第一章 天使は舞い降りる

【1】偽りの聖職者

「おとどけものですー」

「はーい、開いてますよー」

 ドンドンとけたたましく礼拝堂のドアを叩く奴がいる。

 開いてると言ったのに、まだ乱暴に叩いている。

 ……つか、蹴ってるだろ、それ。

「手が離せないから自分で入ってくれませんかー」

 ……と言ってもまだ叩いている。なんなんだよ、ったく。

 ここはとある地方都市にある、聖紺碧女神教団の教会のひとつ。

 師走にもなれば、夕方の礼拝堂はクソ寒い。なんせ天井は超高いし、広さはテニスコートくらいはある。

 俺しかいないから暖房もナシだ。今はジャージの上下しか着てないから、暖かくなる要素がかけらもない。

 先日大ケガをしたせいで片腕を三角巾で吊ったままの俺は、凍える片手で要領を得ない床掃除の最中だった。

「へいへい、今開けるから……」

 俺は渋々手を止めモップをそこらに置くと、ペタペタとつっかけサンダルを鳴らしながら出口に近づいて、高さ2メートル半はある木製の重い扉を開けた――

 冷たい風と一緒に、何か黒っぽくて巨大なものが、ごそっと雪崩れ込んできた。

「わ、わわわわわわ、ギャアアアアアアア――――――ッ」

 俺は己が身に何が起こったか理解する間もなく、ひどく情けない悲鳴を上げた。

 ドササササ――。

 なんかモッサモサでデカくて重いものの下敷きになった。

 まったく身動きがとれない。

「ああ、ごめんよ僕! だ、大丈夫か?」

 配達員と思しきおじさんの声だけ聞こえる。

 たしかにこんな重いモノ持ってたらドアなんか開けられないな。

 ごめんよ、おじさん。

「た……たすけ……て」

 口をあけると細かい葉っぱが入り込んでくる。

 口の中に青臭い香りが広がる。

 ペッペと吐き出していると、俺の悲鳴を聞きつけたシスターたちが奥から出てきた。

「きゃあ! ショウくん大丈夫? 今、もみの木をどかしてあげるから待ってて」

「やだあ、天使がクリスマスツリーの下敷きになるなんて、縁起悪~い」

「これ羽生えてたらもっと絵になるのに~ クスクス」

 クソ、好き勝手言いやがって。そりゃ翼は生えてるけども、しょっちゅう出しちゃいねーし。いや、そういう話じゃなくてだな。……ったく。

 数日前、外の街からこの教会にやってきたばかりの俺には、若い女の声だけじゃ、どいつがどいつか判別つかないから後で文句の言いようもねえ。

「は、はや……く、どか……してくれぇ」

「僕、待ってろな。さあシスターさんたち、手を貸して」

「「「はーい」」」

 やっともみの木の撤去作業が始まるようだ。

 シスターたちと配達員が一緒に木を起こしている――んだけど、

 うあ、動かす角度が、や、やめひぇあんぐぐぐぐ……

 ヘンな方に引っ張るせいで、俺の顔に細くとがった葉っぱやら枝やらがごりごりとひっかかり、ティーンエイジャーの柔らかお肌を削っていく。

 体の自由がきかないから、首をわずかにひねって目玉や鼻の穴への直撃をかわすので精一杯だった。

「「「せーの!」」」

 かけ声とともに、体にのしかかる重みが急にふわっと消えた。

 そして体中にパラパラと尖った葉っぱが降り注いだ。

「ど、ども」

 床の上で伸びている俺に手を差し出したのは、おっさんでもシスターでもなく、高校生くらいの女の子だった。


     ◇


「いやー……すんません、なんか……」

 俺は恐縮した。

 さっき手を差し伸べてくれた女の子が、せっせと俺の髪の毛の中にからまっているもみの木の葉っぱを、一つ一つ除去してくれている。

 ダッフルコートを着た彼女は、ボブヘアで活発そうな女の子だった。

 俺は、配達員のおっさっんが礼拝堂奥に設置していった、高さ三メートルはありそうな、でっかいクリスマスツリーを横目で恨めしげに睨んだ。

 とにかくこちらのお嬢さんには、まったくもって申し訳ないとしか言いようがなく、俺的に記憶から抹消したいほどひどく情けない有様だ。

 その情けない男、つまり俺こそは、先日ヤボ用でこの街にやってきた自称高校生の異界獣ハンターだ。

 んー、ちょっと何言ってるか分からないだろうけど、そのうち分かるから大丈夫。

「いいのいいの。災難だったわねー。えーと……お名前は?」

「あ、多島たじま多島勝利たじましょうり。別に覚えなくていいよ。キミは? たしかこないだの葬式の時にもいたよね?」

「うん。私、弓槻の幼馴染みで那々原海紘ななはらみひろよ。家は近所でケーキ屋やってるの。今日は教会のクリスマス会で使うケーキの打ち合わせと、弓槻の様子見で来たんだけど……」

 葬式ってのは、この教会に姉妹で住んでいた鏑城弓槻かぶらぎゆづきの姉、薙沙なぎさのものだ。

 先日、俺等の獲物「異界獣」に襲われ、体をバラバラにきざまれて亡くなった。

 弓槻姉妹は、幼い頃両親を異界獣に襲われ、孤児として教団に引き取られてこの教会で生活していた。唯一の家族だった姉まで異界獣に奪われた弓槻は、正に天涯孤独になってしまったんだ。

「で、俺の情けない場面に出くわした、と」

「まあ……。でも、用事はそれだけじゃ……ないんだ」

 と、なにか含みでもあるような口ぶりの海紘ちゃん。

「なに?」

「多島君、今日は神父服着てないのね」

「へ? ああ、掃除してたから普段着のジャージ。神父服なんて、何かの行事の時にしか着ないよ。シスターたちはいつも制服だけどな」

「ええ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~?」

「な、なんだよ、そんな心底ガッカリした声上げて。……まさか、見たかった?」

 海紘ちゃんは少し恥ずかしそうにコクリと頷いた。

 ……ええー……。

 そんなの見たい人なんて、いるんだ………………。

「あ――――――。そんなに見たかったん?」

「うん」と言ったあと、何かボソボソと小声で呟いている。

「へ? なんか言った?」

「……せ、制服、萌えだから…………」

「制服……萌え、ですか」

 俺は頭の中が真っ白になった。


 一応というかついでというか、俺と海紘ちゃんは彼女の親友弓槻の部屋を見舞うことになった。

 礼拝堂の裏側は、教会関係者の居住区画となっていて、そこにシスターとか弓槻たちとかが住んでいる。

 一応関係者なんで、俺の部屋も同じ建物の中にあるんだ。

 寒い廊下を弓槻の部屋までサンダルを鳴らしながら歩いていくと、途中シスター数人とすれ違う。

 みな海紘ちゃんと顔なじみのようで、ケーキの件ね、ごくろうさま、と口々に言っていた。

 クリスマスも近いのに、まったくもって憂鬱なことになっちまった、と表情には出さないけど皆思っていた。

 目的地に到着したのだが、呼べど叩けど、自室にひきこもってしまった天照大神こと弓槻は返事すらしなかった。

「なんで弓槻ちゃん出てこないの……」

 ああ、海紘ちゃんでもムリだったか。

 そんな気はしていたんだが、天岩戸はこの数日、深夜を除いてほぼ開いたためしがない。裸踊りの宴会を催したところで、弓槻がドアのスキマから覗くなんてミラクル、まず有り得ないだろう。

「よほどお姉さんが亡くなったことがショックなんだろうな……」

 親友だと思っていた弓槻が顔を見せてくれなかったことが、海紘ちゃんには堪えたようだ。しょんぼりと肩を落としている。

「ほ、ほら、神父服見たいんだろ? 俺の部屋行こうよ。な?」

 俺は、つとめて明るく振る舞った。


 シスターに見つかると面倒なので、ひと目を避けて海紘ちゃんを部屋に連れ込んだ。まるでスニーキングミッションだな。

 俺の部屋、って言っても、仕事のあいだ間借りしてるだけだから荷物なんかほとんどない。

 ここを始め、教団の教会には、こうした宿舎が設けられていて、俺等のようなハンターが寝泊まり出来るようになっているんだ。

 ……つまり、俺等の雇用主は教団ってわけさ。

「はい、どうぞ」

 俺は自室のドアを開けて、大して広くもない部屋に海紘ちゃんを促した。

 昼間からずっと礼拝堂の掃除をしてたから、室内はほとんど外気温と変わらないくらい寒い。

「ごめんね寒いでしょ。すぐ暖めるから」

 俺は慌ててエアコンのスイッチを入れ、カーテンを閉めた。

 海紘ちゃんは両手にはーっと息をかけると、へーきへーき、と笑った。

 俺は海紘ちゃんに椅子を勧め、ご要望どおりジャージを脱いで神父服に着替えた。

 俺自身失念していたんだが、腕をケガしているから片手しか使えず、着替えは難航した。

 待たせるのも申し訳ないと急いで着替えたけど、やっぱ結構時間がかかってしまった。

 で、ウンウン唸りながら不自由な方の腕をジャケットに通すのに苦労していると、後を向いていた海紘ちゃんが途中でケガのことに気が付いて申し訳なさそうに着せてくれた。

 俺があんまりにも気軽に見せてやるなんて言ったものだから、そんなに大変だとは思わなかったらしい。

 さんざん苦労した末、俺のトランスフォームは無事完了した。

 まあ、余所行きというか、礼服的なものだから、樟脳の匂いがプンプン漂ってる。

 普段は教団本部の自室に保管しているんだけど、急に葬式に立ち会うことになったので、この教会まで本部スタッフに急送してもらったんだ。

 派遣先で必要になったものは、本部に連絡すると、たいがいのものは手配して送ってくれる。


 身長約百八十㎝余り、細マッチョの俺は、長身を黒ずくめの装束で包んでいるせいか、姿見の中では着やせして見える。

 ちょっと雑なカットの黒髪のサイドには、少しだけ白っぽいメッシュが入っている。これは染めたわけじゃなく、生まれつきだ。

 黒目が大きいので、たまにカラコンを入れているのかと言われるが、主に夜間の荒事を生業にしている俺にとって、そんな危険なものを目玉にくっつけるなんて正気じゃない。

 頭の良さそうなツラ構えに見えなくもないが、実際は熱心に勉強をするタイプでもないし、仕事が忙しいから成績も良い方じゃない。

 普段は教団の経営する学校に在籍しているから、オツムがアレなのを目こぼしされているだけなんだ。


「うわあ………………」

「お、お気に召して頂けましたでしょうか……」

 全身フル装備になった俺を見て、海紘ちゃんの目がマジでハートになっている。

 そんな彼女を見て、正直ちょっぴり引いてる俺。

 というか男の制服萌えってのがよくわからんし……。

 でもよく考えたら、海紘ちゃんが見たかったのは服の方であって俺じゃないわけで、そう思うとちょっとガッカリしたような安心したような、複雑な気分になってくる。だって、葬式で見かけて一目惚れなんて、リアルにあったらなんか怖いじゃないか。

「しゃ、写真、撮っていい?」

 両目をらんらんと輝かせて海紘ちゃんが訊ねた。イエスかはいと答えろと、顔いっぱいに書いてある。

「ダメ……って言っても、ダメなんだろ?」

 俺は彼女に負けじと満面の笑顔で答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る