1.自らを天才だと宣う天才(5)

 宿の八号室。

 宿であるという点を踏まえると許容すべきことなのかもしれないが、それにしたってこの部屋は狭い。

 横になったら足を伸ばすことすら叶わないベッドが部屋の約三分の一を占め、出入口からベッドまでの五十センチあるかも怪しいスペースだけは足のやり場として確保し、それ以外は隙間を埋めるように本棚を三つ設置してある。


 本棚には、古今東西の由緒正しい専門書から胡散臭い伝記まで雑多な書物が足を揃えて並んでいる。

 本棚を置ける数が限られている関係上、当然所持できる本にも限りがあるわけで、俺は苦肉の策として、見栄えを度外視した本棚の使い方を強いられている。

 具体的には、ずらりと敷き詰めた本の上に平積みしている。


 いっそベッドを無くしてさらに本棚を増やそうかと計画した時期もあったが、依頼を終えて疲れた身体を床に寝かせるというのは流石にしんどいものがあるという理由から実現はしなかった。


 そんな必要最低限のスペースに限界まで物を置いたこの部屋は、来客なんて想定していない。

 もしも、誰か一人でも追加で部屋に入ったものなら、その窮屈具合に客人はすぐに部屋を飛び出して、この世界の広さを改めて実感することだろう。

 今まではそんななんて気にする必要はなかったのだが、今日、突然その時が来てしまった。


 端的に言おう。

 今からこの部屋に弟子がやってくる。


□□□


「私にありったけの知識を教えてください!」


 宿の庭で夜風混じりに告白された、彼女の自己研鑽への熱意と貪欲さに圧倒され、悩む余地すらなく二つ返事で了承した俺だったが。


「具体的に何を教えたらいいんだ?」


 という非常に根本的な問題につまずいた。


 弟子とは何か。

 言葉的に辞書的に馬鹿正直に答えるなら、師に教えを受ける人のことだと言えるだろう。


 師匠とは何か。

 先程の弟子の意味と照らし合わせると、を教える人、と考えるのが自然だ。


 そんなことは分かっている。

 いま俺は、そんな上っ面の意味を知りたいわけじゃない。

 何かを教える人が師匠だとして、そのがなんなのかを知りたいんだ。


 知識を教えろ、と彼女は言った。

 前後の発言をくみ取ると、冒険者としてトラブル解決に必要な知識を身に着けたいという事なのは分かる。

 けれど、いざ教えようとすると、何をどこから教えればいいものか悩んでしまう。


 例えば、自分が彼女のように知識を欲したとしたら。

 考えようとしてみるが、あまりイメージができない。

 振り返ると、自分は村に居た頃から本と添い寝をするような人間だった。

 知識を得ることは、呼吸に近い感覚なのかもしれない。


 ん?

 ということは、本を読む習慣さえあれば……そうか。


「エリィさん」

「なんですか、師匠」

「俺の部屋にきてほしい」


 それまでやる気に満ち溢れているようだった彼女の顔が、少し曇った。


「……なぜ?」


 訝しげに問う彼女。


「俺はこれまで沢山の本に教わってきた。エリィさんも、本に教わるといいかもしれない。俺の部屋には本が多いし」

「あ、あー。そういうことですか」


 彼女はそっかそっか、ですよね、としきりに言って、手でパタパタと顔を扇いだ。


 そうして庭から宿に戻り、俺の部屋である八号室の前までやってきた。

 ドアを開けると、エリィさんは好奇心からか、部屋に顔を突っ込む。


「わぁ、すごい本と……本が」


 本とベッドしかない部屋を見た時の、これ以上ないくらい的確な感想だと思った。

 俺は慣れ親しんだ部屋に入り、本棚から数冊をひょいと抜き取る。


 オクスチュード著『一般魔法概論』。

 ワドラテ著『愛しい魔物の殺め方』。


 彼女がどのレベルの知識まで知っていて、どのレベルから知らないのか。

 それが分からないから、とりあえず入門書と呼ぶに相応しい二冊を選んだ。


「『一般魔法概論』はタイトルの通り、一般魔法の仕組みについて大まかに書いてある。世に出てる魔法理論に関する本は、大体この本を読んでる前提で書かれているから、完璧に頭に入れてね」


 三百ページほどの『一般魔法概論』をエリィさんに「どうぞ」と渡す。


「あと『愛しい魔物の殺め方』。これはタイトルで損してるけど、内容は超一級。魔物の生態や弱点の探り方など、魔物と戦う際の基本的な考え方や技術を分かりやすく説明している優れた本だ」


 二百ページほどの『愛しい魔物の殺め方』を彼女に「これも」と渡す。


 合計五百ページ越えの重さに彼女は苦笑いしながら、ちょっと床に置きます、と言って、そして『一般魔法概論』を床に置いたまま開いて読み始めた。


 俺はというと、今日一日色んなことがあって疲れたので、本棚から何か面白いものでも探して、それを読みながら寝ようと思った。

 そうして本棚を眺めていると「あの本を読み終わったら次はこれかな」とか「その前にこれを軽く見るだけでも理解のしやすさが変わるか?」とか、いつの間にか師匠としての視点で本を探していることに気付いた。


 案外俺も乗り気なのだろうか。


 しばらく悩んで、ようやく一冊の本を取ってベッドで横になる。

 その時、あることに気付く。

 いや、正確には先程から気付いてはいた。


 エリィさんが『一般魔法概論』をまだ床で読んでいたのだ。

 俺としては、それ持ち帰っていいから自分の宿でゆっくり読むといいよ、くらいの気持ちだったのだが、まさか、読破するまで帰らないつもりなのだろうか。


「もうとっくに日が暮れてるし、帰ったら?」と口から言葉がこぼれかけたのだが、あまりにも彼女が真剣に熱中してその本を読んでいたので、俺は開きかけた口を閉じて本を開いた。


 自分の薦めた本をあんなに熱心に読んでもらえると悪い気はしない。

 手に持った本の文字の流れを追いながら、やがて瞳が閉じる時。

 近くから聞こえるページをめくる音が、子守唄のようで心地よかった。

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