第13話 京子と三日月

鬼萩おにはぎ・・・十一代目・・・


言い当てられた。

三日月の茶の素養を推測するのに、京子にはこの二つの言葉で十分であった。


「鬼萩」は、荒々しい肌目を持つ豪壮な白い萩焼のこと。

「十一代目」とは、萩焼の伝統的な窯を継承する家の十一代目のこと。

この窯元からは、人間国宝が輩出している。

山口県の日本海側には、江戸期に毛利本家の長州藩があった。

政庁の城が置かれた萩では、茶人好みの茶碗が数々焼かれていた。

いわゆる萩焼は元来、侘び寂びの素朴な土色の焼き物であった。

昭和に入り、その家(三輪休雪家みわきゅうせつけ)の十代目は藁灰釉薬わらばいゆうやくを使った白い萩焼を創生して新風を吹き込み人間国宝に認定された。

その弟の十一代目も人間国宝であり、兄の白い萩焼の技法を継承し、さらに豪快な作風を展開させた。

どっしりとした高台こうだいに岩のような碗本体が鎮座し、茶碗全体を豪雪のような白い釉薬が分厚く覆っている。

それが雪解けのように高台へと流れ落ち、陽を浴びた雪山の如き貫禄をたたえている。

手にした者は、その茶碗に神の手業てわざの奇跡を見るだろう。


その鬼萩の間違まごうこと無き一級品が、いま三日月の目の前にあるのである。

三日月の目は、茶碗に釘付けになった。

この鬼萩で茶を飲むことは、自然の息吹いぶきをそのまま体内に流し込むがごときである。

三日月の咽喉が、小さくゴクリと動いた。

「ありがとうございます、羅城門さん。茶をたしなまれるのですね。花岳寺さんはもちろんですが・・」

京子は、清美に目を向けた。

「は・・はい、東京の藤原院本家でのお茶席以来、久しぶりに拝見いたしました。相変わらず目から鱗が落ちるようなおさくですね・・」

清美が緊張したように言った。

「本当に眼から鱗が落ちたんですよ、ねぇ、キュッ・・花岳寺さん 」

三日月の言葉に、清美が顔を赤くした。

「・・・? 」

視力回復の事情をまだ知らない京子は、小首をかしげた。


納得いかないのが妹の都子であった。

・・なぜあんな女のために、最高級の鬼萩なんて使わせるのかしら。

いったい姉さんは何を考えてるの ・・・!?

そこまで思って、ハッとした。

京子の行動のすべてには、表裏おもてうらが無い。

まして幼少期からたしなんでいる茶に裏があってはならないと考えているのだろう。

それも、こちらから呼び付けた茶席なのだ。

京子は玄関先での応対で、三日月の素養の良さを感じ取っていた。

であればこそ、茶室へ上げたのである。

茶室に上げた以上は、持てる物の最上級を使うのが京子の礼法であった。


京子は落ち着いた所作で、しゃくすくった釜の湯で鬼萩の碗をゆっくりと温め終えると、あらためてなつめから茶杓で抹茶をふた掬い、茶碗の中へ落とした。

そして再び釜の湯を掬って、茶碗へ流し込み、茶筅ちゃせんの穂先で回した。

サ・・サッサッサッ・・

最初は乾いていた竹の茶筅の音が、柔らかく変化していく。

チャッチャッチャチャッ・・チャッチャッチャッチャッ・・・

高級な抹茶の粉と湯が、空気を含んで泡立ち、練られていく。

チャッチャッチャッチャッ・・チャッチャッチャッチャッ・・

なんと耳に心地よい音だろう・・


美しく端正な所作ですべてを呑み込んでしまうような京子の姿を見ていると、都子は自分の器の小ささを思い知らされるのだった。

この人が姉でよかった・・・

茶を練る心地よい音を聞いているうちに、都子は気分が落ち着いてきた。


三日月の膝の前に、スッと茶が置かれた。

白い鬼萩の中に、鮮やかな緑の池が泡立って揺れている。

三日月はそれをじっくりと眺めると、京子に向かって軽く頭を下げて言った。

「失礼ながら、私は廻し飲みの作法を存じ上げません」

京子は意外そうな顔をした。

都子は、口角を歪ませた。

「理由は・・我が家で代々嗜たしなんでおります流儀は・・」

三日月は、一息おいて言った。

織部おりべ流だからです」


「あ・・・」

清美は、織部流の名前は知っていた。

織部流とは、信長・秀吉に仕えた戦国武将・古田織部ふるたおりべの流派である。

茶の巨人・千利休が秀吉によって切腹に処されたあと、弟子の古田織部が茶の湯を取り仕切った。

織部の茶は、武家らしいビシッビシッとした切れの良い所作が特徴で、優美で格式の高い利休の流儀とは一線を画した。

関ヶ原において東軍に属した古田織部は重用され、二代将軍・秀忠にも茶の指南をしたが、大坂の陣において豊臣方に内通したとのとがで息子共々切腹の座に着いた。

「ひょうげもの」・・ひねくれ者を意味するあだ名の如く生きて、死んでいった。


清美は意外に思った。

織部の流儀は「武門の茶」として各地の大名家に伝えられた。

たしか三日月の家は宮廷に仕えるマッサージ師? ・・・の家系だと言っていたようだが・・宮廷を圧迫した武家の茶流とは思ってもみなかった。


「なるほど。織部流ならば、作法として廻し飲みはしませんものね。構いませんよ、羅城門さんの流儀で楽しんでいただければ」

京子は優しく許可した。

「では、私が頂戴したあと器は一度お返し申し上げますので、花岳寺さんの分は改めてお点前てまえいただきたく・・」

と、三日月が言ったところで清美がはさまった。

「私、羅城門さんから廻して頂きたいと存じます。お飲みになったらそのまま私の前に下さい。お願いいたします」

清美が三日月に微笑む。三日月も微笑み返す。

「なれば、このまま頂戴仕ちょうだいつかまつります」

そう言うと三日月はキュッと姿勢を正し、武家の流派らしくスッスッ・・と手際よく所作した。

そして茶碗を目線に戴いて軽く一礼。

スウッ・・と淀みなく咽喉に流し込んだ。

京子は、その見事な所作を見て思った。


・・やはり、この人は都子の言うような愚か者ではないわ。

茶を喫すれば、その者の全てがあらわになる。

のびのびとして美しいこの飲み姿・・・胸がくわね。


京子は嬉しそうに微笑んだ。

清美は、三日月の所作に感心した。

都子は、軽く唇を噛んだ。


「結構なお点前でした」

半分だけ茶を頂いた三日月は、また碗を目線にいただき、京子と軽く一礼を交わした。

そして、清美の膝の前に茶碗を置くと、清美とも軽く一礼を交わした。

そして清美は京子に一礼すると、型通りに茶を喫し終えた。


茶席はまだ続く。

都子が金蒔絵の黒漆の丸い入れ物を三日月と清美の前にそれぞれ置いた。

「ほぉ・・・」

蓋を開けると、これまた見事な練り物の春の和菓子が三種類入っていた。

和三盆のたおやかな甘い香りがふわりと茶室に立つ。

それで張り詰めていた茶室の空気がなごんだ。

三日月と清美は、用意されていた布巾を左手のひらに載せ、そこへ竹箸で菓子を一つ移し、胸の前で平たく削った小さな竹べらで菓子を割って口に運んだ。

あまりの美味しさに、清美も三日月も相好を崩した。

「姉さん・・いえ、生徒会長もいかがかしら。せっかくですし・・」

「そうね、私も頂こうかしら」

京子も肩の力を抜いた表情になって、都子に応えた。

お待ちになって、と言うと都子は隣の部屋から同じ菓子を持ってきた。

ただし、入れ物は三日月たちよりも簡素なものであった。

もてなす立場の亭主は、客人よりも目下めしたであるべきという京子の考えを、都子は理解していた。

都子は、自分の分は遠慮した。あくまで京子のサポートに徹している。


三日月たちは、美味しそうに二つ目の菓子に取り掛かっている。

おもむろに、京子が口を開いた。

「羅城門さんは、とても優秀だそうですね。講師の先生方の間で噂になってるようですよ。とくに日本史の先生が戦々恐々だとか」

それを聞いて、三日月は得意そうだ。

「まぁ、そうですね。日本史に関しては、爺さんから色々と聞いていますので。私の祖先が・・まぁ色々と当時の現場に関わってるらしくて・・・我が家の蔵には、当事の祖先の残した古文書が大量に保管してありますよ。いままで研究者の目に触れたことのない第一級の資料です。日本の歴史の裏側が赤裸々に記録されていましてね。それを読んでしまうと、学校の歴史の授業が馬鹿らしくなりますよ。日の目を見たら、日本史がひっくり返るんじゃないかしら」

それを聞いた都子が強く反応する。

「・・当時の現場って・・たとえば、なによ? 」

「ほほぅ、風紀委員長さんは歴女れきじょかしら」

「う・・うるさいわねっ」

歴女・・とっくに死語になった歴史マニアの女子のこと。

家柄もあるのだろうが、たしかに都子は日本史が大好きであった。

「そうねぇ・・本能寺の変とか、千利休切腹とか・・元禄赤穂げんろくあこう事件とか」

重大事件ばかりである。本当に三日月の祖先が関わっているのだろうか。

「ほかにも・・坂本竜馬さかもとりょうま暗殺とかね」

「は・・ハッタリよっ! 」

「本当だって。裏側でウチの祖先が少なからず関わってるらしいのよ。蔵の古文書に事件の内幕がはっきり書かれてるんだから。ふふふ、まさか光秀がねぇ・・まさか竜馬がねぇ・・・日本史って面白いわね。ふふふ」

ぐぬぬ・・都子は戸惑っていた。強く興味をかれるが・・・

「ふ・・ふん、あなたの言うことが本当なら、なにが目的でそんな事件に関わってきたのよ? 通り魔みたいな一族よね」

「あら、通り魔はひどいわね」

「わ・・私をからかってるだけでしょっ」

都子のひたいに血管が浮かぶ。

そんな妹を制するように、京子が静かに口を開いた。

「それについて、おうかがいしたいことがあるのだけれど」

ピクッと、三日月のまぶたが反応する。

「なんでしょうか」

京子と三日月の間の空気が、再び締まる。

「今日一日、都子と二人で藤原院家に残る名簿や名鑑をオンラインで調べてみたのだけれど、いくら検索をかけても「羅城門」という一族の名を見出すことが出来なかったの。歴史的な立場上、日本の氏族はすべからく把握している我が家の記録に無いなんて、とても不思議なんだけど・・失礼ながら、出自などお聞かせ願えるかしら? 」


そらきた。

当然、こうなるよねぇ・・調子こいてしゃべりすぎたかな・・


三日月は、少し考えてから言った。

「うーーーん・・・そうですねぇ・・記録に無いと言われても私にはどうにも。ウチの爺さんから聞いてる話では、平安初期からは公家くげだったとか」

「平安から公家になった・・? 」

「始祖は、奈良時代の人だったと聞いております」

ならば、藤原院家と同じぐらい古いではないか。

公家というなら記録に残っていてもいいはずなのだが・・・

「そのかたのお名前は? 」

「帝に仕えていた高僧だったそうですが・・・高僧かどうか怪しいものです」

たはは、と笑う三日月。なんとも勿体もったいつける。

「で、何て僧侶なのよ!? 」

都子がじれったそうに問う。

「それは・・」

「それは!? 」

「また次の機会ってことで」

「なによっ! 」

翻弄され、くやしそうにパシッと指先で軽く畳を叩いた。

「都子」

「す・・すみません」

京子に注意されて、都子は身をすくめた。












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