第2章「魅入られし翼」
第12話 輸送業務、これが自警団の普段のお仕事です
身体が目覚め始めるのを感じる。
まどろみの中、不思議な渇望感を感じながら、ゆっくり目を覚ます。
目覚めはすこぶる良い。
昨日たっぷりと癒して貰っただけあって不調などは微塵も感じない。
ただ、……もやもやしたものは燻っていた。有り体にいえば朝の生理現象だ。もちろん普通にあることなのだが、今朝のそれは少々たちが悪い。自分で処理してしまわないと苛々してしまいそうな、そんな根深さを感じる。
「お頼み」を受けて貰った直後に……こんなことになっていては、彼女たちに申し訳ない。そう思い、敢えて生理を無視して洗面台に向かう。冷水を流し顔を洗い、そのまま頭からも被って気持ちを冷ますことにする。
「ふぅ~…」
うん、だいぶ落ち着いた。
温水タンクを確認する。
いつもならここで、残った湯を全て浴槽に流し込み、新しい湯を補充するのだが、入浴にはとても適さない温度にまで下がってしまっている。仕方なく、排出バルブを洗浄水槽に切り替え、洗濯用水として使うタンクへ送り込む。残った分は切り替えレバーを回して「散水」というところへ繋ぐ。これは、庭や畑、家の雨樋等に繋がっていて、残った水の有効利用ができるのだ。
さて、軽く飯を済ませて今日の作業を考えるとしようか。
そう思ったが、夕べ食べたものを思い出して、大したものが無かったことを思い出す。
朝の食事は大事だ。
水で膨らむ糧食ブロックでの誤魔化しは、何度もすることではないだろう。朝の散歩と食料調達を兼ねて、向かいの風呂小屋まで行ってみることにする。
風呂小屋(湯場とも言う)というのは大抵、交換場や集会場、その他、地域の利便を図るためのあれこれが併設されている事が多い。
家の向かいにある、この湯場は、そんな中でも特に小規模だが、屋根だけの簡易集会場と、交換場が併設されている。交換場とは、市場と無人販売の機能を合体させて小型化したようなものだ。簡易調理場もあり、立ち寄った人が自由に使えるようになっている。
最低限のインフラが整っている地域なので、据え置き型の情報端末も設置してあるが、掘っ立て小屋ふうの原始的な佇まいの中で、最新式の通信情報端末が置いてあるのは、割と不思議な景色だ。
施設の一角には、無人販売コーナーが設けてあるので、それが目当てだ。
湯場の屋根をくぐると、3人ほど妙齢の人妻たちが朝の談笑に興じていた。近所に住む人たちだ。
その中の一人が僕に気づいて声をかけてきた。
「あらおはよう、早いねぇ。」
僕も、おはようございます、と返す。
続けて別な人妻が、
「何か買いに来たのかい?」
と、聞いてくるので、
「はぁ、……食べ物なにも残ってなくて。ここ来たら、ミルクとか残ってるかなー、って…。」
それを聞いた人妻たちは、あっはっはー!と大笑いして、手をぱたぱたと振る。
「だったら、もっと早く来なきゃだめだよ~」
「残ってたのなんて見たこと無いよー」
「これ、朝の入荷を待ち構えてて買っていく人もいるからねぇ」
等と口々に言う。
小さな交換場で、品揃えも数も大したことの無いものだが、回転率は良いようだ。常連さんも多いのだろう。
「あらら、そうなんですね。……この前買えたから、いつもあるものだと思ってました。」
そう言うと一人の人妻が、
「絞り始めの時期だと乳量が安定しないからねぇ。そのときは、たまたま多く卸してたんだろうね。」
そう言って、売り物用より少し大きな瓶に入った白い液体を箱から取り出して、差し出してきた。
「ほら、飲みたいんだったらこれあげるよ。自分用に残しておいたやつだけど。」
これはありがたい。
普段からミルクをここに並べているのは、どうやらこの人妻だったようだ。
「ほんとですか、ありがとうございます」
僕は瓶を受けとり、自分の端末を差し出そうとする。卸しているなら、そこにID表示があるはずだ。それを読み取り金額を入力すれば彼女にミールが支払われる、という仕組みだ。
しかしその人妻は、
「あ、お金なんかいいよ~、飲んでちょうだい。」
そう言って、受け取りを断ってきた。
すると、
「腹減ってるんだろう?これも食べるかい?」
そう言って別な人妻が、紙包みの穀物パンを取り出した。
「さっきみんなで頂いてたの、これも美味しいわよ」
またもう一人が、ドライフルーツを取り出して持たせてくれた。
次々に色んな食べ物が手渡されてくる。田舎の特徴だが、みんな何かにつけて食べ物を分けてくれるのだ。思わぬことで、ご機嫌な朝食が出来上がってしまった。地元人ならではだと思う。
「すみません、…色々と。」
そう言うと、一人が
「若いんだから、一杯食べて元気付けて頑張ってくれなきゃね~!」
そう言って僕のお尻を、ぺちん!と叩く。
あははは、とみんなが笑った。
まあ、……そう言う意味なのだろう。
しかし、冗談めかして言ってはいるが、この人たちは全女性人妻化政策以前の世代のはずだ。
つまり、政策による人工授精でも卵子提供でもなく、文字通り自然交配で母になってきた世代なのだ。
苦しい状況の中、それでも人間たらんと命を燃やし、自力で生き抜いてきた人たちだ、……やはり、面構えが違う。
そんな人たちから見たら、今の世間の男どもの体たらくは見るに耐えない情けなさに違いない。
人が苦手な僕だが、この世代の人たちには不思議とそんな抵抗を感じないのだ。不思議な安心感というか、……年上の女性に対する潜在的な甘えでもあるのだろうか。
しかし、性的な話にまで展開されると、さすがにいつもの苦手が顔を出しそうになる。
……ここはお
「そ、それじゃ、これありがとうございました…!」
そう言って、僕はそそくさと立ち去ろうとしたのだが、
「あ、逃がしちゃうよ?」
「ちょっと待って」
「ああ、そうだった」
口々に呼び止めてくる。
先程のミルクの人妻が、少し真面目な顔で言ってきた。
「ミルク代、ってわけじゃないよ。別で、一つ仕事頼まれてくれない?」
仕事?
飛ばしのことだろうか。
うなずいて、続きを促した。
「うちの作業車、買い換えることになってね、隣街まで運んで貰えないかな?」
輸送か──、それならお手のものだ。
「あ、もちろん良いですよ。期日とか予定はいつにします?」
「すぐにでも、……とにかく早い方がいいね。次の車はもう向こうで権利を買ってあるのよ、あとは持っていって引渡し手続きするだけだから。」
なるほど。それならば車両と、手続きのために、この人かファミリーの誰かを一人乗せていけばいいだろう。
しかし……、と考え、
「自走して行くんじゃ、だめだったんですか?」
思っていた疑問を伝えてみる。
すると人妻は、待ってましたとばかりに、勢い込んで話し出す。
「それがさ!……うちの人ったら権利切れてんの知らずに乗ってたのよ!で、それならすぐ手続き済ませりゃいいのに、気付いてからもしばらく乗ってたのよ。「畑の中だから大丈夫だ!」とか言っててさ!大丈夫なわけないのに……、追加料金だってかかるし!!」
あー、それは確かに大変だ。
公道に出なければ違反で罰則を受けることはないかもしれない。しかし、車両本体の権利は別だ。
我々一族の社会では、車両は基本的に返却するものなのだ。所有権は個人にあるがそれは有限の期間限定で、それを過ぎたら一旦返却する。
限りある資源とリソースを有効に活用するため、車両のメインフレームは全て厳格に管理されているのだ。使用後はきちんと整備修繕され、次の所有者へ引き渡される。基本的に使い潰すということは許されない。
「──分かりました、それじゃ、飯食ったら早速……、あ、いや2時間後くらい……かな。」
話しながら、僕は手元の端末を操作する。
「昼前にはお邪魔して、大きさと重量チェックしますので。それから、午後一番で出発の予定でいいでしょうか?」
組合の統合管理システムに入り、機体の空き状況を確認しておかなければならない。僕の所属している分団の機体は数が少ないのだ。誰かが使用予約をしているなら、その機体は使えないことになる。
その少ない中でも、今回の仕事に使えそうなのは、重輸送と6式2型だけだ。これが両方使えないなら他の分団から借りてこないといけない。
端末から使用状況を確認すると、我が第四分団の保有する小型の飛行舟は全部、使用中か予約が入っている。便利使いされているのだろう。
僕は、残っている重輸送機と6式を両方、午後からの予約を入れる。実際は、どちらか一方しか使用しない訳なので、予約の仕方としては
「荷物」を確認次第、使わない方をキャンセル、──今回はこれで行かせてもらおう。
……よし、これで機体は押さえた。
あとは、運ぶ車両の大きさで、どっちを使うか。早めに判断した方が周りに迷惑が少ないだろう。
人妻は頷いて、肯定の意を示す。
「ああ、いいよ。早い分にはいつでも。……えーっと、うちの畑の場所分かるかい?」
詳しい場所を聞いて、確認しておく。輸送する車も、畑に置いてあるそうだ。
「飛行舟持ってきたら、畑に直接降りても大丈夫ですかね?」
「うん大丈夫。あそこは、もう刈取り終わってるから。」
───よし、これで必要な聞き取りは完了だ。
「じゃあ、午前中に車の確認させてもらいますね。午後一番の積込の時に、同行者も乗ってもらいますから。」
「悪いね、宜しく頼むわね」
そう言ってやり取りを終え、リヒトは家に戻った。
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