第85話 妖精の国

 森の向こうに妖精の国があると聞いて、私たちはそこへ向かっていた。

 ロウの後ろを歩いていく。

 周囲は静かで、鳥のさえずりと木々のざわめきだけが聞こえる。


 肌がチクチクと痛むのは、妖精の国が近くなってきた証拠。侵入を阻むように、強力な結界が張られているのだろう。

 妖精リアは、私の緊張とは真逆に、嬉しそうな顔で飛んでいた。


「ふふふ〜、楽しみね! 私、妖精の国に行けるなんて初めてよ。ご主人さまと一緒に行けるなんて、本当に嬉しいわ!」


 妖精の国は、彼女にしてみれば聖地のようなものだろうか。


「そうね。これもロウが妖精王から絶大な信頼を置かれているからよ。彼に感謝しないと」


「そうだったわね」


 私とリアが視線を送ると、ロウが照れたように頭をかいた。


「俺が特別なわけじゃない。迷子になった、妖精王の娘を探す手伝いをしただけで……」


 そうは言っても、私たちがこうして妖精の国に行けるのも、ひとえにロウのおかげだ。

 人間の立ち入りが固く禁じているはずの場所なのに、妖精王自らが彼に対し、近くに来たときは顔を見せてほしいと言ったらしい。


「本当にロウには感謝しなくちゃいけないわね」

「ふふ、そうね」


 私の言葉に、リアも同意する。

 ロウが結界に手を触れると、空間がぐにゃりと曲がった。

 すると、私たちを歓迎するかのように行手を塞いでいた木々が消えて、先へ続く細道が現れた。


「妖精の仲間が来たわ!」


 リアが見つめる先に、数名の妖精たちが姿を現した。

 妖精たちはきらきらと羽を輝かせながら、私たちの前を飛び、森の中の目印となる花々や木々を示しながら、妖精王のもとへと案内していく。


 私たちは彼らの案内に従い、慎重に歩き進めた。


 森を抜けると、目の前には広大な花畑が広がっていた。黄、赤、白、ピンク、紫、青。色鮮やかな花が咲き乱れ、風で花弁が舞う。


「うわぁ……」


 見事な景色に、気の遠くなる感じがした。

 

「やあ、よく来たね。ロウ」


 柔らかな衣擦れの音がした。

 レタスグリーン色の長髪の男性が現れる。

 圧倒的な妖精の力の気配。彼が妖精王だろうか。


「お久しぶりです、妖精王」


 ロウはその名を呼び、親しげに握手を交わす。

 そして、妖精王は私たちへと視線を移した。


「リア。それに、人間の娘も一緒か。ようこそ」

「お初にお目にかかります。妖精王」


 私が挨拶をすると、彼は優しく微笑んだ。

 

「私はこの森一帯を治める妖精の王だ。君たちのことは聞いているよ」

 

「光栄です……」


 私は緊張しながら返事をした。


 と、妖精王と同じレタスグリーン色の髪の少女が、花畑の向こうから勢いよく駆け寄ってきた。彼女の長い髪は風に舞い、瞳は深いエメラルドグリーンで、人形のように整った顔には無邪気な笑みを浮かべている。


「ロウ! あなたが来るのをずっと待っていたわ!」


 彼女はロウの腕を取り、そのまま離れようとしない。


「前に会ったときは少年って感じだったけれど、今は大人の男性になって、ますます素敵!」


 妖精王の娘なのだろうか。彼女は頬を染めながら、ロウに熱い視線を向けた。


「ディディ、ロウが困っているだろう。離れなさい」


 妖精王にそう言われ、ディディと呼ばれた少女は残念そうにロウから手を離した。


「ごめんなさい。久しぶりに会えたから、つい……」


 ロウは困ったように微笑んだ。

 彼は人間だけでなく妖精にもモテる……。

 

「ロウは、妖精王の娘さんに気に入られているみたいね」

 

 私の耳打ちにリアも頷いた。

 ピリッとする視線を感じて顔を向けると、鋭い目をした妖精王の娘がこちらを睨んでいた。

 

「ロウが来てくれるのは嬉しいけれど……。どうして人間の娘が一緒に?」


「紹介するよ。こちらはロザリー。俺の旅の仲間で恋人だ」


 ロウの言葉を合図に、私は妖精王とその娘に自己紹介をした。


「ロザリーです。よろしくお願いします」


 妖精王が何かを言うよりも早く、その娘のディディが反応した。


「……その、ロザリーって女が恋人って嘘よね? だって、私にまた会いに来るって言ってくれたじゃない!」


 ディディが叫んだ途端、花畑から強い風が吹き荒れた。


「あのとき、『また来る』と言ったのは、困りごとがあればいつでも助けに行くという意味で……」


 ロウはたじたじとしながらも、ディディにそう言った。

 しかし、ディディには聞く気がないようだ。


「そのロザリーとかいう女は追い出して、ここで暮らしましょうよ。体の老化も止めることができるし、ずっと若いままでいられるわ!」


 と、ロウに詰め寄っている。


「ディディ、落ち着きなさい」


 妖精王は娘の肩に手を置き、なだめた。


「ロウが困っているだろう」

「だって……」


 ディディは不満そうに唇をとがらせた。


「ディディ。俺はここにずっといることはできない。愛している人がいるからだ」


 ロウがはっきりとそう言うと、ディディの顔から笑みが消えた。


「それは……一緒にいるロザリーとかいう女のこと?」


 ロウは静かに頷いた。


「そうだ」


 ディディは涙をためながらロウを見つめた。


「どうして……私ではないの? 人間と結ばれるなんて、そんな……」

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