第10話 夜と朝

意識が飛びそうになりながら、三日月は清美の首筋のマッサージを続ける。

清美の感じている快感が、ほぼそのまま自分に返ってきて、さらに気持ちよくなりたくてマッサージをする。

何の因果か、三日月は発電などという能力を持って産まれて来たが、他人を気持ちよくすると自分も気持ちよくなるというのは「善果」であろう。


「あっあっあっあっ、あっあっあっあっ・・んんんんっ!! 」

清美が身をよじって歓喜のあえぎをもらす。

「くううっ・・んっんっ・・あっあっあっあっ・・!! 」

同時に三日月も喘ぎ始めた。

指先の電圧をさらに上げた。

首から後頭部にかけて凄まじい痺れが襲ってくる。

もはや快楽電圧と名づけてもいいだろう。

痛みはない・・・ひたすらに、ひたすらに気持ちのよい刺激と痺れ。

三日月は幸せだった。

こんなにも可愛い清美と、ベッドの上で感じて・・飛べる。

「花岳寺さん・・私、もう限界なの・・はぁはぁ・・一緒にイッて! 」

感極まった三日月の言葉に、清美は喘ぎながらコクリ、と小さく首を反応させた。


ビビビビビビ・・ビビビッ!!!!!


快楽電圧を上げたとたん、二人の背骨が快感にくだけた。

痺れが背骨から手足の指先・・それこそ髪の毛の一本一本の先まで走り抜けた。

清美は体のすべてが溶けて、パンッと飛び散ったように感じた。


「ああああああああああああああああああああああっ!! 」

「ああああああああああああああああああああああああああーーーーーーっ!! 」

意識だけが白い空間に放り出された。

それは清美も三日月も同じだった。

上も下も、右も左もわからない、白しか見えない世界。


その視界も、徐々に狭まっていき・・・・消えた。


・・・・ベッドの上には、汗だくの裸体が二つ。

うつ伏せの清美におおいかぶさるように動かなくなった三日月。

「はぁ・・はぁ・・・」

二人の熱い吐息が絡んで、静かになった部屋に響いていた。

お互いの体が、暖かかった・・・


清美が家に帰ったのは、夜7時を過ぎたころだった。

道一本挟んだお隣りさん同士だが、三日月が清美をきちんと送り届けた。

三日月の丁寧な挨拶に、清美の母がこれまた丁寧に応対してくれた。

いい家庭だと三日月は感じた。

むろん、マッサージのことは清美も黙っていた。

「羅城門さん、今日はありがとうございました。また明日学校でお会いしましょう」

そう言う清美の笑顔が明るく、軽やかだ。

三日月も笑顔で花岳寺邸を辞した。


門を出ると、三日月は右の手のひらを開いてマッサージの感触を思い出していた。

「この感触なら、そうねぇ・・明日の昼前・・11時ぐらいかなぁ・・」

そうぽそっとつぶやいた。

そして新市街地の方へ顔を向けると、道の先に光る商店街へ向かって歩き出した。

道端のあちこちから、あるいは屋敷地の林の奥から・・さらさら・・さらさら・・と

水が流れる音が聞こえてくる。

晩春のまろやかな夜気のなかに、ふんわりと涼しげな清水の香りが漂い、抜ける。

さすがは富士の名水の街だと思った。

眼を海に転ずれば、沖合いの海に漁船の漁り火が明滅している。

もうこの情景だけで、頭の中で美しいドビュッシーのピアノ曲が流れ始めた。

「フフーーンフーーン・・フフフーン・・」

口ずさむメロディーの如く、月の光が藤原の荘にやわらかく降りてくる。

三日月は、この街が好きになりかけていた。


清美はあらためて夕食をり、入浴してベッドに入った。

体の芯が熱いのは、湯上ゆあがりのせいだけではないだろう・・

マッサージの最中に真っ白な空間に意識が飛んだ。

思い出すのは、三日月の泣き顔だ。そして・・


・・・あの時、羅城門さんが私にキスしてくれた・・


裸で抱きしめられた感触が、たしかに体に残っている。

あれは夢だったのか・・清美はいまだに戸惑っている。


あらためて清美は布団の中でパジャマを脱いで、全裸になった。

ドキドキした。

そして、自分の肌のぬくもりに気がついた。

腕と乳房が重なる。太腿ふともも同士が重なる。

重なった部分の熱が肌を通して対流を始め、自分で体をゆっくりと温めていく。

とても心地よい。

三日月の肌のぬくもりを思い出した。

股間がキュン、とした。

心地がよいといえば、三日月のマッサージ・・・あの快感はなんだったのだろう。

清美とてもう子供ではない。性の快感の入口・・ぐらいは知っている。

でも三日月のマッサージの快感は、性のものとは違う。

あの時・・果てる寸前に目の前に宇宙が広がったように感じた。

なんて不思議な転校生・・・

清美は、三日月のことでもう頭の中が一杯になった。

すると、全身に重い眠気がのしかかってきた。

ゆっくりと眼を閉じた。

両眼球の奥から後頭部・首筋・両肩にかけて、じんわりと温かい。

微熱が眼球から肩へ、まるで道でつながっているような感覚があった。

今まで感じたことのない心地よい温かさが眼の奥から脳へ広がっていく。

清美はそのまま深い深い眠りの沼に沈んでいった・・・



翌朝6時。

ほうきを持つ藤原院都子の手は冷たい。

もうじき衣替えの季節だが、吹きさらしになっている丘の上の学院の空気は冷え切っていた。

都子は早朝徒歩で登校すると、毎日欠かすことなく校門をはじめ植え込み・校舎の中庭などを清掃して回っていた。

「あら、おはよう都子。今日も早いわね」

あらかた掃除を終え道具を片付けようと用具倉庫へ向かっていた都子に、姉の京子が声をかけた。

「おはよう、姉さん。あ・・いえ、生徒会長」

都子が軽く会釈えしゃくする。

「ふふ、始業時間ではないから姉さん、でいいわよ」

京子は、どこまでも真面目な都子に微笑んだ。

京子は少しカールのかかった黒髪を背中の真ん中あたりまで伸ばしている。

二重まぶたできりっとした、いかにも両家のお嬢様とわかる気品ある美少女だった。

妹の都子より性格的に余裕があるのか、ゆったりとした空気をまとい、周囲に緊張をいることはない。

とはいえ、一年生から生徒会長を務めたキャリアは、歩けば学院内の空気をはらった。


姉の京子は、じつは学院内に住んでいる。

仕事は生徒会長だけでなく、学院の事務も一部引き受けているために帰りが遅くなるからである。

学院の敷地の外れにある古い建物を改修させて、ずっとそこで寝食していた。

週に一度は妹の住む麓の旧市街地の旧邸へ帰って、食事など団欒だんらんを共にするのだが、いずれはこの学院の理事長に就任する身である。

ここに住むのは学院への愛着と、ここに骨をうずめるという覚悟の表明でもあった。


ともあれ、毎朝の学院内の見回りをかねての花壇の水遣りが、京子の一日の始まりである。

早朝に学院を掃除して回る都子とは、だいたいこの用具倉庫の前で出会うのである。

「そりゃぁ・・自分の家みたいなものなんだから綺麗にするのは当然でしょ。だれにも任せられないわよ」

都子は少し不機嫌そうに言った。

京子はそんな表情をする都子に、すまないという気持ちを持っていた。

東京の藤原院本家は、長女の摂子せつこがグループ企業もろともに継ぐのはすでに決定事項だ。

将来次女の京子が学院の理事長に納まれば、末妹の都子のポストはほぼないのである。

都子の不機嫌の原因はそこにあると思った京子だが、それは勘違いだった。

都子は、優秀できりっとした美しい姉をとても尊敬していた。

だが、毎朝の姿だけは好きになれなかっただけなのだ。

・・・寝不足気味なのか、少し眼が赤く、髪はところどころ寝癖が見える。

灰色の上下のジャージに濃い緑色のガウンにサンダル。右手に大きめのジョウロ。

なんとも冴えない。

京子は生活に緩急をつけられる性格で、始業時間までにはきちんと身なりを整えてくるが、融通のきかない都子にはそれが不満だった。

一日中、自分の尊敬する姉でいてほしかったのだ。


そして、もう一つの鬱憤は・・・あの転校生だった。

あんな害虫のような女が、自分たちが大切にしている学院に入ってきたことだけでも許しがたいが、あろうことかワケもわからず動きを封じられ、半裸にされて弄ばれた口惜くやしさは、一晩たっても拭えなかった。

もちろん、京子に体育倉庫でのことは話していない。

話せるわけがなかった。


すると、京子がふと気付いて話しかけた。

「あら、都子ったら左腕は大丈夫なの? 」

「え・・? 」

「ずっと肩甲骨からの痛みで、左手で重い物なんて持てなかったと思っていたけど・・治ったんだ? 」

「えっ・・? 」

都子は自分の姿を確認する。

右手にはほうきちり取り。

左手には・・雑巾と水の入ったバケツを持っていた。

寝違いが悪化して、しばらく軽い物しか持てなかった左腕が・・いつのまにか機能を取り戻していた。

「え・・ええっ・・!? 」

バケツを足元に置き、左腕を肩ごと回す都子。

上がらなかった左腕が上がる・・・

「う・・うそ・・!?」

気付けば、左の肩甲骨の裏側に巣食っていた長年の鈍痛どんつうが消えていた。

「はっ・・」

・・・一瞬、昨日羅城門にマッサージされている自分の姿が頭をよぎった。


宙空から見ていたあの不可思議な光景・・

夢だったかもしれないが、羅城門はウットリとした顔で左の肩甲骨の裏側を撫で回していた・・・


「どうしたの、都子? 」

京子の言葉に、ハッと我に返った。

・・都子は一呼吸置くと、額の汗を手の甲で拭って言った。

「姉さん、あとで調べて欲しいことがあるんだけど・・」

「ええ、いいけど・・? 」


都子は、じっと自分の左の手のひらを見つめて立ち尽くしていた。





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