ダエラン ~王都の影~
田中満
世界との出会い
第1話 目覚め
頭が痛い。寒い。頬にべっとりと臭い物が張り付いている。
リョウがこんな目覚め方をした経験はこれまでにもあった。職場の飲み会で班長から勧められるままに飲み過ぎた先月がそうだ。途中から記憶が無く、目を開けたらズボンだけ脱いだ状態で玄関に横たわっていた。真冬のボロアパートだったこともあり、非常に寒かったのと、いつの間にか戻していた数々のおつまみがやたらと臭かった。その時は脳内で小人たちが鎚を振るっているんじゃないかと、そう思うようなリズミカルな鈍痛が寄せては返す波の様だったが、今回はもっとピンポイントでこめかみの辺りが痛かった。
リョウが呻きながら目を開けると、どうやら冷たい床の上に転がっているようで、目の前に手を伸ばせば届く石畳の壁がある。空気が湿気を帯びているからか、壁には何かぬめりのある物が至る所にこびり付いており、リョウの背後で揺らめいている光源を反射している。体の下には酷い匂いのする
こめかみに手をやるとかさぶたの様な物に触れた。これで頭痛の正体も判明した。後はここがどこで、なぜ自分がこんな状態で寝転がっていて、いったい誰の笑えない冗談なのかさえ分かれば万事解決と言っても良い。出来る事を一つずつやろう。半ばぼうっとしながらそう考えるとリョウは壁に
数歩先に錆のような跡がある鉄格子と、その向こうの壁に設置されている松明が目に入る。随分と手の込んだドッキリ、なのか?今のご時世に松明って、こだわり方が半端ないなとリョウは少しだけ感心した。それにしても素っ裸にひん剥かれているのも、頭に血のりのような物が付いているのもやり過ぎだ。誰が仕掛けたのか知らないが、後で損害賠償を請求するのも選択肢に入れるしかない。そう感じながらリョウは鉄格子に近づいて左右に伸びる廊下の奥を覗こうとした。等間隔で松明が立てかけられている廊下の壁は見える限り続いている。
「だ、誰か、げほっ、誰かいないのか?」
彼が声を出すと喉がひり付いた。気のせいか出てきた言葉も耳慣れない物だった。自分は確かに「誰かいないのか」と言ったはずなのに、耳にはなんだかチンプンカンプンな音の羅列が聞こえてきた気がして、リョウはもう一度呼んでみることにした。
「おーい、誰かぁ!誰かいないのか!?寒いし頭が痛いからもう、もう……」
「もう良いから出て来いよ」と言いかけてリョウは口をつぐんだ。気のせいじゃない。確かに今までに聞いたことのない言葉がリョウの口から発せられていた。寒さも、自身が見た事のない場所に裸で立っている事も、全部忘れそうになる衝撃であった。頭を打ったせいで喋れなくなったのか?人が来たら何て言えば良いのだ?通じるのか?自分は一体どうなっている?矢継ぎ早に頭を駆け巡り始めた不安に駆られるようにしてリョウは鉄格子を指が白くなるまで掴んで揺さぶった。
「何なんだよ!出てこいよ!ふざけるな!!」
そう叫ぶリョウは耳慣れないのに間違いなく自分が発している言葉を聞いて完全にパニックに陥った。鉄格子を揺らし、叫び、また揺らしてまた叫ぶ。直ぐに喉が枯れて痛くなってきたがやめない。やめられないのである。
言葉にもならないゼェゼェと言う音しか口から出なくなると、やっとリョウは少し落ち着きを取り戻し始めた。動いたおかげで寒さを和らげることはできたが、依然として裸でいる事を忘れさせない冷たい空気と物言わぬ壁、あざ笑うように揺らめく松明の炎と、とても抜けられない間隔で床から天井に伸びている鉄格子だけが彼のお供だった。
少しでも暖を取ろうと両手をわきの下に入れ、自分を抱え込むようにしながらリョウは鉄格子の前を行ったり来たりし始めた。これだけ暴れても誰も来なかった。本当にドッキリなのか?こんな場所を用意して、怪我まで負わせて、裸にするのだって人権侵害じゃないのか?何故か日本語が喋れなくなっている事を置いておいても流石におかしいだろうとリョウは考えてハッと思い出した。自分が生まれた頃か、その少し前かに部屋に素っ裸で閉じ込められて生活させられ、その様子を面白おかしく放送された男の話を。視聴率が取れるならテレビは何だってやりかねない。きっとそうだ。これはトオル辺りが仕掛けた質の悪いイタズラで、今頃はどこかに仕掛けられたカメラでこっちを見ながら笑っているんだ、奴ら。言葉だって何かの薬の作用だ。ヘリウムだったか、少し吸い込むと声がやたらと高くなるガス?きっとあんな感じのものだ。それならもう見抜いているってアピールをすれば良い。
一応の納得ができる説明を考え付いたリョウはトオル達が見ている(であろう)カメラを見つけることにした。そこに向かって身振り手振りでドッキリだとばれている事を伝えれば良い。そうと決まれば行動あるのみ。まずは自分がいるこの監房のような部屋の中から始める事に決めたリョウは、茣蓙らしきものを引っ繰り返し、壁を手が届く所から床まで隈なく指を這わせてカメラのレンズっぽい物を探した。石同士の継ぎ目は荒く、小さなレンズなら隠せるんじゃないかとも感じたが、どれだけ指でなぞっても何も引っかからなかった。鉄格子も舐めるように調べたがやはり何も出てこない。一通り探し終え、部屋の中には無いと確信したリョウが次に目を向けたのが鉄格子の外、廊下と目の前にある松明だ。松明の後ろか横がカメラを隠すのに一番良い場所じゃないか?逆光にもならないし光量をフィルターで調節すれば良い。カメラがあるとすればもうそこしかない。天井にはジャンプしても手が届かなかったが、こういった類の画を喜ぶ輩はきっと正面から裸であたふたする様子を見たいだろう。そうなると頭のてっぺんくらいしか見えない位置にカメラを設置したりはしない。しないはずだ。何だか仮定ばかりで不安だがきっとそうだ。そう考えるとリョウは腕を腰にあてて鉄格子の前に立った。
いい加減に腹も立ってきていた。パントマイムは得意では無いし、何なら見たことも無かったが、思いつく限りの身振り手振りでリョウは「こんなふざけた真似はさっさとやめろ、でないとスタッフも、ディレクターも、依頼した張本人も、全員まともに座れないくらいメッタメッタにヤッてやるからな」と言う自分の気持ちを表現してみせた。ひとしきり動き終わると手を胸で組んで松明の辺りを睨みつける。我ながら腰の突き上げ方に迫力があったな、こっちは堪忍袋の緒が切れているんだ、ってことは伝わっただろう、さぁ、出てこいよ。さっさと出てこいよ。頭の中で見えない相手を呼びながらリョウは目の前を睨み続けた。
ふと松明の炎が大きく揺れると、廊下の奥の方から何かが軋む音と重い物が床の上を引きずられる音がしてきた。人の声もかすかに聞こえてくる。それ、見た事か。ちょっと本気で怒ってみせると出てきたぞ、ふざけた奴らが。敢えて視線を音のする方に向けずにリョウは仕掛け人たちが前に来るのをじっと待つことにした。
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