F.D.外伝 自警団第四分団飛行隊 ~ゆめうつつ~
天川
第1章「孤独の翼」
第1話 牧草畑でつかまえて
この地方では、男は空を飛ぶことに魅入られる。
具体的にどのくらいかって?
女と交わるよりも飛ぶことを選ぶ、……それくらいだ。
──後ろから
最近耳にするようになった、地元で荒っぽい運転をする奴だ。
偶然だが、僕もこの男の噂を知っていた。
まともに仕事にも着かず、空を飛ぶこともできずに、車を走らせては周りを煽り散らす……。
そんなことで日々を紛らせている、そんな男だという。
その男の車は、僕の後ろにぴたりと近寄ってくる。
だが、……僕は慌てない。
緩やかに車を加速させながら、車の後部に備えてある小さな可動翼を調整する。
速度だけなら向こうの方が上だろう。
……だがそれだけだ。
カーブを抜け、後ろの車は直線で追い越しにかかろうとしている。
だが僕は付き合わない。
身体に浮遊感を感じる。……風に乗って車が浮く兆しを感じる。
僕は、軽くハンドルを手前に引く。操縦桿のイメージで、車に意思を伝える。
当然ながら車のハンドルは前後には動かない。だが、意思の力は車の隅々まで行き渡り、その構造の細部までをも仔細に身体に伝えてくる。
僕は、意思に力を込める。
すると、……ふわりと車体は浮き上がる。
──煽っていた、奴の驚いた顔が見える。
僕はそのまま力強く飛び立つ。
車はぐんぐん上昇する。
村の景色が眼下に広がる、高度は300ftくらいだろうか。
翼も計器もない──、ただの車を技術と意思の力だけで「飛ばして」いる。
──僕には、それができる。
空を飛ぶことで気持ちが解放され、高揚感を感じる。
高く、速く……
空を飛ぶことは、何よりも気高く心地よい。
僕ら一族の、魂に刻まれているかのような、根源的な喜びを感じる。
だけど──、こうじゃない。
速度が少し速い……。でも、これくらい速くないと揚力が出せない。
空を飛ぶなどあり得ない、ただの車を無理矢理飛ばしている。
飛ぶことは、気持ちがいい。
身体に掛かる、旋回荷重が心地よい。
だけど、……こういうんじゃない。
もともと僕は、速いのも高いのも苦手だった。いや、今だってどちらかと言えば、苦手なはずだ。
だけど飛ぶことをやめられない……。飛ぶことは恐怖だが、同時に快感なのだ。
気持ち良さが勝ってしまうのだ。
そしていつの頃からか、僕は恐怖のことを忘れてしまった。
飛ぶことに、魅入られている──
つまりそういうことだ。
速度も高度も苦手な僕が、どういうわけか他の人より飛ぶことには優れていた。
まるでお伽話のようだが、……僕は飛ぶこと以外は、平凡で人付き合いが大の苦手だ。
飛ぶことの他に、貢献できることは殆ど無いといっていいだろう。
だがそれでいい。
役に立てる場所があるなら、僕はそこで生きていける。
空が飛べるなら、他に欲しいものはそれほどなかった。
……………
昨日で仕事も終わり、出張先を早朝に出発して地元へようやく帰ってきたところだ。
太陽の位置は、頂点から少し傾いたくらい……そんな時間だ。
家に戻って休むにはまだ早いが、さりとて……なにかをするには今からでは時間が足りないし、段取りもできていない。
しょうがないので少し遠回りしつつ、本業の自警団の屯所に寄って、飛行舟に乗って時間を過ごそうか。
……そう考えながら、故郷の村に差し掛かったところで、さっきの奴に絡まれた。
仕事の疲れと、地元に戻ってきた安心感と、間の悪い遭遇と……そんなあれこれと絡まった気持ちを吹き飛ばしたい気持ちで、衝動的に「飛ばし」てしまったのだ。
衝動に任せて能力を振るう……あまりいい振る舞いではないだろう。さっきの奴と同次元になってしまったような後悔が生じ、空を飛んでいるのに気分を重くしてしまう。
僕は、高度を下げて森の木の梢のすれすれを飛ぶ。
このくらいの高度でゆっくり飛ぶのがいいのだが、あいにく今は翼のない車だ。速度を落としたらたちまち揚力を失う。
思わずため息をつく。
衝動に任せて、森をひとつ飛び越えてしまったため、大雑把に考えていた帰宅ルートがさらにめちゃくちゃになってしまった。村内でもあまり足を運ばない方向に来てしまったのだ。
どこか降りられるところを探さなければ……
そう思った矢先、
──ぐらり
車が揺れ、意思の制御を離れて高度を下げようとしている。
これは、まずい……!
飛行士の本能で、不時着できるところを瞬時に探し始める。
眼下に道路はあるが、道幅が狭い上に対向車がいる。時間的にも、高度的にも猶予は無い。すぐ脇の牧草地に下ろすしかない。……幸い地形は平坦だ。
ハンドルに意思の力を送り、再び『飛ばし』の能力を車の隅々まで行き渡らせる。弱々しいが、手応えが返ってきた。
車の着陸姿勢を整え、ゆっくり高度を下ろそうとする。牧草畑の真ん中で余裕を持って接地を始めようとする。視界の端……農地の隅に、農機搬入用の砂利道が見える。うまくそこまで届けば、そのまま自走して帰れる。
そう思った──のだが……。
少し速度が足りなかったようだ。予想したよりも惰性による滑走は短く、接地するとそのままがたがたと車は止まってしまった。幸い車にダメージは無さそうだ。
……畑の真ん中で止まってしまったが、長い牧草に車輪を取られなければ、このまま圃場の外へ脱出できるかも知れない。
自身と車の無事に感謝し、ひと息ついて周りを見回し現在地を頭の中で割り出す。大体の場所はわかっているが……問題は、この牧草地だ。私有地ならば、少々……よろしくない。
農業者以外にとって、牧草地などは空き地くらいの感覚でしかないだろうが、牧草は作物、牧草地は農地、どちらも立派な財産だ。無断で立ち入ったり傷つけたりしていいものではない。
下手に自分で車を動かすより、事情を話して牽引してもらった方が、地主とのトラブルが少ないだろう。
──そう思って、改めて車の機関を停止しようとすると……止めるまでもなく車の火が落ちている。起動スイッチを押してみると、エラー警告ランプが点った。
なんのことはない、燃料切れだったようだ……。
飛んでいる最中にガス欠を起こしてしまっていたのだ。これは飛行士にあるまじき失態である。疲れが、判断を鈍らせていたのだろう。
翼のあるものなら、それでも飛ばせる余地があるのだが、ガス欠の「車」が相手ではさすがの『飛ばし屋』でもどうにもならない。
さて、どうしよう。
歩いて帰るか、助けを呼ぶ……か。
いずれにしても、あまりいい状況ではない。
幸いなのは、今日これからの予定が全く無いことだ。時間はある、ゆっくり考えよう。
だが、ようやく湧いた楽観を胸にしながら車を降りようとすると、目眩のようなふらつきと、猛烈な倦怠感が襲ってきた───。
自分でも、これは無理だと思うほどの、強い不調。
仕事帰りで疲れているところに『飛ばし』の能力を使ったため、体力と精神力が尽きてしまっているのだ。
考えてみたら出張先でも大いに飛ばした、飛ばしまくったと言っていい。今回の出張は、そのための仕事だったからだ。この種の疲れは、自覚もないまま蓄積するので、気付いたときには既に動けなくなっていることもある。今が正にその状態だった。
困った──。
しばらく横になっていれば、いくらか回復するだろうか。
座席を倒し、目を閉じる。
深く息を吐いて、心を落ち着けようとする。
この有り様では、……今日中に家に帰ることができれば、御の字だな。
そう思って、僕はゆっくり目を開ける。
すると………フロントガラス越しの景色に、こちらを覗き込む顔があった。
───若い、人妻だ……。
上品な顔立ち、柔らかで豊満な身体。
大丈夫……? と表情だけで尋ねている。
あまり、大丈夫ではないかもしれないが、大騒ぎするほどでもない。しかし、こんな牧草地に車を不時着させておいて、大丈夫というわけにもいかないだろう。
くるくると手動の窓ハンドルを回し窓を開け、すみません……と言おうとしたところで、先に人妻の方から声をかけられた。
「動けないんでしょう?」
ああ、はい、……ガス欠で。
そうと言うと、人妻はふふっと笑って。
「ううん、あなたの方……」
……?
不思議に思い、改めて人妻の顔を見る。
瞳の奥の深いところから、なにかを感じる。
温かく……力強いものだ。
人妻は柔らかい物腰ながらも躊躇なく、窓から手を差し込んできて僕の手を握る。
「……あぁ、ほらやっぱり。思ったよりずっと足りないわ。」
ああ……、そうか。
この人は『癒し手』なのか。
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