眺めたあと、大事そうに抱いた。

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